砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     12

 早足でアイル邸までやってきて、レニーは念のため、目を閉じて意識を集中させる。周囲の気配を探り、そしてふっと息を吐き出した。
「どうやらこっちの注意はうまく削がれたみたいだ。もう気配は感じない」
「あの、わたし……不自然なこととかやってませんでしたか? どうすれば自然に見えるのか、そういうお芝居ってよく分からなくて」
「ん、大丈夫。ホリィはちゃんと出来てたよ。子供を心配する若い母親役ね。もともとホリィとパルは、髪色も瞳の色も似てるから」
 レニーが太鼓判を押すと、ホリィアンはほっと胸を撫で下ろした。
 芝居しろ、と急に言われても、今後またいつ彼らの言う〝例の者達〟に遭遇するか予測もできない。ゆえに時間を見つけて、どんな時でも自然に振る舞えるよう練習しておこうと思った。
「じゃあわたし、すぐ客間を用意してきますね。レ……アイセルさんは、一旦パルの部屋でこの子を休ませておいていただけますか?」
「もうレニーでいいよ」
「あ、はい。では、ちょっとだけパルをお願いします」
 邸内へ駆け出そうとした彼女の腕を、レニーがふいに掴む。
「ホリィ。怖い思いさせてごめん。それから……君がいてくれて、おれも心強かったよ」
「……はい! わたし、レニーさんたちの理解者ですもの」
 にこりと微笑むと、レニーは眩しそうに、嬉しそうに目を細めてこちらを無言で見つめてきた。ホリィアンはしっかりと頷き、腕を離されてから、もう一度頷いた。
 ホリィアンは空っぽの大きなバスケットを厨房へと投げ出し、居合わせた数人のメイドたちに指示をして、急いで二階の客間へと向かった。
「パル、家に着いたよ。今夜はずっと一緒にいるから安心して休むんだよ」
「ん……んん……レ、ニー?」
「ここにいるよ」
 パルは弱々しい力で、レニーの袖をきゅっと掴む。小さな葉っぱのような手が、熱に浮かされながらもレニーの気配を求めている。
 彼はパルを大事に抱いたまま、二階の奥にある部屋へと向かった。そのまま、小さな彼の体を小さなベッドに横たえる。
 ふいに視界が真っ赤に染まった。袖を握るパルの小さな手が、彼を抱く自らの手が、血で真っ赤に汚れている。
「……っ!」
 思わずパルから飛び退きそうになったが、奥歯をギリッと噛み締め、パルに覆い被さるように、彼の小さく華奢な体をしっかりと抱いた。
「……おれの手は……おれの体は血と罪で汚れきってる。でも……でもおれはパルを護りたいんだ! パルはおれの運命だから! パルが今のおれの全てだから! この笑顔が、おれの罪を許してくれるから! パルは汚させない。もう誰にも傷付けさせない。おれの大切な天使の手は、絶対に離さない!」
 声が声にならない幻覚の世界で、レニーは腹の底から叫んだ。
 たびたび視《み》えてしまう幻覚。何もかもが血で染まる幻影。自らの血塗られた過去を追い立て責める、見えない糾弾。
「おれは逃げない。パルを護る。パルはおれの天使。おれの全てなんだ」
 自らを何度も責め立ててくるそれらをかなぐり捨てようと、レニーは腕の中にある小さな者をぎゅっと強く抱いた。
「れ、に……くるし……い……」
 か細いパルの声が聞こえ、ハッと我に返る。そこには血溜まりも死体もない、穏やかで麗らかな日常の世界。可愛らしいパルの部屋だ。
「……ごめんな。ちょっと嫌な幻を見てたんだ。パルは何も心配しなくていい。ゆっくりお休み」
「……レニー、いっしょ……」
「うん。一緒にいるよ」
 熱にうなされながらも、パルは満足そうに小さく微笑み、寝息をたて始めた。だが、レニーの指先をぐっと握ったまま離さない。
「レニーさん! お部屋の準備ができました。パルをお願いします!」
「ホリィ、ありがとう」
 レニーは再びパルを抱き上げ、ホリィアンに案内された客間へと向かった。
「お水と解熱のお薬と、時間を置いても食べられる何か軽食と……えっと、あと何が必要ですか?」
「ひとまずそれでいい。でもおれはパルの傍を離れられないから何かあった時、すぐ人を呼べる呼び鈴《ベル》でもあると助かるかな」
「はい。じゃあ隣の部屋に、メイドかわたしが常駐するようにしますね。いつでも呼んでください」
「頼むよ」
 パルを引き取ることになってから、彼女は彼女なりに、立派なパルの姉になろうとしているのだろう。カルザスやレニーへの気遣いもだが、彼女が彼らの過去を知って腹を括ってからは、みるみる頼りがいのある女性へと、一足飛びに成長している。見た目はほわんとしたお嬢様然とした彼女だが、もともと年齢の割にしっかりしている部分もあった。理解力も行動力もある。最近はますます頼れる存在として、カルザスとレニーの中で、彼女の存在の比重が大きくなってきていた。
 水などを用意するため、部屋を出て行くホリィアンを見送り、レニーはパルの眠る大きなベッドの端に腰を下ろした。
「パル……おれは何があろうと、お前を護ってやるからな」


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