砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     3

 庭の大木に括り付けられたブランコに乗って、パルが明るい笑い声をあげている。その様子を、レニーは芝生に座って穏やかな表情で眺めていた。
「……セルトが生きてたら、おれはこういう気持ちでセルトと遊んでやってたのかなぁ……? あ、いや、セルトが生きてたら、もう十三、四歳か。こういう遊びはしない歳だよな……遊んでやりたかったなぁ……」
 片膝を抱え、大木に繁る葉の音や銀髪を揺らす風が心地よく、ふっと目を閉じる。瞼に浮かぶのは、愛しい少女の姿だった。
「もう十四年……か。おれの中にいるシーアはまだこんなに幼くて、ホリィより幼くて……おれだけが歳をとって大人になった。セルトに至っては、おれはその感触も匂いも姿も知らない。なぁ……寂しいよ、シーア……」
 パルの笑い声だけが聞こえる静かで穏やかな昼下がり、レニーは一人感傷にふけっていた。
 片膝を抱えたまま、コツンと額を膝に当てる。そよぐ風の音をじっと聞いていたレニーの傍に、芝生を踏む音が近付いてきた。
 ふと顔を上げると、パルが不思議そうにレニーを見つめている。
「ん? どうした? ブランコはもう飽きた?」
「……おなかいたいの?」
「痛くないけど?」
「ぎゅってしてた」
「ああ」
 レニーは苦笑しながら頭を掻き、感傷を振り払った。
「ちょっと寝てただけ」
 幼児相手に難しいことを言うつもりはない。レニーはパルでも理解できそうな嘘を口にした。
「パルひとりであそんでたの、つまんなかった?」
「いや。パルが元気に遊ぶのを見てるのは楽しいよ」
 幼児なりに難しい顔をして、そしてパッと表情を明るくさせた。
「いっしょにあそぼ! おねえ……おにいちゃん?」
「ははっ。見てわかんないかな? おれはお兄ちゃん」
「おにいちゃん!」
「そ。でもレニーでいいよ。おれは『お兄ちゃん』ってガラじゃないから」
「れ、にー?」
「うん、そう」
「レニー!」
「そうそう」
「レニー、パルといっしょにあそぼ!」
「いいよ。何して遊ぶ?」
「こっちー!」
 パルがレニーの袖を引っ張った。
「分かった分かった。分かったから袖引っ張るなって。伸びちゃうだろ」
「パルのたからものみせてあげる! こっち!」
 パルはレニーの手を掴んで、グイグイと引っ張る。レニーは前屈みになりながら、パルに案内されて、ブランコのある大木の傍まで連れてこられた。
「宝物ってどこ?」
「きのうえ! のぼるの!」
「お、随分行動力あるな、パルは」
 パルは短い手足を伸ばし、細い枝を掴みながら、大木を器用に登っていく。落ちてこないかしばらく見守ったレニーも、パルが大きく二股に別れた枝に到達したのを見届けると、大木に手を付いた。
 トンッと地面を蹴る。ふわりと舞い上がり、重力によって落下する間際に、再び木の幹を蹴る。そのまま、パルのいる太めの枝へと手を伸ばし、くるりと回って膝を引っ掛けた。
 パルが目を丸くして、レニーを驚いたように見ている。
「ちょっとびっくりさせちゃったね。ごめんね」
 レニーはパルに向かって目を細めて囁く。
「すごい! レニーすごい! パルもやりたい!」
「ダメー。これはまだちっちゃいパルには難しいから、絶対に真似しちゃダメ。怪我するぞ?」
 さすがに幼児に同じ真似はさせられない。いや、常人には真似したくとも無理だ。
「でもレニーはできたよ?」
「おれはパルみたいに普通の木登りはできないの。だからパルの方がすごいんだよ」
「パルすごいの?」
「うん、すごい」
「そっかー。パルすごいのかー」
 自身を褒められたことで満足した幼児は、レニーにきゅっとしがみついた。
「パルね。いっつもきにのぼったら、おねえちゃんおこるの」
「ホリィに? そりゃ当たり前だよ。女の子は木登りなんかしないからね」
 レニーが苦笑しながらポンポンとパルの頭を撫でると、パルは不思議そうに首を傾げた。
「どした?」
「パル、おんなのこちがうよ」
「は?」
 今度はレニーの方が驚いて、パルをまじまじと見つめた。
 少々癖はあるがサラリとした髪は肩で切り揃えられ、短めの前髪から、クリクリした大きな目が覗いている。小ぶりな鼻や口、ぷにぷにとした頬は、愛らしい幼児そのものであり、言われてみれば、男の子にも女の子にも見える。服装も膝の出る丈の短いオーバーオールとショートブーツで、どちらの性別の幼児が着ていてもおかしくはない。
「パルって男の子?」
「うん! そだよぉ」
「ごめん。てっきり女の子だとばかり思ってた」
「むー。おじちゃんもおばちゃんも、いっつもパルをおんなのこってゆうもん」
 この場合のおじちゃんとおばちゃんとは、マクソンとアイシーのことだろう。ホリィアンを、伯母ちゃんと呼んだ訳ではない。
「あのね! あのね! レニーもおねえちゃんみたいだから、パルわかんなかった」
「ははっ。おれとおんなじか」
 レニーが笑うと、パルも歯を出してニィッと笑った。
「あっ!」
 パルが思い出したように声をあげる。
「たからもの!」
「ああ、そうだったね。どこ?」
「もいっこうえ!」
「了解。そのくらいなら、おれでも登れるかな」
 この大木は上に行くほど強度が弱く、レニーの体重を支えきれない。彼の体重は決して重くはないが、用心に越したことはないだろう。無様に木から落ちるなどという事態は、全力で避けたい。元暗殺者の矜持として。
 パルがよじよじと、幹を登り始めた。レニーは手を伸ばして、彼の背を支えてやる。そしてもう一つ上の枝に辿り着いたことを確認してから、再び跳び上がって、上の枝に乗り移った。
「……パルくらいの年齢だと、性別なんてまだ判断できないんだなぁ……あ。じゃあ、セルトももしかしたら女の子だったかもしれないな」
 レニーとシーアの純愛の結晶──生まれる前から名前を決めていたはいいが、そんな事実に今更気付く。レニーはふっと口元を綻ばせ、木のうろに手を突っ込んでいるパルの背に、そっと手を添えた。落ちないように、そっと。
「んー……」
「どうした?」
 パルがレニーを見上げ、泣き出しそうな表情になる。
「なくなっちゃった。パルのたからもの」
「なくなった? 宝物って何だったの?」
「えっとね。どんぐりと、あかいきのみと……」
「ああ、それじゃ仕方ないよ」
 レニーは、うろの端にある、小動物が齧った痕跡を指差す。
「ここ見て。リスか何かの、ちっちゃい動物の噛み跡があるだろ? たぶんそいつらが、パルの宝物があんまり美味しそうだったんで、我慢できなくて食べちゃったんだよ」
「パルのたからもの、たべられちゃったの?」
「たぶんね」
 泣き出しそうなパルの表情を見て、レニーはそっと彼を抱き締める。
「泣くんじゃないの。パルにとって宝物だったかもしれないけど、リスたちにとってはご馳走だったんだよ。だからパルはリスたちにプレゼントしてあげたんだ。いいことをしたんだよ。パルだって、プレゼントをもらったら嬉しいだろ?」
「うん……でもパルのたからもの……」
 幼いなりに、思い入れのあった木の実だったのだろう。パルはしょんぼりと肩を落とす。
「宝物はまた集め直せばいいさ。こっそり大事に隠しておいたって、すぐ飽きちゃうからね。宝物っていうのは、集める行程……集めてる時が一番面白いんだよ」
「あつめるのがおもしろいの?」
「ああ、そうだよ。パルがどんぐり集めてる時、楽しくなかった? 隠す時、見つからないかドキドキしたかもしれないけど、隠し終わったらちょっとつまんなくなっただろ?」
「あ……」
 パルがレニーを見上げて口を開いた。新しくできた、はるか年上の友人が言ったことに、思い当たる節があったらしい。
「……ねぇ。もう一回パルの宝物、一緒に集めようか?」
「いいの? うん!」
 パルが目尻を擦り、パッと明るい笑顔に戻った。
「じゃあね! じゃあね! こんどはきれいないしがほしい!」
「了解。でも今日これから出掛けたら遅くなるから、それはまた今度にしよう」
 幼い友人の表情がすうっと曇る。
「……かえっちゃうの?」
「うん。多分もうすぐ、ホリィお姉ちゃんとカルザス……さっきぶつかったお兄ちゃんが帰ってくるだろ? そしたらおれも家に帰らなきゃ」
 パルがレニーにしがみついた。
「かえっちゃやっ!」
「ごめんね。パルの宝物を探す約束は絶対守るから、今日はもう許してくれないかな?」
「いやっ! レニーといっしょがいい! レニーがいっしょなら、たからものいらない!」
「弱ったな……完璧に懐かれちまった」
 ぎゅうぎゅうとしがみついてくる幼子を抱きつつ、レニーはほとほと困り果てる。
 子供のワガママには慣れているが、初対面でここまで懐かれ、ワガママを言われた経験はあまりない。過去に通っていた孤児院の子供達は、もう少し聞き分けが良かった。
「……きゃっ! レニーさん! パル!」
 木の下から悲鳴があがり、見下ろすとホリィアンが両手を口元に添えて青い顔をしていた。その傍ではカルザスがおやおや、といった表情で苦笑している。
「パル、降りるからおれにしっかり掴まって。ホリィ、降りるからそこどいて」
 ホリィアンとカルザスが数歩後退すると、レニーはパルを抱いたまま、トンと幹を蹴って飛び降りた。
 ふわりと芝生に着地し、衝撃を緩和するために膝を折る。そしてそのままパルを地面に下ろした。
 パチパチとカルザスが小さく拍手しているが、ホリィアンは蒼白になっている。
「レ、レニーさん! あんなところから飛び降りるなんて危険じゃないですか!」
「大丈夫大丈夫。この程度の高さ、飛び降りた内に入らないから」
「それでも危険です!」
 ホリィアンは抗議するが、レニーは笑いながら聞き流す。
「それにしてもレニーさん。パルチェットさんを連れて木登りとは豪快に遊んでらしたんですね。てっきりママゴトやお人形遊びでもしてると思ってたんですが」
「男の子がそんな遊び、好きな訳ないじゃん」
「そ……ええっ?」
 パルの性別を聞き、カルザスが声をあげた。
「ははっ、カルザスさんも騙されたな。パルは男の子なんだってさ」
「そうなんですか、ホリィさん?」
「ええ、そうですけど……あ、たしかによく女の子に間違えられますね。このくらいの歳の子って、性別があってないようなものですから」
「おれも勘違いしてて、パルに笑われたんだよ。な?」
 レニーは手を延ばしてパルの頭をクシャクシャと撫でる。彼はレニーの足にしがみついたまま、仏頂面をしていた。
「おやおや。パルチェットさんはすっかりレニーさんに懐いちゃったんですね」
「カルザスさん、パルでいいですよ。それに子供なんですから、呼び捨てでも」
「あはは。呼び捨ては苦手なんです。たとえお子さんでも」
「らしいよねー」
 レニーが笑った。
「で、パルはさっきから、おれに帰るなって駄々こねてる」
「もうっ、パル! レニーさんが迷惑してるでしょう!」
「また来るから、今日はさよならな。あんまり駄々こねてると、パルのこと、嫌いになっちゃうぞ?」
「やー! パルきらいになんないで!」
「ホリィお姉ちゃんの言うことよく聞いて、いい子にしてたら嫌いにならないよ」
「ほんと? レニー、パルをきらいなんない?」
「こらパル! レニーさんはパルよりお兄さんなんだから、呼び捨てちゃダメでしょ!」
 すかさずパルの発した言葉を聞き咎め、注意する。
「ホリィ、おれがそう呼ばせてるから、そこは気にしないでいいよ」
「そ、そうですか?」
 レニーはパルの目線までしゃがみ込み、ポンポンと彼の頭を撫でた。
「おれはパルが好きだから。だからいい子にしてろよ。約束もしたろ?」
「……うん。ぜったいまたあそんでくれる?」
「当然。パルこそ、約束破ったら頭コツンだぞ」
「……うん……」
 諭され、ようやくパルはレニーから離れて、ホリィアンのスカートを掴んだ。レニーにはすっかり懐いたが、カルザスに対してはまだ人見知りしているのだろう。チラチラと、様子を伺っている。
「そういうことで、また近い内に来させてもらうよ」
「はい。いつでも歓迎です。あ、でも木登りはもうダメですからね! 次見つけたら怒りますよ?」
「はは。肝に銘じとく。じゃあね、パル」
 不貞腐れているのか、パルはホリィアンのスカートに顔を埋めてこちらを見ようとしなかった。


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