砂の棺 白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。 傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。 この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、 彼らは運命に翻弄されゆく。 |
2 日除けのフードを深く被り、カルザスは風に紛れて口の中に入り込んだ砂を、唾液と共に吐き出す。 「……大丈夫? まだ傷口が塞がってないのに、無理させてるから心配で……」 「大丈夫ですよ。ちょっと暑いなぁって思ってただけですから」 カルザスは片手をひらひらと振って、乾いた声で笑って見せる。 ふん、やせ我慢しおって。妙なところでプライドが高いのだ、こやつは。 日除けの白い布を砂混じりの風になびかせ、シーアは困惑したような表情をカルザスに向ける。本気で心配しておるようだ。 周囲は見渡す限りの、灼熱の白い砂漠。時折黒い岩を見かけるが、日差しを避けられるだけの大きさはなく、それらは邪魔であるだけのように感じるが、道しるべの代わりとなっているので、全くの無意味という訳ではない。 カルザスの隣に並び、歩調を緩めるシーア。奴なりにカルザスに気を使ったのだろう。追っ手の事を考えて、さっさと別の町に逃げ込みたいのだろうがな。 「えっとー……そういえば、シーアさんにお伺いしたい事がありました」 暑さから気を紛らわせたいのか、疼く傷の痛みを会話で忘れたいのか、カルザスは能天気な声音で問う。本来なら、口を開く事すら辛いはずだが。 こやつがこういった無神経な無理をするから、シーアもいらぬ心配するのだ。まったくこの男は鈍いのか鋭いのか、相変わらずよく分からん奴だ。 「ずっと聞きそびれていたんですけど、シーアさんって偽名ですよね? 本当のお名前は何とおっしゃるんですか?」 そういえばシーアとは女名だ。普段女の詩人を装っており、今もその姿をしておるせいでさほど違和感を覚えはせんかったが、こやつの正体は男なのだ。男名の本名があってもおかしくはない。 「……シーア。シーア・ティリ。それが私の名前よ」 微笑を浮かべ、シーアは風に舞う髪を押さえる。 「シーアといえば女性の名前ですよ? シーアさんって、本当は男性なのですから、本当の名前があるはずですよね?」 「女として育てられたって言ったでしょ。だからシーア。それが私の名前」 吐き捨て、口を紡ぐ。明らかに嘘だと分かる仕種だ。これが他の問いならば、もっと上手くはぐらかしているだろうが、なぜ名前ごときで、簡単に頭に血を上らせる必要がある? 「……すみません。ちょっと好奇心が強すぎますね、僕」 拳を握り締め、鋭くカルザスを睨み付けてくるシーア。その瞳には一瞬、憎しみのような殺意が浮かんだ。だがすぐにそれは消える。口を堅く引き結び、不機嫌そうな顔をしたまま立ち止まり、こみ上げてくる怒りを堪えるように両拳に力を込めている。 「……好奇心だけで他人の過去を引っ掻き回すなよ。おれは昔の事、あんまり詮索されたくないって言ったはずだよな? おれはシーア・ティリ。それで充分だろ」 本来の男口調に戻る程、触れられたくない過去でもあるというのだろうか? 暗殺者であるという過去自体、今のシーアには触れられたくないものなのかもしれんが……。 辞めるとは言ったものの、まだ奴は暗殺者である自分と、辞めたいと葛藤する自分との狭間で戸惑っておるようだ。事実はそう容易く変える事はできんからな。 シーアは鬱陶しそうに髪を払い、ふいと顔を背けて歩き出す。が、すぐに立ち止まって周囲を見回した。 「あの……どうかしたんですか?」 「……蹄……かしら? 砂を蹴る音が聞こえるわ。カルザスさんは聞こえ……る訳がないわね。私ほど耳はよくないでしょう?」 シーアは小さく肩を竦め、地平の彼方に目を凝らす。女の口調に戻っているが、その鋭い眼差しは詩人としてのものではない。 俺の、いや、カルザスの耳には何の音も聞こえん。シーアの幻聴ではないかと思ったが、奴の聴力を侮る訳にはいかんな。物音に敏感な詩人であり、暗殺者なのだから。 しかし蹄の音とは不吉だな。砂漠の移動手段に馬を使うのは、商人か盗賊だけだ。 商人が馬を使うのはよほどの急ぎの用である場合が多く、荷物を運ぶ時は大抵ラクダや砂を走るソリを使う。その方が効率がいいからだ。 ゆえに砂漠で聞く蹄の音といえば、十中八九、盗賊であると考えてよい。 「あっちに。たぶん盗賊ね」 シーアの指差す方角には、胡麻粒大の影が見える。まだ随分と距離はあるが、こちらは徒歩である上に怪我人だ。隠れようにも、周囲は凹凸のない一面の砂の海。さて、どうしたものか。 「応戦するしかないでしょうねぇ」 「そうね。でも私の仲間じゃないだけマシかもね。暗殺者だったら……」 「暗殺者はシーアさんの仲間じゃないですよ。シーアさんは詩人さんですから、詩人さん仲間だと賑やかで楽しいでしょうねぇ」 カルザスが言うと、シーアは驚いたように目を見開き、そして薄く微笑む。 「そうだったわね。うっかりしてたわ」 カルザスは痛む右腕を擦りながら、マントを背に払って臨戦体勢を整える。 「何とか頑張って追い払ってみますから、シーアさんはどうにか逃げ回っててください」 「私なら大丈夫よ。自分の身一つくらい自分で護れ……」 シーアはそう言い掛け、口許を押さえる。そして小さく頭《かぶり》を振った。 「……怪我してるんだから無理しないで。私これでも、チョロチョロと逃げ回るのは得意だから」 「はい。僕なら大丈夫です。昨日より痛みは和らいでますからね」 そうなのだ。シーアに刃を握らせてはならんのだ。できる事ならもう二度と。 盗賊の力量にもよるだろうが……苦戦は免れぬな……。 |
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