砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     7

 昼食が終わり、後片付けはホリィアンが買って出た。カルザスも手伝っている。
 満腹になったためか船を漕ぎ出したパルを抱えて、レニーは二人の背中をぼんやりと眺めている。
「すみませんレニーさん。パル、重いですよね」
「これくらいは大丈夫、って言いたいけど、確かに寝てるチビは重いね」
 レニーはカルザスを呼び止めた。
「夕方の開店までまだ時間あるよな?」
「ええ。パルさんとお休みなさってきますか?」
「そうする。奥でパルを寝かしつけてくるよ。このまま起こすのも可哀想だし」
「え? お片付けが終わったら、連れて帰りますよ? きっと起きたらお店で大騒ぎしちゃうと思うので……」
「無理やり連れて帰ろうもんなら、きっとまたすごい駄々こねるぞー? 『いーやーおねえちゃんいじわるぅー』とか?」
 レニーの、パルの口真似に、カルザスがあははと笑う。
「そ、そうですね……」
 ホリィアンは、暴れ泣きじゃくるパルの姿を想像し、口元を引き攣らせた。さすがに泣きわめくパルを、まともに相手はできないと踏んだのだろう。
「じゃあ、しばらくお願いしてもいいですか?」
「了解」
 レニーはパルを抱えたまま、奥の寝室へと向かった。
「パルさんはすっかりレニーさんに懐いちゃいましたね」
「ええ、本当に驚きです。すごく人見知りする子なのに」
 ホリィアンは汚れた皿を洗いながら、横目でチラリとカルザスを見る。
「僕には見向きもしないですし、子供ってやっぱり、自分が好かれているかどうか、無意識に分かるのかもしれませんね……あ、決して僕も子供が嫌いという訳じゃないんですよ。ただ、小さな子供のいる環境というのが、イマイチよく分からないだけで、接し方がぎこちなくなるんです」
「カルザスさんならきっとすぐに慣れますよ。だってカルザスさんも、とても優しいかたですもの」
「はは……努力はしてみます」
 カルザスは拭き終えた皿を棚に戻してゆく。
「これで終わりですね。疲れてませんか? 少し休憩してください」
 カルザスがホリィアンをねぎらうと、彼女はふいにもじもじと彼を上目遣いに見上げてきた。カルザスも、少々居心地が悪そうに視線を泳がせる。
「あ、の……カルザスさん」
「な、なんでしょう?」
 ホリィアンはそう呼びかけただけで、押し黙ってしまった。カルザスも話題に困って顔を背ける。が、ふいに真顔になって彼女を見下ろした。
「その……少しお話しても構いませんか?」
「は、ひゃいっ」
 ホリィアンが舌をもつれさせて返事をする。
「あの……ですね。ものすごく今更なんですが、ホリィさんは一体僕の何を気に入ってくださったんでしょうか?」
「え?」
 意表を突かれた質問に、思わず目を丸くするホリィアン。
「あっ、いえ! 結婚のことがイヤになったとかそういう話ではなく、あの、僕はですね。そのぅ……女性でも男性でも〝いい人〟という意味の好意は持たれても、好きという意味の好意を持たれたことがなくて、ホリィさんとどう接していいのかが未だに分からないんです」
「そうなんですか? カルザスさんはすごく優しいかただから、きっと沢山の人に好かれていると思ってたんですけど……」
「ええ。その気のいい優しい人止まりで、それ以上にもそれ以下にもならないんです。レニーさんと違って、僕は異性からモテるという意味で好意を持たれる性分じゃないんですよ」
 カルザスは苦笑しながら頭を掻いた。
 過去を思い出しても、老人たちには孫のようだと可愛がられ、同年代には気さくで聞き上手だと話し相手にされ、彼の交友関係はいつでも、広く浅くで留まってしまっていてばかりだった。
「ですから……その……僕には恋人とか結婚とか、そういうものは一生縁のないものだと思っていたので……」
 ホリィアンは照れるカルザスを見て、くすくすと笑った。
「わたしがカルザスさんのことを好きになった理由は、たぶん皆さんと同じです」
「みんなと同じ?」
「ええ。優しい人だからです」
「はぁ……」
 彼は拍子抜けしたような曖昧な相槌を打つ。
「確かにわたしも初めてカルザスさんに会った時、優しい人だなって印象しか残らなかったんです。でもなぜかすごく気になって、何度かお店に買い物に伺っている内に、ああ、わたしはこの人のことが好きになってたんだなって。だから理由らしい理由はないんです」
「それでは婚約まで考えなくとも、友人のままでも良かったのではないですか?」
「いえ、それじゃダメなんです。理屈じゃなくて、感情だから。カルザスさんやレニーさんと一緒に過ごす時間が増えて、お二人のことを沢山知って、でももっともっと知りたくて。ずっと傍にいたくて、一番になれないのは分かってるから、それでも限りなく一番に近付きたくて。理由はないって言いましたけど、これは理由になりませんか?」
 黒曜の瞳の持ち主は榛色の髪を持つ少女の答えを聞き、ゆっくりとその言葉を自分の中へと浸透させていった。
 自分がレニーのことを生涯護ると誓ったのは、前世であるアーネスとアイセルの記憶や結び付きもあるだろう。だがそれ以上に、レニーという存在が自分にとって掛け替えのない存在として確立してしまっているからだ。
 そしてそのレニーに対するものと限りなく同じで、全く違う性質をもつ感情を、ホリィアンにも抱いている。
 彼女は理屈ではなく感情だと言った。
 その言葉は自分にも当てはまるのだと、今、改めて想像へ至った。
「同じなのですね。僕の持つ、あなたへの感情と」
 カルザスはごく自然に、ホリィアンの体を抱き寄せていた。
「ホリィさん、あなたは僕の大切な人です」
 彼女を優しく抱き締め、カルザスは彼女の耳元へ口を寄せる。誰にも聞かれないように、静かに、そっと囁いた。
「カルザス……さん……」
 彼女は潤んだ瞳で自分を見上げてくる。カルザスはその視線を遮るように、彼女の頭をそっと胸に抱え込む。
「すみません。僕にはこれ以上はまだ無理です。触れると壊してしまいそうで、だからこそとても大切で、あなたに嫌われたくないから。意気地のない僕を許してください」
「……はい。すごく嬉しいです……でも……もう少しこのままでいていいですか? わたしのワガママ、一つだけでいいから聞いてほしいです」
「それはあなたのワガママじゃなくて、僕のワガママです」
「嬉しい……です」
 同じ言葉を反芻し、彼女はポロポロと涙を零した。
「あの……これからも時々……あなたを抱き締めていいですか? 壊さないように、そっと抱きますから」
「はい」
 泣き笑いの表情を浮かべ、ホリィアンはカルザスの服をキュッと掴んだ。


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