砂の棺 白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。 傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。 この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、 彼らは運命に翻弄されゆく。 |
3 俺たちの元へとやってきた奴らは、盗賊は盗賊でも駆け出し、あるいは町のゴロツキと称した方がいいであろう三人組だった。手にした獲物はろくに手入れもされておらんなまくらで、統率も取れていなければ、互いに協力しようという連帯感も皆無の連中だった。 これは不幸中の幸いだ。今のカルザスでも、こやつらが相手ならある程度余力を残しても打ち負かせるだろう。 「おい。生っちょろそうな傭兵の兄ちゃん。おとなしく荷物と後ろの女を置いていけよ」 全く呆れてものが言えん。ごろつき共特有の定番のセリフだ。どれも似たり寄ったりでオリジナリティを感じさせるものがない。奴らには、そういったセリフを吐けという教本でもあるのか? だが盗賊どもを眼前に並べて、冷静に聞き比べて批判してみようなどという気はさらさらない。相手をしてやるだけ時間の無駄だ。 「どちらも置いていく訳にはいきませんので、お断りしますね」 いちいち丁寧に返事をせんでもよい! カルザス、お前は阿呆か? 「……お荷物になっちゃってごめんなさい」 「依頼主を護るのが僕の仕事ですから。それにあなたに雇われる事は、僕が望んだ事ですしね」 シーアが申し訳なさそうに呟き、カルザスの背後に隠れる。 「シーアさん。非常に申し訳ないですけど、今回だけは完全には庇い切れないと思いますので……」 相手はズブの素人同然ではあるが、三人同時に相手をせねばならんとなると、少々厄介ではあるからな。 「うん。大丈夫。私の心配ならしなくてもいいから」 本来ならば依頼人の警護を最優先としなければならないのだが、今回ばかりは傷を庇いながらの乱戦だ。とてもシーアの身の安全まで手が回らんだろう。 本心ではシーアの盾になりながら盗賊を退けたいのだろうが、カルザスは素直に自分の現在の力量を示しておる。この依頼人がシーアでなく、戦いの心得が無い者であれば、命がけになろうと無理を押し通しておっただろう。そういう男だ、カルザスという男は。 「いきます」 不自由な右腕でなく、左腕で剣を抜くカルザス。利き腕ではないが、動かぬ右腕で扱うよりは幾ばくかはマシだろう。 太陽の光でキラリと光った刀身が乱戦の切っ掛けとなり、炎天下の中の戦いが開始された。 真っ先に飛び込んできた者を、身を引いてかわし、その背を剣の柄で突く。同時に前方にいた者へは、返した剣でいなすように、なまくら刀を弾く。 む……傷を負っておるのに手加減なぞしおって。その甘さが、貴様が傭兵には向かん理由なのだ。 上手く注意を引きつけ、三人を同時に相手しているつもりだったのだが、一人はシーアに襲い掛かっている。そちらに助けに入りたくとも、やはり二人同時に相手をするのが精一杯でとても手が回らん。傷さえなければ、こんな雑魚どもは軽く捻り潰しておったというのに。 元々俊敏なシーアは盗賊の攻撃を軽々と避けている。だが、ギリギリ避けている、といった芝居をしているのだ。 おそらくはカルザスの負担を減らしたいがため、注意を自分に向けるようにしておるのだろう。身のこなしと演技力、さすがだと言える。 カルザスはといえば、相手の動きを封じるために足元を狙っているのだが、傷の痛みと利き腕でない腕での攻撃であるため、狙い定めた箇所への攻撃が決まらないでいる。 砂漠での乱戦は足場の不確かさもあって、あまり高く膝を上げないような足捌きが必要となってくる。ウラウローの民ならば、幼い頃から砂地での移動は慣れておるため、さほど苦もなくその足捌きはできるのだが、カルザスは傷を庇っている事で余計な体力を消費している。そのため、すでに足元は縺れつつある。 呼吸は乱れ、太刀筋も鈍くなってしまっておる。完全に不利な状況へと負い込まれているのだ。だから遊んでおる余裕などないと、警告したではないか。 カルザスの不穏な動きに気付いておるのだろう。シーアがこちらの様子を探りながら、少しずつカルザスに近付いてくる。 「おい、男はとっとと殺しちまえ! 女は足を狙え!」 「面と体だけには傷を付けるなよ。後で可愛がってやるんだからな」 カルザスの体たらくを見て、完全に図に乗っておるな、奴らめ。言っても詮無き事だが、傷さえ負っていなければとっくに片はついておったのだ。ゴロツキの分際で悪運のよい奴らだ、まったく。 シーアがカルザスの背に自らの背を押し付けた。それと同時に三人の盗賊たちはカルザスたちを囲む。 周囲を完全に囲まれたこの状況を打破するのはかなり困難だ。それこそ、腕の一本もくれてやるつもりで挑まなければならん。こんな低俗な輩にくれてやるのも惜しいがな。 「……カルザスさん」 「だ、大丈夫ですよ。もう本気を出しますからね。ちょっと遊び過ぎちゃいました」 息も絶え絶えに強がってはいるが、カルザスの限界は明白だ。どこまで見栄を張るつもりなのだ。 「……もう、いいから」 突然、シーアがカルザスの足元を払い、転倒させる。予想外の者からの不意打ちに、無様に転倒したカルザスは、シーアを見上げて息を飲む。 長いローブの裾を摘み上げ、足を肩幅に開いて僅かに腰を落としている。殺気とまではいかないが、ピリリと張り詰めた気迫を纏っている。 「いけません、シーアさん!」 「無様な傭兵の小僧に代わって、姐さんが相手かい?」 盗賊の挑発に、シーアがふっと嘲笑する。 「こんな場所で暴れてないで、オレと一緒にベッドの中で踊ってもらおうか」 「おイタする悪い子は、お仕置してやらねぇとな」 冷やかすように下卑た笑い声をあげた盗賊は、次の瞬間足元の砂に顔を埋められていた。盗賊の頭を押さえつけているのはシーアだ。嘲るような笑みを口元に浮かべ、更に力を込めている。 一気に盗賊の元へと詰め寄り、男の体を引き倒して、足元へと叩きつけたのだろう。これで短剣でも手にしておれば、おそらく一瞬で奴の息の根は止められていたに違いない。 「……私はね、詩人なの。ダンスは苦手よ、悪いわね」 男の頭から手を離して体を起こし、唖然としている二人の盗賊に、冷徹な一瞥をくれてやるシーア。 言葉遣いは女のままであり、暗殺者としての狂ったような殺気は感じない。だが……このまま奴に続けさせる訳にはいかん。 ──カルザス! 「分かって……ますっ!」 体を起こそうとしたが、脇腹の打撲が疼き、立ち上がる事ができん。唇を噛み締め、顔を上げた刹那、砂に埋もれていた盗賊が殺意を露にして立ち上がった。 「女ぁっ!」 「殺されたいか!」 奴の言葉を合図に、二人の盗賊たちがシーアに向かって武器を振り下ろす。 だがシーアは怯むどころか、武器を持つ一人の手を高らかに蹴り上げ、そのまま後方へと跳ぶ。更に着地した直後、別の盗賊の腕に手刀を入れて武器を叩き落していたのだ。それはまさに一瞬の出来事だった。 勢い余ってシーアの足元に倒れ込む盗賊どもに、シーアは再び嘲笑を浴びせる。 「……クッ……ふふ……脅しでコロス、なんて言うのは弱い証拠だ。コロスって言うからには……実行しなきゃ、単なる遠吠えなんだよ!」 残虐な天使がその本性を現した。 「いけません、シーアさん!」 シーアの踵が、容赦なく足元の盗賊の顔面に落ちる。嫌な音がしてその男の鼻が折れ、朱が白い砂を汚す。 「お前らが殺されろ! おれにな!」 盗賊の落としたなまくら刀を拾い、一人の首を真っ直ぐ突き刺す。なまくらといえど、体重を乗せて突き入れられた刃は、人間の皮膚など、容易く貫通する。骨を避けて肉を貫く事など、暗殺者の中でもトップクラスの実力を持つシーアなら、まさにお手の物といったところだろう。今まさにそれを見せつけられたのだから。 刃の切っ先は首の後ろから赤い液体を噴出させながら突出する。カルザスは思わず目を閉じて顔を背けていた。カルザスが生きてきた中で、ただ一度として見た事はない、それほど凄惨な現場だったのだ。 盗賊たちの阿鼻叫喚。そして時折聞こえるシーアの愉快そうな含み笑い。 カルザスが顔を背けたお陰で、俺もシーアによる惨たらしい虐殺は見ずに済んだ。だがこの悔しさは他に例えようもない。自らの不甲斐なさがたまらなく情けないと感じる。 シーアを制止できなかった自分の無力さに歯噛みし、胸を締め付けられるような痛みに叫び出したい衝動が起こる。どうしてあいつを救えなかったのだ、俺もカルザスも。手を伸ばせば届く距離に、あの者の手はあったというのに! どうして……その手を握ってやれなかったのだ! 盗賊たちの断末魔の悲鳴と、皮膚や臓腑を抉る音が断続的に続いていたが、それがふいに途切れた。 恐る恐る顔を上げると、返り血を全身に浴び、狂喜染みた笑みを浮かべたシーアが、虚ろな眼差しでこちらを見つめていた。 「……次は……誰を殺《や》る?」 恍惚の笑みを浮かべ、シーアは手近にある死体の腹に短剣を突き入れ、臓腑を引きずり出す。それは暗殺者としての奴が持っていた短剣だ。いつ取り出したのかは分からない。 その短剣で死体の腹をグチャグチャと掻き回しながら、ふいにシーアは乱暴に刃先を真一文字に引く。腹部が上下に裂かれ、不快臭の漂う臓腑を辺りに撒き散らし、焦点の定まらぬ目で、だが愉快そうな笑みを浮かべて砂に転がるそれを掴もう手を伸ばす。 「や、やめてください……シーアさん……」 血のせいで、シーアの身に付けている純白のローブは深紅に染まっている。だがそれは赤い無数の小花の柄のように見え、不思議と嫌悪や不快感はなかった。 カルザスは死体の臓器を弄ぶシーアの腕を掴み、それをやめさせる。細い腕は血でぬるりとしており、指を滑らせてしまいそうだ。 「正気に戻ってください、シーアさん」 虚ろに、恍惚の笑みを浮かべるシーアの目を正面から見据え、カルザスは何度もシーアの名を呼ぶ。 「シーアさん、僕が分かりますか?」 何度目の呼びかけなのだろう。ふいに、シーアの顔から冷笑が消えた。だがみるみるその表情が強張っていく。 その場へと力なく座り込み、小刻みに両肩を震わせている。息苦しそうに喉を押さえ、その手に染みついた赤い液体を見て顔色を失う。 「……こ、れ……何? 私が……したの?」 擦れた声をシーアは絞り出す。 周囲に広がる惨状を見回し、カルザスを見上げたシーアは、無言で自分を見つめるカルザスを見て、小さく嫌々と首を振る。 何も言葉を掛けてやる事ができなかった。何を言っても、シーアを責める事になってしまうからだ。 放心してしまったかのように項垂れるシーアの側に膝をつき、カルザスは黙って奴の背に手を置く。その程度しかしてやれんのだ。 今回はっきりした事がある。 暗殺者として、残虐な天使として死者の頭上を軽やかに舞うシーアは、相手の息の根を止めるまでの数刻の間、シーアとしての自我を失ってしまうようだ。ゆえに自分のした事が記憶に残らないのだ。 事実、今がそうだった。このような非道な真似をしておきながら、正気に戻ってみれば自分の行った事を何一つ覚えておらん。 本来の姿でありたいと願っている詩人としてのシーア。シーアの意思を残した暗殺者。冷酷無比な悪魔のような暗殺者。その三つの仮面の裏側で、シーアは一人苦しんでおるに違いない。多重人格症などより数段始末が悪い。全てがシーア本人なのだからな。 カルザスが見抜いたシーアの心の病は、そう簡単には癒してやれんし、治療法など存在せんのかもしれん。 何が切っ掛けで性格が豹変するのかを把握できんし、カルザスの力で元に戻してやる事も適わん。 「……ここで日干しになる訳にもいきません。どこか休める場所へ移動しましょう。幸い、乗り手のいない馬がいますしね」 疼く脇腹の打撲を押さえながら、カルザスは放置されたままの馬の手綱を引く。二人で乗るのは馬の負担になるが、放心状態のシーアに馬を操れるはずがない。 シーアを抱えるように馬上へ乗せ、カルザスは奴の後ろへと跨がり、馬の腹を蹴った。 この振動は傷に響くが、のんびり歩いてゆくような体力はもうない。気力だけでカルザスは馬を駆り、休めそうな岩場を探したのだ。 |
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