砂の棺 if 叶わなかった未来の物語 「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、 叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。 北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。 そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。 |
2 翌日には、レニーはすっかり回復していた。無理をしている訳ではなく、本当に気持ちを綺麗に切り替えてしまったのだろう。〝兄〟であるカルザスにはレニーのそういった精神的成長が嬉しくある。 テティスの力を借りて、シーアとの完全な別離を果たしたことによる、心の強さの現れなのかもしれない。 朝食を摂りながら、レニーは向かいの椅子に座るカルザスを見る。カルザスはすぐにその視線に気付き、ニコリと微笑み返した。 「どうかされましたか、レニーさん?」 「あ、うん。昨日は悪かったなって思って。ホリィにみっともないトコ見せた上、カルザスさんの目の前でホリィに抱き付いたりして」 カルザスは悪戯っぽく笑いながら、首を振った。 「ちょっとだけレニーさんに嫉妬しましたけど、でもそれはホリィさんが承諾したことですので気にしていません。むしろ、レニーさんには朗報となることがありました」 「なに? 朗報って」 カルザスはサラダを口に運び、咀嚼する。そして再びレニーを見つめた。 「あの後、ホリィさんと少しお話したのですが、彼女はレニーさんをお兄さんのように慕っているとのことでした。これからも、ぜひ力になりたいと」 「ホリィが? そっか……ありがたいな」 レニーが少し照れたように笑った。 「それからもう一つ報告がありまして」 「んー?」 レニーがミルクを口に含む。 「僕、ホリィさんにプロポーズしました」 レニーが盛大にミルクを吹き出した。 「あーっ! あーっ! あーっ! だから前にあれほど、噎せる時は手を口にって……」 「あ、あんたが悪いんじゃないか! お、おれが一人で凹んでる時にあんた何しでかして……って、い、いや、これはめでたいことなんだよな。けど、もうちょっとタイミングってものを考えてくれよ」 「すみません、こういうのは勢いが大事だと思って」 カルザスはふふと笑ってレニーの吹き出したミルクを布巾で拭った。 「返事はまだ先に延ばしていただきました。ゆっくり考えてくださいと。けれど明快なホリィさんのことですから、近い内にお答えをくださるかと思います」 「ああ、うん。そうなるだろうね。でもなんかちょっと複雑だな……こういう日がくるとは思ってたけど、それが予想してたより早いっていうか、悪くはないんだけど……」 レニーはくしゃくしゃと頭を掻いて、曖昧な返事をする。 「心配なさらなくても大丈夫ですよ。僕とレニーさんの事情は彼女も知っていますし、どのようなお返事をいただいても、僕は納得するつもりでいますから。たとえ決断を渋るようなお返事だったとしても、僕はあなたと共にいます。それは何があっても変わりませんから」 「……おれがカルザスさんの重荷になっちゃってるよね」 「どうしてです?」 「いつかも言ったと思うけどさ。おれがいなきゃ、カルザスさんは普通に恋愛して、普通に結婚だって出来た訳じゃん? でもそれをしないで、おれを護ることを優先してくれてる……」 「レニーさんが悩まれることは何もありませんよ。僕が選んだことです」 カルザスの穏やかな笑みが、今のレニーには少々辛い。自身に対する今後の件を断ったとしても、彼はホリィアンより自分の護衛を優先してくれるのだろう。それがカルザスという人物であり、彼の人柄だ。 「ホリィにプロポーズしたって言うけど、ホリィは納得しても、ホリィの親は納得しないんじゃないかな? コブ付きはコブ付きでも、そのコブがおれみたいな奴だなんて。一般的にコブ付きっつったら、やまれぬ理由《わけ》アリの連れ子とかだろ」 「あはは。確かにホリィさんのご両親へのご挨拶などは、なかなかに由々しき問題ではあるんですが、でもなんとかなりそうな気がするんですよねぇ。結果的には、ご両親には本当のことは話せませんし、嘘を吐くことになるので、少々心苦しいのは間違いないのですけど」 カルザスなら本当にどうにかしてしまいそうだ。彼は決して嘘が上手い訳ではないが、温厚で誠実な態度が相手に好感をもたらす。レニーの心が僅かばかり晴れた。 その時だ。キッチンに隣接した裏口のドアが、カラリと開いて、小柄な少女が入ってきた。ホリィアンだ。 「おはようございます!」 「おはようございます、ホリィさん」 「おはよ、ホリィ」 ホリィアンは頬を紅潮させて、ペコリと頭を下げた。 「レニーさん、もう大丈夫なんですか?」 「うん。心配かけてごめんな。もう平気だから」 「良かったです!」 彼女は可愛らしく微笑み、両手を揃えて顔の横へと持っていった。そういった仕草が嫌味にならず、むしろ好ましいとさえ感じてしまい、カルザスは思わず視線を泳がせることとなる。 「あの、実は今日はお二人に少しお願いがあるんですけど、今、いいですか? お食事が終わってからにしましょうか?」 ホリィアンがテーブルの上の二人分の朝食を見て遠慮がちに問い掛けてくる。 「もうほとんど終わってるから構わないよ」 「あ、はい。じゃあ失礼します」 ホリィアンは折りたたみ式の簡易椅子をキッチンの隅から引っ張り出し、ちょこんと座る。レニーは彼女の前にある空いた皿を重ねて彼女の前を空けた。 「えーと、何からお話しようかな」 彼女の話とは、一つではないようだ。 「じゃあまず、今日、お店をお休みにしていただけますか? お二人のお時間をわたしにいただきたいんです」 「突然だな」 「ホリィさん、なにかご用事があるなら、そちらを優先してくださって構いませんよ。こちらの手伝いは気になさらなくても」 「いえ、そういうことじゃないんです。理由は後から説明しますから、どうしてもお休みにはできませんか?」 ホリィアンは申し訳なさそうに表情を曇らせる。カルザスとレニーは不思議そうに顔を見合わせ、頷き合った。 「そこまで仰るなら構いませんが……」 「ありがとうございます!」 カルザスが承諾すると、ホリィアンは嬉しそうに微笑んだ。喜怒哀楽のはっきりした少女だった。 「じゃあ次はもっと大事なお話なんですけど……」 彼女は珍しく声を小さくして、背後の裏口をチラチラと見た。彼女なりに何かの気配を探っているのだろう。 「ええと……お二人が隠していらっしゃる秘密、その……レニーさんの過去のお話が大半だと予測してるんですが、それを全部わたしに教えていただけませんか?」 突然の申し出に、レニーの表情が曇る。カルザスも気まずそうな表情を浮かべ、口元を押さえた。 「あ、大丈夫です。教えていただいたことは、全てわたしの中だけの秘密にして、絶対誰にも……両親にも言いませんから」 「いや、言うとか言わないとか、そういう問題じゃなくて……その……ね?」 「そう……ですね。お気持ちは分からなくもないですけど、こればかりはまだあなたには……早い……と言いますか……何とも……」 レニーもカルザスも言葉を濁す。 「じゃあ、どうして知りたいのかという、一番大事な理由をお話しますね」 ホリィアンはテーブルに両手を置き、数回深呼吸した。 「ふぅ……えっと、わたし、カルザスさんのお気持ちを受け止めることにしました」 ホリィアンが頬を上気させてカルザスをまっすぐ見つめる。意味が分からず、カルザスは目をぱちくりとさせている。レニーも薄く口を開いたまま、ぽかんとしていた。 「あ、あれ? またわたし、変なこと言いましたか? ええと……わたし、カルザスさんのプロポーズ、お受けします。もちろんカルザスさんのお気持ちや、レニーさんの事情を理解しての決断です」 一瞬の間があり、レニーがぷっと吹き出した。 「ちょっとカルザスさん、やったじゃん。なに間抜け面《づら》してんのさ」 「いえあの……昨日の今日で、僕としてはまだ実感が沸かなくてですね……さすがにもう少し、時間がかかると思っていたもので……」 カルザスは困惑したように眉根を寄せた。まさに言葉通り、我が事ながら、実感という手応えが感じられないのだろう。 「ねぇ、ホリィ」 「はい?」 「カルザスさんのプロポーズを受けるって話と、秘密を知りたいって話、どうも意味が繋がらねぇんだけど?」 「えっと……ですね。わたし、カルザスさんのお嫁さんになりたいんです。それにレニーさんの力にもなりたいんです。でもカルザスさんのお嫁さんになるからには、何も分からないままっていうのはものすごく気持ち悪くてイヤなんです。わたし、覚悟は決めてきました。どんなことを聞いても、受け止める覚悟があります。お嫁さんっていう名前だけのものじゃなくて、なんて言うのかな……理解者! お二人の理解者になって、これからもずっと、お二人と暮らして行きたいんです。三人共同体になれればいいなって、そう思ったんです」 小柄な少女の固い決意は、ややたどたどしい言葉で綴られても、しっかりと伝わってきた。同時に、それは無下に断ることができる雰囲気でないことも分かった。もう後戻りできないところまで、彼女を自分たちの都合に巻き込んでしまっているという事実が突き付けられ、痛感させられたのだ。 「……ホリィの気持ちは分かった」 「もう後戻りしていただくことができない、ということも理解しました」 全てを諦めたように、レニーが緊張を解いた。カルザスも静かに目を閉じている。 「分かった。全部話そう。いいよな、カルザスさん?」 「レニーさんがよろしければ」 二人は長く沈黙していた。ホリィアンはじっと待っている。 「そうだな……まず最初に謝っとく。ホリィ、君を巻き込んで本当に悪かった。すまない。それから、事実を聞いたらホリィは本当に引き返せなくなる。そしておれに恐怖を抱き、嫌悪するかもしれない」 「さっきも言ったはずですよ。何があっても全て受け入れますって」 ホリィアンは真摯な眼差しでレニーを捉えた。 「……とても長いお話になります。ここを片付けてからにしましょうか」 「あ、手伝います」 カルザスは重ねた空の食器を集め、洗い場へと運ぶ。レニーは椅子の背に体を預けたまま、腕を組んで静かに心を鎮めていた。 |
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