砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     2

「なんだかとうとうって感じですね。ミューレンに来て、今のお店が順風に動き出した頃の感覚と似ています」
「おれはちょっと不安かな」
 レニーは腕組みし、形の良い眉根を寄せる。
「このおれが、他人と一緒に普通の仕事ができるのかって、今でもすごく不安なんだ」
「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ。僕が出来る限りフォローしますし」
「頼りにするよ?」
「任せてください」
 広い廊下の角を曲がろうとした時だった。勢いよく飛び出してきた小さなものが、カルザスにドンとぶつかった。
「きゃっ!」
「おっとと!」
 それはカルザスの足元に転がり、可愛らしい悲鳴をあげた。見れば年端もいかない幼児で、ホリィアンとよく似た榛色の髪に、クリクリとした大きな瞳。見るからに愛らしい幼児だ。
 丈の短いズボンから覗く可愛らしい膝小僧が少し赤くなっている。
 幼児はカルザスを見上げ、そして次に赤くなった自身の膝とを見比べる。すると、じわっと涙を浮かべ、突然感情が破裂したように泣き出した。
「えっ、あっ……す、すみません! 大丈夫ですか? 泣かないでください」
 カルザスがオロオロしながら幼児を宥めるが、幼児はますます激しく泣きじゃくる。この年代の幼児が泣く理由は理屈ではないのだ。感情のままに、泣きたいから泣く。
「何やってんだよ、カルザスさん」
 呆れたように苦笑しつつ、レニーは幼児の前にしゃがみ込んだ。そして優しく頭を撫でてやる。
「いきなりぶつかってびっくりしたんだよな? それでちょっと膝打って、それが思ってたより痛かったんだよな? 大丈夫、痛いのはすぐ消えるし、このお兄ちゃんも怖くない。怒ってないからね」
 レニーが優しく何度も幼児の頭を撫でて、指先で涙を拭ってやる。すると次第に泣き止み、ヒックヒックとしゃくりあげながらも、つぶらな瞳で彼を見上げた。そして泣いたことを隠すかのように、突然顔をぎゅっとレニーの胸に押し付けてしがみ付いてくる。
「あはは。泣いちゃったの、恥ずかしかった?」
 レニーが問いかけると、幼児は顔を隠したまま小さく頷いた。
「はぁ、よかった……小さい子を宥めるの、お得意なんですね」
「うん? 前に言ったことなかったっけ? おれもシーアも、子供好きだって。だからチビ達の気持ちは結構分かるつもりだよ」
 腕の中でしゃくりあげている幼児の背をポンポンと優しく叩きながら、レニーは感心したように立ち尽くしているカルザスを見上げた。
「そういえば以前、聞いたことがありましたね。いや、しかしお見事です。あっという間に泣き止みましたよ」
 カルザスとて子供は嫌いではないのだが、幼い子供が周囲にいる環境になかったため、どう接していいのか分からなかったのだ。
「パルー! どこにいるのー?」
 曲がり角から、ホリィアンが現れた。
「あっ、カルザスさん、レニーさん……パルも!」
 ホリィアンが、レニーの抱く幼児の姿を見て声をあげる。どうやら彼女と関係のある子供らしい。
「親戚のお子さんか、ご近所のお子さんですか?」
「ええ。この子はパルチェットといって、父の姉の子なんです。ちょっと事情があって、うちで預かってるんですよ」
 この幼児から見れば、彼女は伯母に当たるということか。
「ねぇパル。どうして泣いちゃってるの? お客さまにこんにちはって、ご挨拶はした?」
「それ無理だよ、ホリィ。そこ曲がった時にカルザスさんにぶつかって転んじゃってさ。今、大泣きしてたトコ」
「もう、パルったら! はしたなく走り回ってるからよ」
 パルチェット──パルをレニーから引き離そうとしたホリィアンの手を、パルは乱暴に振り払う。
「どうした? お姉ちゃんが迎えにきたよ?」
 パルは顔を真っ赤にして、レニーにしがみついている。
「もう、パル。レニーさんが迷惑してるじゃない。ええと、お話はもう終わられたんですよね? じゃあパル。お二人をお見送りしたら、また遊んであげるから、レニーさんから離れるの」
 ホリィアンの言葉に、パルはびくっと体を強張らせて、まっすぐレニーを見上げてきた。クリクリとした大きな瞳に、彼の秀麗な顔が映る。
「……このおうちのひとじゃないの?」
 舌足らずなたどたどしい言葉で、レニーに問いかけてくるパル。
「うん。今度からこっちのお兄ちゃんと一緒に、ホリィのお父さんの仕事を手伝うんだけど、おれもこのお兄ちゃんもこの家には住んでないんだ」
 レニーが答えると、パルは再び目に涙を浮かべて彼にしがみついた。
「かえっちゃやっ!」
「え?」
「パル?」
 ホリィアンが驚いてレニーの傍へ膝をつき、パルの顔を覗き込む。
「どうしちゃったの、パル? いつもはすごく人見知りして、初めて会った人にワガママなんて言わないのに」
「パルチェットさん? にも、レニーさんが子供好きだというのが分かるのかもしれませんね」
「そうなんですか? レニーさんって、小さい子がお好きだったんですか?」
「ん、まぁね。シーアは孤児院育ちだし、おれと出会った後も孤児院で暮らしてたから、おれもそこに出入りしてる内に、なんとなく子供のことが好きになってたかな」
「そうだったんですか。ねぇ、パル。また今度、お二人に遊びにきていただくから、今日はさよならしなさいね。お二人とも忙しいんだから」
 ホリィアンがパルの脇に手を差し入れて引き剥がそうと試みるが、パルは嫌々と首を振る。
 カルザスはくすくすと笑った。
「すっかり慕われてしまいましたね」
「そうみたいだね。ねぇホリィ。よかったらおれ、しばらくこの子の面倒見てようか? カルザスさんも、今日はこれから特に用事はなかったよな?」
「そうですね。お店の片付けも、今日すぐできる訳ではありませんし」
「そんな! いろいろお忙しいのに子守を押し付けちゃうなんてできませんよ!」
 ホリィアンがますます暴れるパルを、力づくで引き剥がそうと試みている。どうやら彼女はわりと力技で子守をしているようだ。意外な一面かもしれない。
「大丈夫だよ。おれがパルチェット? パル? の面倒見てる間、ホリィはカルザスさんと、ちょっとそこら辺を散歩でもしてくればいいじゃん」
「えっ……」
 ホリィアンの顔が見る間に赤くなり、カルザスも狼狽えている。
「さて、と。パルでいいかな? じゃあおれと一緒に庭で遊ぶか」
「うん!」
 レニーがパルを抱いて立ち上がった。
「じゃホリィ。そういうことで、おれ達はしばらく庭にいるよ。二人が帰ってくるまでいるから、楽しんできなよ」
「あ、はぁ……あの……ホリィさん、どうしましょう?」
「えと、あの……カルザスさんがご迷惑じゃなければ……ぜひ……」
「で、では行きましょうか」
「はい」
 本当の意味で二人きりで過ごすのは初めてかもしれない。カルザスとホリィアンは、多少ぎこちなく、レニーとパルを残して玄関ホールへと向かった。


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