砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


   変化

     1

 アイル邸から町のメインストリートまで出る道は、アイル家の私有地であるため、少々人通りが寂しい。
 そこでレニーは異変を感じ取った。
「……ふむ……違うな。カルザスさん、恨まれる覚えは?」
「差し当たって思い当たりませんが」
「ホリィは?」
「え、あ、はい? 突然、意味がよく分からないんですけど……」
 レニーが小声で彼女に耳打ちする。
「つけられてる」
「えっ? もしかして……」
「いや、〝あいつら〟の気配じゃない」
 危機察知能力がずば抜けて高いレニーが、きっぱりと断言する。
「狙いがおれじゃないとすると、商売してるカルザスさんか、名士の娘のホリィのどっちかなんだけど」
 ホリィアンが怯えたような目でレニーを見上げた。
「レニーさん、数は分かりますか?」
「待って……ん、四人、かな」
「長剣は置いてきちゃいましたから、何か代用できるものがあればいいんですが……」
 普段着ている衣服なら、ベルトの後ろに護身用の小剣を挿しているのだが、今日はマクソン達に会うため、その小剣はおろか、武器の類《たぐい》は一切持ってきていない。
「剣の代わりって、長い棒……例えば角材とかでも大丈夫ですか? 剣みたいに斬ったり薙いだりはできませんけど……」
「ええ、ある程度の強度と重さがあれば問題ありません」
「じゃあこっちに建て替え中の家の材木置場があります」
 二人を信じるしかない。つい先程、カルザスはホリィアンを護ると、父親に誓ったばかりなのだから。彼女はそう気持ちを奮い立たせて、材木置場のことをカルザスに告げた。
「人払いも出来そうでいいですね。ではそちらへ」
 三人は固まって、彼女の案内する材木置場へと移動する。カルザスは現場に到着すると、さっそく手頃な角材を探し始めた。
「レニーさんはえっと……」
「おれは素手で大丈夫だよ」
「ふふっ。レニーさんに武器を持たせる方が、返って危険ですよ……あいたっ」
 カルザスが冗談めいて言った瞬間、レニーが彼に肘打ちを入れた。
「いたた……ホリィさんは僕の傍を離れないでくださいね。必ず護りますから」
「おれは誰かを護りながら戦うってのが苦手だから、ホリィはカルザスさんの傍を離れないように。ほい、来たよ」
 レニーが顔を横へ向けると、足音を忍ばせてつけてきていた男達四人が、さっと三人を囲った。
「いい男二人を侍《はべ》らせて、気分上々かい、アイル家のお嬢ちゃん?」
「わ、わたし?」
「狙いはホリィみたいだね」
 狙い《ターゲット》が分かれば、カルザスとレニーのすべきことは明確だ。ホリィアンを傷一つ付けず、護り抜けばいい。
「レニーさん、半分お任せできますか?」
「半分って、二人相手にするってことですか? でもレニーさんは個人戦は強いけど、複数相手は苦手って……」
「余裕」
 レニーが肩にかけていたショールを取った。
「あんな雑魚《ざこ》、数に入らない」
「では僕の方が終わり次第、援護に向かいます」
 カルザスは手頃な重さの角材を手に、いつもと変わらない温厚な笑みを浮かべている。
 レニーはショールを取って、すっとホリィアンに手渡した。
「ホリィ、持ってて。でも汚したら、あとで頭コツンな」
「あ、はい!」
 ホリィアンが大切そうに、レニーのショールを手にする。
「まぁ、お金目的の誘拐ってところでしょうか。でもこの女性《ひと》は僕の婚約者なので、お渡しできません。申し訳ないのですが」
「なんでわざわざ謝ってんのさ? いつもながら言ってることが、本気か冗談か訳分かんない人だよね、カルザスさんって」
 レニーは少々呆れつつも、カルザス達から少し離れて腰を落とし、スッと片手を構えた。
「はぁっ? ざけんじゃねぇよ、優男共が!」
 男達が一斉に飛びかかってきた。ホリィアンが短く悲鳴をあげて身を竦ませると、カルザスは彼女の腰を抱えてさっと最初の一撃を避けた。
「うわ、雑魚っぽいセリフ」
 揶揄してやると、男の一人がナイフを掲げてレニーに飛びかかってきた。だがレニーは嘲笑し、軽く地面を蹴る。
 軽く蹴ったように見えたのは、男達とホリィアンだけだったようで、レニーは軽々と彼らの肩を蹴って踏み台にし、その頭上を飛び越えて、後方へと着地した。
「わ、すごい……」
「レニーさんの身軽さは、初めて見るとちょっとびっくりしますよ」
 カルザスが腕の中のホリィアンににこりと微笑みかける。
「レニーさん、力加減は気をつけてくださいね!」
 そう叫び、カルザスはホリィアンを離して背後に匿った。そして角材を剣のように構える。
 カルザスに向き合っている男が持っている獲物も角材のようだ。カルザスは一瞬の隙を見抜き、角材を真一文字に振るう。男は手にしていたもので、それを防いだ。
「おや、意外とやりますね」
「スカしやがって……!」
「少しは手加減してくださいよ。こっちはたった二人なんですから!」
 カルザスは再び、角材を一閃した。そのまま重心を移動させ、ぶつけ合った互いの獲物の支点に力を加え、腕力だけで相手を押し返す。
 カルザスの意外な剛力に、ホリィアンは声もなく驚いていた。反対側ではレニーが奮闘している。
「こいつ! 女みたいにヒョロヒョロしてるくせに!」
 レニーに掴みかかってきた男を、レニーは身を捩って避ける。そして振り返り様、素早く回し蹴りを食らわせた。男が顔面から地面に叩き付けられる。
「ぐえっ!」
「動かないでくれる? うざってぇから」
 レニーは男の足首を掴み、関節とは逆方向へと捻った。男の絶叫が辺りに響き渡る。
「レニーさん、ダメですよ!」
「これ以上、無意味に動かれるとうざってぇから、足折っただけ」
 彼は簡潔に言う。人の足の骨を素手で折るなど、そんなに容易いことなのだろうか。残った男達に緊張が走った。
「もう……折っちゃったら、完治まで時間がかかるじゃないですか。可哀想です」
「情け無用」
 カルザスとレニーは、緊張感のない能天気な会話を交わしながら、易々と男達の相手をしている。そんな二人を見て、ホリィアンは完全に言葉を失っていた。
 この二人の戦いにおける実力は、自身の想像を逸脱している。そんな二人に自分は護られているのだ。信じる信じないという次元ではなく、絶対的な安心感を与えてくれるのだ。このならず者達とカルザス達二人では、経験してきた修羅場の数が違い過ぎる。まさに大人と赤子だ。
「お前ら……只者じゃねぇな?」
「只者ですよ? 元傭兵ではありますが」
「おれは、ご想像にお任せしますってことにしといて」
 レニーがカルザスの少し後ろへやってきた。どうやらホリィアンが見ていない間に、二人目の男を戦闘不能に追い込んでしまったらしい。道場等の模擬戦でない戦いの経験がない彼女では、二人の奮闘ぶりを同時に目で追うことは不可能だった。
 どうやったのかは見ていないので分からないが、やはり暗殺者だったという過去を持つ彼の身体能力は、相当なものなのだろうと、容易に察せられた。カルザスが褒めるほどなのだから。
「あちらが主犯格のかたのようです」
「こいつらよりマシっぽいけど、弱いね」
「レニーさん、しばらくホリィさんをお任せできますか?」
「了解。これ以上やったらおれ、ヤバそうだし」
「そうだと思いました。ではすぐ終わらせてきます」
 カルザスはホリィアンをレニーの方へと押しやる。彼女はハッと我に返り、レニーを見上げた。
「カルザスさんを手伝ってあげてください! まだ二人もいるんですよ?」
「大丈夫。カルザスさんを信じてやりなよ。それにさ、カルザスさんは、おれをこれ以上戦わせないようにしてくれたんだぜ」
「どうしてですか?」
 レニーが目を細めてカルザスの背を見つめる。
「これ以上やったら、おれはカルザスさんとの約束を破りそうだから」
「どういう意味ですか?」
「〝あっち〟のおれが目覚めそう、って言ったら分かる?」
 分からなかった。だが、レニーの握り締めた手が僅かに震えていることに気付いた。
「……これ以上、いくら弱っちくとも、こいつらみたいな奴らの相手してたら、おれはたぶん相手を殺す。もうおれは誰も殺したくないし、誰も殺さないって約束をカルザスさんとしてるんだ。ホリィはその約束を破らせるつもり?」
 ホリィアンはぶんぶんと首を振った。ようやく意味が分かった。だからレニーの意思は尊重してあげたい。ならばカルザスを信じて待つだけだ。
「参ります!」
 カルザスが角材を構え、一足飛びに男に向かって飛び込んだ。そして一閃。男の体が吹き飛ばされ、建替え中の家の壁にぶつかった。カルザスは踵を返した勢いで、もう一人の横っ腹を突き上げる。一切の、手加減無しで。
 勝負は一瞬で決着した。


     5-7top6-2