砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     9

 少し大きな町医者は、患者を入院療養させるための施設を備えていた。ホリィアンとマクソン、アイシー、そしてカルザスはそこへ運ばれ、メイシードルの摂取量が少なかったホリィアン以外の三名は、その日の内に帰された。
 後日、回復したカルザスとレニーが、ホリィアンを見舞うため、その医院を尋ねる。
「わぁ! 来てくださったんですね! ありがとうございます!」
「ホリィさん、もう起き上がっても大丈夫なんですか?」
「はい! あ、もう少し安静って言われてます」
 小さく舌を出し、彼女は手にしていた本に栞を挟んで枕元へ置いた。
「カルザスさんも毒を食べたんですよね? それにレニーさんは悪い人と戦って怪我をしたって聞きましたけど……もう大丈夫なんですか?」
「僕は成分の薄い部分を少ししか食べてなかったようで、すぐ良くなりました」
「おれはこめかみをちょっと割っただけだから」
 レニーは額に巻かれた包帯にそっと触れた。
 安堵した様子のホリィアンを見て、逆に二人の方が、わだかまっていた気持ちがすっと消えていった。彼女の安否が気が気でなかったのだ。
「わたし、食い意地が張ってるから、毒をいっぱい食べてしまったんですよね?」
「そうじゃないよ。メイシードルって毒は水溶性じゃないから、食べ物のソースなんかに混ぜてもその濃度に違いが出来るんだ。ホリィの皿にたまたま濃い部分が入っただけで、ホリィの食い意地がどうとかって問題じゃないよ」
 レニーがそう説明してやると、彼女は軽く周囲を見回して、声を潜めた。
「……そういう知識も、過去の経験から培ったものですか?」
「そ。ホリィの両親には、おれは薬学全般詳しいってことになってるけどね」
 レニーがそう口にすると、隣でカルザスがこくりと頷いた。
「とっさにいい言い訳が思い浮かばなくて」
「あながち間違いじゃないよ。人体に害のある毒物に詳しいってことは、つまりその反対である解毒に関しても詳しいってことだしね」
「じゃあこれからは、お薬のことはレニーさんに聞けばバッチリですね」
 人体に害を与える毒物に詳しいという歪んだ知識を、良い方向へ捉えた彼女の言葉。そんな健気な彼女を見つめ、カルザスは不意に神妙な顔つきになり、ホリィアンに向かって深々と頭を下げた。
「ホリィさん、すみませんでした。あなたを護りますと言っておきながら、今回の失態。本当に申し訳ありません」
「お、お顔を上げてください! カルザスさんは何も悪くありませんよ! 元はといえば、うちを狙った悪い人たちの企みに、お二人を巻き込んでしまったわたし達が悪いんですもの!」
「いえ、ホリィさんに落ち度はありません。前の誘拐未遂の時、もっと深く原因を追求してあの者たちを拘束しておけば、今回のことは起こらなかったかもしれないのですから」
「で、でもこの前も今回も、わたしはお二人に助けられましたよ? カルザスさんが謝ることじゃないです」
「でもそれでは、僕の気持ちが治まりません」
 頑固で生真面目なカルザスの態度に、ホリィアンは困り果ててレニーを見る。レニーも申し訳なさそうに、伏せ目がちに顔を背けていた。
「じゃ、じゃあこうしましょう。お互い、気が回らなくて、お互いが悪かった。つまり痛み分けってことにしませんか? どっちも悪くなかった、じゃ、わたしも気持ち悪いですし、どっちも悪い、だったら、これからお互い気を引き締めましょうって気になりませんか?」
「……ホリィさんがそこまで仰るなら……釈然とはしませんが……」
 カルザスはレニーと頷き合う。
「これからは、もっと気を引き締めていきます」
「はい。そうしましょう」
 カルザスはまだ不満そうだったが、ひとまず納得したようだ。
 少々気まずい空気になってしまい、ホリィアンは小さく睫毛を震わせて自分の周囲を見回した。そしてサイドボードに置いてある花束に気がつく。
「カルザスさん。さっきお友達からいただいたお花なんですけど、わたし、まだ一人で出歩いちゃいけないので、よければ花瓶を借りて活けてきてくださいませんか?」
「ええ、構いませんよ」
「それならおれが行くよ」
「いいえ、カルザスさんにお願いしてるんです」
 珍しくホリィアンは、強気な意見を口にした。
「承知しました。では、行ってきますね」
 そのことに疑問すら抱かず、花束を受け取ったカルザスは病室を出て行く。
「せっかくカルザスさんと二人きりになれるチャンスだったのに」
「いえ。レニーさんにお話があって」
 ホリィアンはレニーを見上げ、傍に来てほしいと手招きする。なんとなく気まずく、彼は彼女のベッドの横でやや距離を取りつつ、話を聞きやすいよう屈み込んだ。
「倒れたわたしを介抱してくれたのは、レニーさんだって聞きました」
「あ、うん。カルザスさんも毒で動けなかったからね」
「それには感謝してます」
 ホリィアンは唇を尖らせ、レニーを軽く睨む。
「で、でも。助けるためだからって、カルザスさんの前で、く、口移しでお水を飲ませてくれるなんて……ちょっと配慮が足りないんじゃないですか?」
「うわ、やっぱそれかぁ……」
 レニーは包帯の上から頭を掻いた。
「確かにレニーさんがお水を飲ませてくれなかったら、わたしは死んじゃってたかもしれませんけど、でも……でも……カルザスさんの前でなんて酷いです。は、初めてだったんですから」
「うん。そうかもしれないかなーとは思ったんだけど、ほら、緊急事態だったから仕方なく……って、ごめん。これしか言えない」
 レニーは困り果てた様子で、ホリィアンから視線を外した。若い女の子の恨みはやはり面倒で厄介だ。
「本当に悪いと思ってます?」
「思ってる思ってる。少々強引に口をこじ開けて、ざばーっと水を流し込んだら良かったかなってくらいには」
「ううー、それもなんだかイヤですぅ……意識がなくても、そんなはしたない姿をカルザスさんに見せたくないですぅ……」
「はぁ……おれにどうしろって言うの? お詫びなら何でもするから勘弁してくれないかな」
「本当に何でもしてくださいます?」
「するよ。とびっきり手の込んだアクセサリーでも作ってプレゼントしようか?」
 レニーがホリィアンを見ると、彼女はニッコリと微笑んで、頬を微かに上気させた。
「そういうのはいらないです。だから、協力してください」
「協力?」
 ホリィアンが人差し指を唇に当てる。
「カルザスさんが、わたしにキスしてくれるように、取り計らってください」
「……は?」
 彼女の突拍子もないおねだりに、レニーはぽかんと呆けて口を薄く開く。
「なんですか? イヤだって言うんですか? 何でもするって言いましたよね? やっぱり適当なでまかせで、嘘だったんですか?」
 ホリィアンが咎めるような口調で言うと、レニーはふふっと笑ってベッドへ腰掛けた。
「分かった。あの堅物の坊っちゃんをどうにか焚き付けてみるよ。でもちょっと時間をくれ。じわじわ攻めるから。いきなりほいっと放り出しても、あの人は返って警戒するからさ」
「はい! ありがとうございます!」
 ホリィアンは両頬に手を当て、嬉しそうに笑った。
「でもホリィもそういうこと、考えるんだね。タイプ的にカルザスさんと似てるから、そういうことはあんまり考えないと思ってた」
「わ、わたしだって、もうそういう歳ですもの。いつまでも子供じゃありません」
 少し拗ねたように頬を膨らませる。そういった仕草が、まだまだ幼いとも言える。
「でもわざわざおれに協力仰がなくても、ホリィが直接おねだりすれば、カルザスさんだってその気になってくれそうなもんだけどね」
「わたしから行動を促すのが恥ずかしいから、レニーさんに協力をお願いしたんです」
 彼女はぷうと更に頬を膨らませる。
「でもなんでおれなの? 確かにいつもカルザスさんにベッタリだけど、他に頼れる人だっているじゃん。ハンナさんとか適任じゃない? 押し強いから」
「ハンナさんも頼りになりますけど、ちょっと違うんです。こう言うとレニーさんは怒るかもしれないんですけど、すごく話しやすいんです。ちょっと年上のお姉さんとか友達と話してるみたいな気がして」
 レニーは一瞬きょとんとしたが、すぐにふふっと笑った。
「やっぱり変でしたか?」
「いや、全然。至極マトモで的確」
 レニーは足を組み、膝を両手で支える。
「ウラウローで姿偽ってた時、おれは旅人なんかが集まる酒場とかで詩人やってたんだ。そこには踊り子やってる女の子もいてさ、その子達にも、おれは気さくな姉さんみたいで話しやすいってよく頼られてたよ。偽りの姿なのにね」
「やっぱりレニーさんって、頼りになるって思われてたんですね。えーと……姉御肌?」
「あははっ。女装してたからソレだね。でも今はカルザスさんに寄りかかってるから、頼られる立場が逆転してるけどね」
 ホリィアンがおかしそうに笑った。
「じゃあこれからも、いろんな相談に乗ってもらえますか?」
「それじゃダメだろ。おれの方ばっか向いてたら、カルザスさんがヤキモチ妬くぞ」
「……え、あ……じゃあ……口移しの時も、カルザスさん、ヤキモチ焼いてくれました?」
「平静を装ってはいたけど、ちょっと怒ってたかな」
 そう教えてやると、彼女は照れくさそうに、だが嬉しそうに破顔する。
「おや。何だか楽しそうにお喋りしてますね」
 花瓶を抱えたカルザスが戻ってきた。
「ま、ね。ホリィがおれのこと、女友達みたいだって言うから、ちょっと話に付き合ってた」
「そ、それは違……っ!」
「レニーさんは元詩人さんでお話上手だから、話していて楽しいですよね」
 能天気にレニーの言葉をそのまま受け取ったカルザスは、花瓶をサイドボードに飾り、花の向きを整える。
「レニーさん……」
 ホリィアンが小声でせっついてくる。レニーは小さく首を振り、さらに小声で囁く。
「今はそういうタイミングじゃないって。約束は守るから、もうちょっと待ってな」
 ホリィアンは少々不満そうに頷く。
「お体に障るといけませんから、今日はこれで帰りますね。また来ます」
「え? 帰っちゃうんですか?」
 ホリィアンが残念そうにカルザスを見上げる。
「近い内に、マクソンさんに相談がありますので、また寄せていただきます」
「はい……じゃあ、お気をつけて」
 名残惜しそうに二人を見送り、しかしレニーはカルザスに気付かれないように、片目を瞑って彼女に合図した。任せておけ、と。


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