砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     3

「何から話すべきかな……」
「レニーさんがお辛いようでしたら、僕から話しますけれど……」
「いいよ。これはおれの問題だし」
 レニーはホリィアンの淹れたお茶を一口含み、ゆっくりと飲み下した。
「やっぱりこれを最初に言っとかないと、後々、説明が面倒か……」
 レニーが何を言わんとしているかを瞬時に悟り、カルザスは不安げにホリィアンを見た。この最初の一言で、彼女はレニーを恐れてしまうかもしれないからだ。
 命のやり取り云々という世界を知らずに育ってきたであろう彼女に対して、レニーの生い立ちは想像を絶する衝撃となって、彼女を襲うだろう。おそらく、どんな惨たらしい真実ですら、淡々と、無感情に語るであろうレニーをフォローするための言葉を、カルザスは頭を捻りつつ、懸命に探した。
「ホリィ、おれの本当の正体を話すよ。おれはウラウローの暗殺者組織を束ねていた元締め代行であり、この手で何人も殺してきた薄汚い殺戮者なんだ」
「今はもう、そんな真似はさせていません! 何があろうと、僕がレニーさんの手を、血に染めさせるようなことはさせません!」
 まるで朝食の献立を話すように、淡々としたレニーの言葉が終わるや否や、カルザスが予め用意していたフォローの言葉を付け足す。彼の用意周到さに、レニーは内心、舌を巻く。途中で口を挟んでくるとは思っていたが、ここまで露骨に身を乗り出してまで、自身の盾になってくれようとは。
「レニーさん、が……人殺し……」
 あらゆる覚悟は出来ていると言ったが、さすがにこれは予測していなかったのだろう。ホリィアンの顔色が、一瞬で青褪めた。
「うん。人殺しだよ。沢山人を殺した。男も女も、年寄りも子供も、数え切れないくらい沢山、ね」
「けれどもう、レニーさんは改心され……っ!」
「カルザスさん。口を挟まないでくれ」
 レニーが鋭くカルザスに釘を刺した。ピリッとした空気が二人の間に走る。一触即発とも言える、互いを思いやりつつも、一歩も譲らないといった相反する空気。
「……分かりました。でもご自身を貶めるような発言をされたら、僕は黙ってはいませんから」
 カルザスはそう言い、一旦口を閉ざした。普段の温厚で柔和な笑みを絶やさないカルザスからは、想像できないほど、険しい表情でじっとレニーを監視している。カルザスは何度も口にしている通り、レニーを護るのだ。たとえホリィアンからの侮蔑や軽蔑の視線を浴びたとしても、彼はレニーを護る。そういう男だった。
「おれは暗殺者で、沢山の人を殺してきたけれど、暗殺者である自分に疑問を抱いていた。そこに現れたのがシーア。おれの惚れた女の子だった」
「……昨日の、ですよね?」
「ああ。シーアはおれの迷いをひと目で見抜いて、おれを暗殺者という世界から救い出そうとしてくれた。なんの権力も力もない、ただ非力なだけの女の子なのにだよ? そしておれはシーアと二人で生きる意義を見つけて……つまり、シーアがおれの子供を身篭ったことで、おれは暗殺者から足を洗おうと、二人でどこか遠くまで逃げて、子供を生んで、三人で慎ましく生きていこうとしたんだ。だけどおれは組織でかなり上の地位にいたため、逃げることは容易じゃなかったんだ」
「元締め代行って仰ってましたよね?」
「そう。おれはもともと孤児だったけど、拾って育ててくれたのが、当時の暗殺者の元締めだったんだ。つまりおれは唯一の跡継ぎで、組織の外に惚れた女が出来たからって、そう簡単に足抜けできるような立場になかったんだ。まぁ、たとえ下っ端だったとしても、暗殺者組織に一度頭《こうべ》を垂れたからには、そう簡単に足抜けなんてできないんだけどね」
 結束力が高いのではなく、足抜けさせて組織の存在や個人を口外されないようにするため、自分達の身を守るために、足抜けなどさせなかったのだと説明した。
 それだけ後ろ暗い、陽の光を浴びて生きていけない闇の中の組織なのだ、と。
 レニーが自虐的に微笑む。
「どうにか裏を掻いて、身重のシーアと二人で、暗殺者組織の中枢がある町を抜け出したまでは良かったんだけど、元締めや仲間たちに追いつかれて捕まってさ……おれの目の前で、おれに対する見せしめとして、シーアは殺された。まだ腹の中にいた、おれ達の子供も一緒にね。そしてシーアの遺体は、カブレアっていう、砂漠地帯に棲む肉食の蟲《むし》に食い尽くさせたんだ。カブレアの群がる穴にシーアと、シーアの腹から引きずり出された、まだ人の形にすらなってないセルトを放り込んで、おれにはシーアの死を嘆く暇も、遺体に縋って泣き叫ぶことさえ、許されはしなかった。暗殺者の組織を抜けるって禁忌《タブー》は、それだけの処罰をもってしても、まだ生ぬるいものなんだ」
 ホリィアンが口元を抑えて呻いた。
 人間を食らう蟲──想像しただけで、言葉を聞くだけで、怖気《おぞけ》が止まらない。そして胃からこみ上げる酸っぱいものが不快で堪らず、両手で口元を押さえて呻く。
「っう……くぅ……」
「レニーさん、少し待ってください」
「……んう……す、みませ……うっ……」
 カルザスがホリィアンを連れて、洗面台へと向かった。
 レニーはその間、ぼんやりと虚空を眺めて二人が戻ってくるのを待つ。感情の揺れはない。辛いとも苦しいとも感じていなかった。ただ過去に経験したことを、淡々と口にしていただけだ。
 まだ……大丈夫だ。感情に流されず、普通に話せる。
 戻ってきたホリィアンは酷く憔悴していて、胃の中身を全て吐いてしまったのだろう。カルザスに支えられてどうにか立っていた。
「やめる?」
「……聞きます。もう後戻りできないんですよね」
 憔悴してはいるが、強い決意の目でレニーを見つめた。
「じゃあ、続けるよ」
 レニーは腕を組んで椅子の背に寄りかかったまま、先程の続きを話し出した。
「おれはその時さ、組織の中では元締めに次ぐ実力を持ってるって言われている程だったんだ。無様に捕まったのは、数に圧《お》されたせい。対個人戦なら、おれは誰にも負けはしない。シーアに諭されて、暗殺者であることに疑問を感じてはいたけど、物心付く前から、英才教育のように教え込まれた暗殺術は、おれに向けられた敵対心に対しては、無意識におれを殺人鬼と化す能力だったんだ」
 レニーが奇妙に薄く笑った。
「だけどね、シーアを眼の前で殺されたことで、おれの心はシーアと共に死んじゃったんだ。自分でも信じられないくらいの力で、おれを数で押さえつけていた仲間たちを跳ね除け、そして、その場にいた全員を……殺した。仲間も、元締め……育ての親も、みんな、みんなね。自我を半ば失ったおれは、残った仲間達から、組織の元締め代行に祭り上げられて、シーアを失った悲しみを忘れるために、ただ命令されるがままに、夜な夜な誰かを殺して、その返り血を浴びて薄ら笑う化け物になったんだ。人を殺すことに躊躇いなんてなかった。ただ……血は、温かくて……心地いい……」
 レニーが喉の奥でククッと笑った。カルザスは彼の纏う気配の異変に気付き、慌てて彼の両肩を掴む。
「しっかりなさってください。今、あなたは〝どこに〟いらっしゃいますか?」
 カルザスに鋭く問い掛けられ、レニーが数回、目を瞬《しばたた》かせる。
「……おれ……笑って、た?」
「過去の意識が混濁しています。少し休憩しますか?」
「あ、ううん。大丈夫。今〝戻って〟きたから」
 ホリィアンが首を傾げてレニーを見つめる。彼はその視線に気付き、申し訳なさそうに表情を曇らせ、小さく頭を下げた。
「脅かしてごめん。この話をすると、おれ、時々心を見失いそうになるんだ」
「はい……」
「続けるよ」
 レニーは冷えてしまったお茶を飲み、自らの平常心を取り戻そうとした。
 シーア、おれを守ってくれ。おれをおれのままでいさせてくれ──そう、希《こいねが》う。
「心を失っていた時、おれは一人の傭兵と出会ったんだ。その傭兵はシーアと同じ、真っ白な心でおれに語りかけてきて、おれを正気に戻してくれた。本気で戦って、だけど自分を殺そうとした暗殺者を説き伏せるんだから、物好きで酔狂な奴だったよ。だけど命がけでおれを救ってくれたんだ。その傭兵が……カルザスさん」
 ホリィアンがカルザスを見る。彼はこくと頷き、レニーの言葉を肯定した。
「ちょっと話がずれるかもしれないけど、おれとカルザスさんは出会うべくして出会ったらしい。作り話みたいに思われるかもしれないけど、おれとカルザスさんは、前世で兄弟だったらしいんだ。おれもカルザスさんも、ある〝人格〟から伝え聞いただけで、前世の記憶なんてものはないからはっきりしないんだけど、前世でもおれはカルザスさん……いや、兄さんに命を救われてたらしい。だけどおれの前世の二度目の命の危機を、前世の兄さんは救えなかったんだ。それを悔いて悔いて、ずっと弟の生まれ変わりを探して、やっと見つけたのがおれだった。実際、おれはカルザスさんに救われた。アーネスはやっと、アイセルを見つけてその危機を救うことができたんだ」
「あっ、その名前って……」
「うん。おれとカルザスさんの前世での名前。カルザスさんは兄のアーネス、おれは弟のアイセル。おれ達が偽名を使う時、この名前で名乗り合ってるのを、ホリィも知ってるよね?」
 彼女はこくこくと頷いた。
「アーネスがアイセルを、アイセルがアーネスを、互いを思う気持ちは固く、影響力が強いらしいんだ。おれがシーアを失ったことで、閉じ込めてしまった心を取り戻してくれたカルザスさんに心酔してるのも、兄を思うアイセルの感情なのかもしれない」
 彼の言葉を何とか理解しようと、ホリィアンは頭の中に関係図のようなものを展開する。だがすぐにそれはグチャグチャと壊れてしまった。
 経験した訳ではなく、聞きかじっただけでは、カルザスとレニー、そしてその前世に及ぶ複雑な関係は、一概には理解し難い。
「そしてやっと、ウラウローを出てこの町まで逃げてこれたのも、きっとアーネスやアイセルが導いてくれたからだと思うんだ。だからホリィには悪いけど、おれは生涯カルザスさんと離れられない。カルザスさんも……」
「僕もレニーさんと離れることができないんです」
 ホリィアンはゆっくりと力強く頷いた。
「あの……分かります。前世がどうとかって難しいお話でしたけど、でもわたし、やっと納得出来ました。それからもっとお二人が好きになりました」
 レニーがほんの僅かに潤んだ目をホリィアンに向ける。
「おれは元暗殺者なんだよ? 怖くない?」
「隠しても無駄だと思うからはっきり言っちゃいますけど、ちょっとだけ怖いです。でも今のレニーさんは、すごく優しくて素敵な人だって分かってますもの」
「……ホリィ、ありがとう」
「お礼を言われることなんて……」
「おれが言いたいから言ってるだけ」
 レニーは冷めたお茶を一気に煽り、長く息を吐き出した。
「全て伝えるのはとてもじゃないけど教えきれないから、細かくは端折《はしょ》ったけど、大筋はこんなものかな」
「ホリィさん、本当にもう引き返せないんですよ。後悔はありませんか?」
「わたしは何があっても、レニーさんの味方です。カルザスさんみたいにレニーさんを護るっていうのは無理だけど、でもお二人と同じ道を歩いていくって決めたんです。これは絶対に揺らぎません」
「……ホリィは強いね」
「ホリィさん。あなたはとても強くて素敵な女性ですよ。素晴らしいです」
 二人から褒められ、ホリィアンは少し恥ずかしそうに肩をすぼませる。
「組織の連中には、こっち側に逃げてきたことを悟られないようにしたつもりだけど、この町へ来て何度か、連中の気配を感じたんだ。おれは自分の実力を過信してる訳じゃないけど、追ってくる連中におれの正体を悟られるようなヘマはしない。おれはその程度じゃない。だけど完璧じゃない。だからこの先、ホリィにも怖い思いをさせることもあるかもしれないけど、君は必ず、おれとカルザスさんとで護る。だからおれ達を信じて付いてきてほしい」
「信じます。信じてるからこそ、今日、こうして全てを伺ったんです」
「ホリィさん、ありがとうございます」
 カルザスは嬉しくなり、ホリィアンの肩を抱き寄せた。が、慌てて彼女を離す。レニーはその光景を微笑ましそうに見つめていた。


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