砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     9

 熱射が射す砂漠の国ウラウローでは、絶対に見ることは叶わない白銀の世界が広がっている。何もない、ただ真っ白なだけの世界に一つ、黒い影がある。
 褐色の肌と黒い髪、そして黒い瞳にその白銀の世界を映す小柄な少女。傍には、銀色の髪と淡い紫の瞳、白い肌を持つ青年の姿。
 白い雪を踏みしめる足元から、ジンジンと痛いほどの冷気がこみ上げてくる。だが褐色の少女は嬉しそうにその白い雪を両手で掬い上げ、目の前にパッと振り撒いた。
「……約束、守ってくれたんですね」
 彼女は今まで見たこともないような、幸福に満ち溢れた微笑みをたたえ、こちらを振り返る。
 銀髪の青年レニーは目を細めてコクンと頷く。
「お前が望むことは、必ずおれが叶えてやるって言ったろ? お前が笑ってくれることが、おれの幸せだから」
 小柄な少女シーアは、声なくふふと笑い、白い雪をレニー目掛けて投げかけた。
「こらっ、やめろって! 冷たいから!」
「一つ浴びるごとに、レニーさんの罪は一つずつ許されていくの。レニーさんの体に染み付いた罪は、あたしが全部消してあげる」
「ははっ……じゃあおれは抵抗できないな」
 レニーは苦笑しつつ、雪の上に座り込んだ。シーアがまた雪を両手で掬って振り撒く。嬉しそうな、朗らかな笑みを湛えて。
「ねぇ、セルトも手伝って」
「セルト?」
 シーアが呼びかけると、レニーの背後に小さな塊が飛び付いてきた。振り返ろうとすると、その塊は背後から手を伸ばしてきて彼の目を塞いでしまう。
「セルトなのか? ああ、セルト。おれにお前の顔を見せてくれないか?」
 胸が高鳴る。初めて触れ合った、自身の血を分けた我が子がここにいる。
「ダメ。はずかしいもん」
 どこかで聞いたような、だが初めて聞く声だった。
「意地悪しないでくれよ」
「イヤ」
 レニーは首にまとわり付く温もりに頬を緩ませながら、自らの目を塞ぐ小さな手を掴んだ。雪に触れていたせいか、冷たい手だった。
「レニーさん」
「どうした、シーア?」
「あたしとセルト、そろそろ行きます。また、来ますね」
「えっ? ま、待ってシーア! もう少し……もう少しだけ……!」
 足元が急に不安定になり、レニーの体がガクンと震えた。
「……ッ!」
 室内は、カーテンを閉めているせいで少し薄暗く、ベッドの柔らかさと違うものが、レニーの腕に纏わりついている。
「夢……」
 レニーは息を吐き出し、額にかかる髪を掻き上げる。
「シーア、セルト。また逢いにきてくれ」
 サイドボードの引き出しに入れたままの、あの硝子細工のイヤリングを思い出し、レニーは引き出しの取っ手を見つめた。
 〝現実〟の世界では、もう〝逢わない〟と誓っているので、形見のイヤリングを取り出すことはない。そこにあるだけでいいのだ。
「ああ、そうか……パルを寝かしつけてて……」
 レニーの腕に短い腕を絡め、そして指を小さくしゃぶっているパルの姿がある。
「セルトも会いに来てくれたのは、最近おれが、パルと一緒にいることが多いせいなのかもね」
 夢の中で感じたあの感触は、パルに抱きつかれている時とよく似ていた。
 夢の中で、成長しないシーアとセルト。彼のの夢の中にだけ現れる、最愛の少女と姿なき我が子。
 テティスの力を借りてシーアと最期の別れをした時、シーアは言っていた。いつでも傍にいる、と。
 自らが愛した少女の宿していた命が無事に生まれ、成長していればもう十三、四歳。まだ四歳のパルとは決定的に違うのだが、成長過程を見ることが叶わなかったレニーにとって、そして記憶の中の少女はいつまでも少女のままでいることもあって、夢の中の我が子はパルと同じか、もっと幼いといった姿しか思い浮かべられない。
「……パルは、何の損得も関係なく、おれを慕って懐いているからな……あんまり深入りする前に、おれは離れた方がいいよな。おれには……パルを抱く資格なんてないから」
 このままでは、パルをセルトの代替にしてしまうのではないかという疑心を抱き、レニーは決意した。


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