砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     6

 重厚な作りの応接室で、こざっぱりしたジャケットを羽織ったカルザスが、緊張した面持ちでソファに腰掛けている。その隣には、薄いショールを肩にかけたレニーが、カルザスと同じような固い表情でおとなしく膝を摺り合わせていた。
 応接テーブルの向かいには、紳士然とした男性と、おっとりした女性。ホリィアンの両親だ。
 ホリィアンは双方のお茶の準備をしている。
「あ……はじめまして。カルザス・トーレムと申します。ええと……こちらは同居人であり、僕の家族、というか、〝弟〟のレニー・ティリさんといいまして……」
「は、はじめまして。レニー・ティリです」
 カルザスは強張った表情と声音で、自己紹介とレニーの紹介をする。レニーも緊張のあまり、名乗るだけで精一杯だった。
 もともと詩人で人前に出ることを苦としないはずの彼だが、この状況ではさすがに平然としている訳にはいかない。なにせ今の自分は、カルザスの〝荷物〟なのだから。
「ホリィアンの父、マクソン・アイルです。こちらは妻のアイシー」
「はじめまして。お二人のお話は、ホリィからよく伺っています」
「それは、はい……」
 息の詰まりそうなピリッと張り詰めた空気。最初は呑気に構えていたホリィアンも、不安そうにアイシーの隣に腰を下ろした。
「一度きちんとお話してみたかったのですよ」
 アイシーが柔らかく微笑む。温厚なカルザスに更に輪をかけた柔和そうな、おっとりした婦人だった。
「さっそく確認というか質問だが……」
 マクソンの言葉に、カルザスの心臓が跳ね上がる。
「ホリィは私たちのたったひとりの娘でね。それはそれは大切に育ててきた。カルザス君、君は娘を幸せにしてやれる自信はあるかね?」
 マクソンがほんの一瞬、レニーの方を見た。彼もその視線に気付き、僅かばかり視線を隣にいるカルザスに移す。
 マクソンにしてみれば、娘を嫁に出すからには幸せになってもらいたいという、父親として当然の願いがある。だが事前に当の本人から、カルザスにとって最も大切なのは自分ではなくレニーなのだと聞かされており、事情を知らない者からすれば、レニーという存在が、この場の純然たる不協和音としてあるのは明白だった。
「……嘘を吐くことは苦手ですので、はっきりお答えさせていただきます」
 カルザスが深呼吸して、小さく息を吸った。
「ホリィアンさんを幸せに、とのことですが、できますとは断言できません。ですが、出来るよう最大限の努力はします。いえ、させてください。それから……彼女からも聞いておられると思いますが、僕には何より優先しなければならない使命があります。ですからホリィアンさんとのことを了承いただいたとしても、彼女を最優先にすることはできません。それだけは先にお詫びしておかなければいけませんし、この命を差し出してもお許しいただかなければならない事案ではあります。こればかりは頭を下げるしかできません。本当に申し訳ありません」
 緊張した表情とは裏腹に、カルザスははっきりと告げた。何一つ〝嘘〟は吐いていない。ただあるがまま語っただけで、容易に真実に近付けない言葉を選んだだけだ。
「彼、かね?」
「はい」
 レニーはマクソンの鋭い視線に耐えられず、体を固くして、ぐっと目を瞑る。身を切られるような視線を感じる。
「ここで精神論を論じるつもりはありませんが、僕と彼の心は二人で一つなんです。生まれた場所も育った境遇もまるで違いますし、出会ったのも偶然です。けれど僕は彼を、生涯護っていかなければならない使命があります。この世でただ二人だけの家族のようなものなのです。彼は僕の弟という存在以上のものであり、僕の魂そのものです。これはホリィアンさんを愛しく想う気持ちとは別のものであり、僕は何があろうと、レニーさんとホリィアンさん、二人を護り抜くことをここに誓います」
「異国の信仰や教えに、スピリチュアルソウルとかいう魂の繋がりのような存在があるというが、君と彼はそういった関係である、ということかね?」
「マクソンさんは博識でいらっしゃるので、僕はその言葉を知りませんでした。おっしゃることは、似て異なるものですが、一番適切な例えだと思われます」
 マクソンがアイシーと見つめ合い、頷き合う。
「それは娘を幸せにするという答えになっていない。ただの君の信念だ。もっと深い事情があるのだろうが、それを話してもらう訳にはいかないのかね? この場で交わした話は他言無用にすると約束するが?」
「お父さん。何度も話しているように、私はカルザスさんが好きだし、レニーさんもお兄さんみたいに大切な人なの。心が固く結ばれているお二人を引き離すようなことはしたくないわ」
「しかしこれはお前だけの問題ではないのだよ、ホリィ」
 マクソンもカルザスも、互いに一歩も引かない。引けない。
「よろしいかしら。今は無理でも、いつか話してもらうという約束は難しいかしら?」
 おっとりとしたアイシーが妥協案を示す。
「お話したいのは山々ですが、これ以上はどうしても詳細を口にできないのです。申し訳ありません」
 カルザスが深く頭を下げると、それまで黙っていたレニーが勢い良く顔を上げた。
「あっ、あのっ! おれ……わ、私に問題があって兄は私を一人にしないという選択をしてくれました。私はもうこんないい大人ですけれど、でも兄無しでは一人で生きていくことができないほど、兄を頼り切っています。私にはどうしても生きていかなければいけない理由《わけ》があって、だけど一人で生きていくことができなくて……誰かに頼らなければ、弱くて生きることができなくて……」
 レニーの声が徐々に弱々しくなり、最後にはほとんど聞き取れなくなっていた。
「……私が……私の罪を償うためには……私の残りの命だけでは足りないくらいで……罪を……償うために……生き……なくては……」
「罪?」
 レニーが辛そうに話しているのを制し、カルザスが話に割って入る。
「僕が拾ったこの命は、誰のものでもなく、僕のものです。僕が手放さない限り、誰のものでもありません。僕が僕の意思で拾い、護ると誓った命は二つ。レニーさんと、ホリィアンさん。僕は何があっても、この二つを手放す気はありません」
「お父さん! カルザスさんは一度口にしたことを曲げるような人なんかじゃないわ! わたしは護られるだけじゃなくて、支える立場にありたいの。カルザスさんを支えて、レニーさんを支えて、三人で生きていきたいの!」
 我が娘の固い決心は理解していたつもりだが、今、改めてその意思の強さを知るマクソン。
 しばらく腕を組んで考え込んでいたが、ゆっくりと顔を上げて、カルザスを見た。
「カルザス君」
「はい」
「娘はまだ若い。今すぐ娘を託す訳にはいかないと分かってくれるね?」
「ええ。この町の名士でいらっしゃるマクソンさんからすれば、素性の知れない僕をすんなり信用していただけるとは思っていません。どうしてもご説明できない複雑な事情も抱えていますし、話せないことを僕ももどかしくは思うのですが……」
 マクソンはふいに、口元に笑みを浮かべた。
「いや、娘は君に託そうと思う」
「は? あ、はい。あの、光栄……ですが……」
 マクソンの醸す雰囲気がふっと和らいだ。
「君の誠実さはとても魅力的だし、好意的に思う。こうして話してみて、娘が君に惹かれるのは無理ないことだと分かったよ」
「は、はぁ。ありがとうございます……恐縮です」
「君たちが話せない事情を考慮した上での私たちの結論だ。それに私たちはまだ会ったばかりで、お互いの表面的な一部分を見たに過ぎない。これからは婿候補として、家族ぐるみの付き合いを、と考えているのだがどうだろうか?」
 マクソンが、長期間の付き合いの中から、彼らの秘密を探ろうとしているのは容易に察せられた。しかしカルザス達にとって、マクソンの提案はこれ以上ない、最高の歩み寄りだった。感謝してもしきれない程に。
「いえ! とても光栄に思います。ありがとうございます!」
 カルザスが慌てて頭を下げる。
「ではカルザス君、レニー君。これからは娘共々、私たちもよろしく頼む」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 レニーは頬を上気させ、隣で深々礼をしているカルザスに倣って、自分も深く頭を下げた。
 自分がいなければ、もっと容易にカルザスはホリィアンとのことを認められたのだろうと思うと、チクリと胸が傷んだが。
「彼……レニー君は、心に深い傷を負っていることが分かった」
「……っ!」
 レニーは怯えたような視線をマクソンに向ける。まさか正体を悟られたのではあるまいか。迂闊なことを口走っていないか、先ほどの自身の言葉を頭の中で反芻する。
「君の心のケアを、ぜひ私達も手伝わせてほしい。何か困ったこと、私達にできることがあれば、何でも相談してくれないかね?」
「……ありがとう……ございます……」
 レニーは両手を強く胸に押し付け、マクソンに深く頭を下げた。何も話せないことに対する詫びにもならないが、彼なりに最大限の感謝を込めた。
「お父さん、お母さん、ありがとう!」
 ホリィアンが嬉しそうに高い声を上げて礼を述べた。
「では今日は二人とも、ご足労いただいてすまないね。きちんと話せて良かったよ。今日はもう帰ってゆっくりするといい。緊張させて悪かったね」
「いえ、様々なお心遣い感謝いたします。お忙しいところ、お時間をいただきまして、ありがとうございました」
 マクソンの気遣いが、カルザスには嬉しかった。自分の誠意が少しでも伝わったかのようで、その成果が、家族ぐるみの今後の付き合いだ。
 最良の結果ではないか、今現在では最上の譲歩だ。
「ホリィ、お二人をお見送りしなさい」
「はい。行きましょう、カルザスさん、レニーさん」
 ホリィアンに促され、二人が席を立つ。
「ああ、最後に一つ」
 マクソンが片手を上げてカルザスを呼び止めた。
「私の勘違いかもしれないが、たしかウラウローには、かなり大きな商家のトーレム家という名があったと思うのだが、君はそこの関係者かね?」
 ドアの方を向いていたカルザスは、振り返って柔和な笑みを浮かべた。
「僕もお名前だけは伺ったことがありますが、同じ姓《なまえ》なだけで無関係ですよ」
「そうか、悪かったね。勘違いで呼び止めてしまって」
「いえ。では本日はこれで失礼いたします」
 ホリィアンに連れられて、二人は応接室を出た。


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