砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     5

 隣国への流通経路の地図を見ながら、カルザスは眉根を寄せる。そして事務所の主任であるギブソンに質問を投げかけた。
「差し出がましい意見なのですが、聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうした?」
「この流通経路なのですが、少し遠回りではありませんか? こちらの谷にかかる橋を越えた方が隣国には近いと思うのですが……」
 地図に書き込まれた矢印を指先でなぞりながら、カルザスはギブソンに自身の意見を述べる。
「ああ、それはだな。この谷に、ならず者たちがたむろする集落があるんだよ。傭兵を雇う手間と金が余分にかかるくらいなら、回り道した方が安いってんで、こっちのルートを使ってるんだ」
「なるほど。この国にも、そういった物騒な場所があるのですね」
 カルザスは覚書用のメモにそれを記述する。
「マクソンさんから聞いたけど、あんたは昔、傭兵やってたんだろ? なら、腕っぷしには自信あるんじゃないのか?」
「え、ええ、過去のことですが。僕の実力を聞かれましても、自分ではどの程度かはちょっと……あまり期待しないでください」
 元傭兵は苦笑しつつ謙遜する。まさか自信満々に、自分は強いですよ、などとは言えない。たしかに多少の自信はあるが、そこまで大げさに自分を売り込むほど、厚顔無恥ではない。
「んー? まさかレニーの方も傭兵あがりか? あのヒョロっこい体で?」
「いえ、レニーさんは違います。ええと……身のこなしは素早いのですけど、荒事《あらごと》には向いてないと言いますか……その……元詩人さんなので、根本的に腕力はありませんね」
「へぇ、そうなのか! あんなに美形で、詩《うた》も歌えるのか! ははっ、こりゃいい!」
 ギブソンは声をあげて笑った。
「ちょうどな。今夜あたり、お前らの歓迎飲み会を開こうかって、デイスン達と話してたんだよ。そこでぜひ、ご自慢の詩を披露してもらいたいねぇ!」
「あっ、それは……その……たぶん、ものすごく嫌がりますので、できれば無理強いしないでいたければと……」
 詩人はもうやめたと告げた〝弟〟の、見た目にそぐわぬ強情で気難しい気性を思い出しつつ、遠回しに遠慮願う。
「なんでぇ。出し惜しみか?」
「詩人は廃業したと言って、もう僕にも、詩を聞かせてくれなくなってますし」
「もったいない! ここは一つ、上司命令で……」
「ああっ! それは勘弁してください! 帰ってから散々なじられますから……」
「弟が怖いのか? 情けない兄貴だな」
「怒らせると手に負えないんです、あのかたは」
 カルザスは苦笑した。だが、事実である。
「遅くなりました」
 ちょうどその時、話題の中心であったレニーが買い出しから帰ってきた。傍にはデイスンがおり、一緒に大量の袋を抱えている。仕事に使う大判の紙や筆記具が入っているのだ。
「なぁ、レニー。カルザスから聞いたんだが、お前さん、昔は詩人やってたんだって?」
「え? ええ……まぁ……」
 レニーは横目でカルザスを睨んだ。また余計なことを口走って、と、視線だけで彼を責める。
「今夜にでも、お前たちの歓迎飲み会を開きたいと思ってるんだ。できればそこで一節、披露って訳にはいかないか?」
 レニーは少し考え、躊躇いがちに頷いた。
「……短いものでしたら。本当に一節だけですけど」
「よっしゃ! 言質取ったぞ! じゃあ仕事が終わったら、カラー通りの『竜骨《りゅうこつ》』って酒場に集合だ。こいつは楽しみになってきたぞ」
 ギブソンはレニーから買い物の荷物を受け取り、嬉々としながら中身の寄り分けを開始する。
「恩に着ます、レニーさん」
「断ったらあんたの立場、悪くなるだろうが。余計なこと、ペラペラ喋ってんじゃねぇよ」
「すみません……」
 小声でそんなやり取りをし、二人はそれぞれの相棒と仕事を始めた。

 仕事終わりの夕暮れはすぐにやってくる。
 女性的とも言える神秘的な歌声が、竜骨酒場に響き渡る。歌っているのはもちろんレニーだ。
 彼が詩人として歌っている時、常に姿を偽っていた。ゆえに普段の声音より少し高い、女性的な発声の作り声になってしまうのだ。
 廃業した元詩人が一節を歌い終えると、一呼吸置いて割れんばかりの拍手喝采が巻き起こる。彼は一瞬きょとんとしたが、すぐに懐かしい、少し誇らしい感覚を思い出し、思わずはにかむように頬を染めた。
「いい詩だった! あんまりに美声なんで驚いたよ!」
 現在の彼が普段話す地声が悪声という訳ではないが、〝偽り〟の歌声はギブソンたちをすっかり魅了したらしい。
「せっかくいいモン持ってんのに、廃業とかもったいない! またいつでも歌えばいいのによ。というか、また聞かせてくれ!」
「すみません。やっぱりもうかなりのブランクがあって、喉が保《も》たないんで……」
「あんな綺麗な声なのに、それでも満足できないってか? さすが本職は言うことが違うねぇ。あ、もう廃業したんだっけ? だっはっは!」
 デイスンが、レニーの前の相棒であるケインと肩を組みながら、酒を飲み干しつつ彼をを褒める。レニーは返って萎縮してしまい、もう何を言われても断ろうと心に固く誓った。もう誰にも何も、偽りたくないのだ。歌うことはやはり今でも好きだが、それは自身を〝偽るためのもの〟だっただから。
 同僚たちと共に酒を楽しんでいたカルザスの隣に座り、レニーは酒精の入っていない果実水を口にする。
「全然ブランクなんて感じませんでしたよ?」
「いや、全然変わっちゃったよ」
 少し嬉しそうな表情で、レニーはポツリと呟いた。
「昔は……死を嘆く詩や、友と別れゆく詩ばっか歌ってたんだ。頼まれて華やいだ詩や、門出を祝うような詩を歌っても、どこか悲しく聞こえるって、いつも言われてた。でもさっきの詩は違う。これから光り輝く未来へ向かう、小さな希望の詩を歌えたんだ」
「……パルさんですか?」
「うん」
 レニーは再び果実水を口に含み、コクリと喉を鳴らして飲む。隣でカルザスは、琥珀色の酒を口にした。
「もう商売としての詩は歌わないけどね。でも……パルのための子守唄くらいなら、歌ってみようかな」
「きっと喜びますよ」
「うん。だったらおれも嬉しいな」
「僕もまたレニーさんの詩を聞きたいんですけど」
「はは。それは本当に無理だよ。今の一節だけで、もう声が張れなくなっちまったのは本当だから。これ以上は無理。だってさ、せっかく聞いてもらうなら、自分の納得出来るものを聞かせたいじゃん? だから……無理なんだ、もう」
「それは残念です」
 カルザスはグラスを空にした。
「レニーさんも飲まれますか?」
「おれはいい。酒は喉、焼くから。飲めないことはないんだろうけど、ま、昔からの癖かな」
「そうですか。じゃあ僕はおかわりをいただいてきます」
「あんまり強かないんだろ? 潰れるなよ?」
「あはは。限界までは飲みませんよ。節度は分かってます」
 そんなことを言ったカルザスだが、ギブソンやデイスン、ケインらの強引な勧めで、結局浴びる程の酒を飲まされる羽目になる。
 カルザスが上司や同僚達に飲め飲めと襲われている頃、自身の身に起こりうる未来を予測したレニーは、さっさと姿を眩ませていた。


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