砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     7

 マクソンが予約を入れた少々畏まったレストランで、アイル夫妻とホリィアン、そしてカルザスとレニーは初めての夕食会という名目の交流を深める。
「本日はお招きにあずかりまして、大変恐縮です」
「そういう固い言葉遣いはもう結構よ。あなたはいずれ、私たちの息子になるんですから」
 アイシーが朗らかに微笑む。
「あ、はい。すみません。慣れないもので……」
 カルザスは隣のレニーを見ると、レニーも少し緊張している様子だった。
 前菜からスープと、コース料理は進み、給仕の女性達が、五人の前にメインディッシュのローストビーフの皿を並べていく。レニーは少し戸惑いながら、給仕の女性の前に手を出した。
「すみません。おれ……じゃない。私は肉や魚が苦手なので、このお皿は遠慮させてください」
「レニー君は肉がダメなのか?」
 マクソンが物珍しげにレニーを見つめ、問いかける。彼は萎縮したように肩を竦め、小さく頭を下げた。
「食べられないことはないんですが、基本的に体が受け付けなくて。無理に食べると、後で体調を崩すことがあるんです」
「あっ、ごめんなさい! 先に言っておくのを忘れてました!」
 ホリィアンが口元に手を当てて、申し訳なさそうにレニーを見る。レニーはううんと首を振った。
「ホリィが謝る必要ないよ。これはおれの偏食が悪いんだしね。マクソンさん、食事の席での失礼をお詫びします」
「では何か代わりの物を急いで作らせよう」
「あ、いえ、お気遣いなく」
 レニーは遠慮したが、マクソンは野菜を中心とした料理を出すように、給仕の女性にすぐ指示した。
 レニーを除く全員がローストビーフに手を付け始めた頃、レニー用の根野菜の焼き物《ポワレ》が彼の前に運ばれた。
「すみません。では遠慮なくこちらをいただきます」
 レニーは先にマクソンに詫びてから、自分の前に置かれた美しく彩り溢れた皿を見て、フォークを手にした。

 ──カシャン

 誰かが銀食器《シルバー》を落とした音が響いた。そちらに目を向けると、ホリィアンがひどく青褪めた顔で、震える手をテーブルに添えて、はぁはぁと肩を上下させている。
「ホリィさ……」
 カルザスが声をかけようとすると、彼も腹の底から嘔吐《えず》くような酸い何かがこみ上げてくる感覚に見舞われ、口元を押さえてテーブルに片手を付いて体を支える。酷い吐き気。そして手先の僅かな痺れ。
「カルザスさん? ホリィ?」
 レニーが驚いて二人を見ると、マクソンとアイシーも苦しげに口元を押さえていた。
 ゾクリ、と、レニーの背筋を冷たいものが駆け上がる。同時に、胸の奥に潜んでいた鋭敏過ぎるほど研ぎ澄まされた感覚が呼び起こされた。
 レニーは素早く立ち上がり、カルザスの傍に歩み寄って、彼の前にある皿を見る。
 前菜やスープの時に彼らには異常は表れなかった。そしてそれらの皿はもう下げられている。今、テーブルの上に乗っているのは、メインディッシュとパン、飲み物のグラスのみ。ならば……と、ローストビーフの皿のソースを指先に絡め、舐めてみた。
「レニー……さん……?」
「……吐いて。吐けるなら吐いて! ホリィもマクソンさんもアイシーさんも! 吐けないなら水飲んで!」
 有無を言わせぬ剣幕で、レニーが皆に向かって叫ぶ。
 ガタンと、ホリィアンが椅子から滑り落ちた。意識が失《な》くなったのか、だらりと伸びた腕が痙攣している。
「レニー、さん……これは、何事ですか?」
 カルザスがグラスの水を飲みながら、問いかける。
「毒だ。ソースの中に、少しだけど毒が混ざってる。摂取量によっては、意識が戻らなくなる可能性もある。死に至るものではないけど、口にした量によっては……」
「なぜ……毒なんて……」
 マクソンが蒼白な顔をして、グラスの水を飲む。
「ホリィ、しっかりして!」
 レニーはホリィアンに駆け寄り、首元の脈を確かめた。
「ホリィ、おれが分かる? 意識があるなら何か反応して」
 彼女の背に腕を回したまま、レニーは彼女の頬を小さく叩く。だが彼女は目を開かない。
「レニーさん、ホリィさんは?」
 カルザスがテーブルを支えにして近付いてきた。
「メイシードル。この毒は液体と混ざりにくくて、ソースの中に混ぜ込んだとしても、成分の濃い部分と薄い部分が出るんだ。ホリィの皿には、おそらく濃い部分が当たったんだと思う」
「聞いたことのない名称ですね」
「ああ。ウラウローみたいな年中暑い国では栽培に向いてない。ミューレンみたいに寒暖のはっきりした国ではよく発育するんだ。だからこっちではよく出回ってるんだろう」
 レニーはホリィアンの口を指先で僅かに開き、グラスの水を少しずつ垂らした。だが彼女の口は水の侵入を拒絶する。
「レ、レニー君……君はどうして、そんなに毒物に詳しいんだ? ホリィは助かるのか?」
 マクソンが摂取した量も大した量でなかったのだろう。レニーの行動に疑問を抱き、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 レニーは唇を噛み締め、マクソンにどう答えるべきか迷った。
「あっ、えっと! レニーさんは薬学に詳しいんです」
 カルザスが助け舟を出した。レニーはハッとして、カルザスを見る。そしてすぐマクソンに向き直って、小さく頭を下げた。
「マクソンさん、ホリィを助けるために、ちょっと失礼します」
 言うが早いか、レニーはグラスの水を口に含み、そのままホリィアンに口付ける。隣でカルザスが息を飲むのが分かったが、今は気にしている暇などない。
 口移しでホリィアンに水を飲ませていると、ゴボッと彼女が小さく噎せ返った。
「よし、ホリィ。おれだ。レニーだ。分かるなら指だけでも動かして」
 ホリィアンの手を握ると、僅かに指先が動いた。目は開いていないが、意識が戻ったらしい。ただ、返事をするまでの回復でないのは間違いない。
「カルザスさん、動ける?」
「は、はい。あ……ちょっと厳しいです。体が痺れていて……でも少しなら……」
「だったら、ホリィにもっと水飲ませて、飲み込んだ毒を薄めてやって。おれが行く」
 レニーはホリィアンの体をカルザスに押し付ける。
「ま、待ちなさいレニー君」
 マクソンがレニーを制する。
「一体どこへ行こうというんだい? ここはレストランのオーナーに任せておいた方が……」
「おれたちがこれだけ騒いでるのに、さっきの給仕の連中も誰もこの部屋に来ないのはおかしいと思いませんか? もし本当に気付いてないとしても、コース料理の途中で、給仕が皿の様子を見に来ないなんてありえない」
「それは……まさか……」
「このレストラン自体がおかしい。おれ、ちょっと様子を見てきます」
 レニーは頑丈な作りのドアに手を掛けるが、鍵が締められているのか開かない。
「チッ、やっぱりね」
 レニーは鍵の掛かったドアをガチャガチャと引っ張る。
「ねぇカルザスさん。無理を承知で聞くけど、ホリィ達とここ、任せられる?」
「なんとかします」
 カルザスは懸命に奮起して、ホリィアンを抱いたまま立ち上がった。
「閉じ込められたのか? ではどうやって……」
「まだ抜け道はあります。すぐ戻りますから」
 レニーは窓を開け、桟に足を掛けた。
「ま、待ちなさい! ここは三階だぞ? 窓の外には出られな……」
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
 レニーはマクソンの静止を振り切って、窓の外へと飛び出した。マクソンが慌てて窓に張り付いた時には、もう彼の姿はどこにも無かった。階下へ落ちた形跡もない。
「カルザス君。レニー君は一体……」
「え、ええと、その……レニーさんは、人よりちょっと身軽、といいますか……う、その……あははー、どうしてなんでしょうね?」
 事実は言えない。さすがにこればかりは、しどろもどろに逸《はぐ》らかすしかなかった。


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