砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     3

 メモの場所は、ミューレンの裏通りの中でも、特に治安の悪い場所だった。安酒と、闇に出回る〝煙草《クスリ》〟を燻る臭いがする。
 しかし暗殺者の元締めに引き取られた幼少期、彼は似たような場所で時を過ごしてきたのだ。いくら嫌悪しようとも過去の感覚が全身に満ちてくる。決して思い出したくもないものではあったが。
 決して派手ではないが、小綺麗な格好をしたレニーは、周囲から見事に浮いている。だが彼はそんなこと、まるで気にしていなかった。
 今はただ一つの目的しか見えていないのだから。
「ここか」
 かなりくたびれた建物から、鼻孔を衝くきつい香水と安酒、そして〝煙草〟の臭いが漂ってきている。
「ミューレンにもこんな場所があったとはね。ま、懐かしいっちゃ懐かしい、か」
 少々感傷に耽りながら、彼は酒場のドアを開いた。
 ツンと、独特の香りが鼻孔を突き、レニーは僅かに眉を顰める。
 薄暗い掃き溜めのような酒場に、突然現れた銀の天使は、酒場の中にいた連中の好奇の目に晒される。しかし彼は物怖じ一つせず、まっすぐカウンターの奥にいるマスターに歩み寄った。
「この界隈で、人買いとか人攫いとかってやってる?」
 ひと呼吸すら置かず、直球で問いかける。するとマスターは豪快に笑ってレニーの前に肘をつき、火傷の痕が残る強面な顔を近付けてくる。
「そんな綺麗な顔して、随分裏事情に詳しそうじゃねぇか」
「あるのかないのか、さっさと答えてくれない?」
「過去は詮索されたくないよってか?」
 茶化すようなマスターの言葉を聞き流し、レニーはすっと目を細めた。そして──神経を研ぎ澄まし、纏った気配を故意に変化させる。
 マスターの顔色が変わる。レニーが只者ではないと、瞬時に察したのだ。毎日ならず者達の相手をしているのだ。相手の力量を推し量る心眼は間違いない。
「……さすがにこんな穏やかな町で、そんな物騒なことはないね。ただ、個人の趣味にまで、口出しする奴はいないとだけ言っておいてやるよ」
「個人的に女子供を拉致監禁する奴は少しはいるってことか」
「そういうこった」
「手当たり次第当たるのも厄介そうだね」
「こっちもそういう連中を全部把握してる訳じゃないんでな」
「分かった」
 レニーはマスターに、銀貨を弾いて渡す。そして酒場を出ようとしたところを、〝煙草〟を愉しんでいた男に呼び止められた。
「女かい? ガキかい?」
 酔っ払ったような、呂律の回らない声で問いかけられた。
「子供」
 腰に手を当て、レニーは答える。
「へぇ、ガキか。そうさなぁ……ペドの奴なら一人、知ってるけどな」
 レニーは息を飲む。
「そいつはどこに?」
「ハエル通りとカラー通りの中間くらいのところに、フィックスって小金持ちがいる。そいつは相当な好き者だぜ」
「……金でいいか?」
「マスターにやったやつでもいいけど、できりゃあピカピカのやつがいいなぁ」
 レニーは小さく舌打ちし、金貨を取り出して男に向かって無造作に投げ渡した。
 他の者たちに一目置かれたまま酒場を出る。先程彼がマスターに向かって放った殺気に気付いた者は多く、誰一人逆らう者はいなかった。逆らえば只では済まないと、本能的に悟っていたのだ。
 過去に培ったものが今になってこんな形で役に立つなんて──皮肉っぽくフンと鼻を鳴らし、レニーはキッと正面を見据える。
「パル。今行く……!」
 屈託なく笑う小さな天使の顔を思い出し、レニーは切られるように痛む胸を押さえて駆け出した。


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