砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     4

 空中都市であったエルスラディアが墜落したためにできたと思われる広大な地下空洞。マリスタやアーネスが暮らしていたあの忌々しい屋敷は、かなり崩れてはいるものの、大体の原型を留めている。何と丈夫な石で造られているのだ、この屋敷は。しぶとさがいかにも魔導師らしい。
 傾きはしているものの、ここで暮らせと言われれば、飲食さえどうにかなるならば充分暮らせるだろう。屋敷自体が発光しており、ここが地下で、しかも建物の中だというのに、周囲を見渡すには充分な光量を湛えておる。
 エルスラディアが崩壊して数百年以上経過しておる。なのに未だ光を放つという機能を果たしておるとは、魔導師とは凄まじくおぞましい能力を持った生き物だな。いや、マリスタの始祖としての魔力が、の間違いか。
 レニーの姿を探して屋敷の中をうろついているが、一向に奴の影すら見つけられん。探知の魔法でも使ってやろうか……。
 しかし……先ほどから蟠《わだかま》っておるこの不快感は何なのだ? アーネスのせいか? それともカルザスのせいか?
 俺はまだ全ての記憶を取り戻した訳ではない。思い出そうと試みても、一部分は靄がかかったように不鮮明なままなのだ。そのせいだと思いたいが、きりきりと痛む胸の奥が、冷静さや集中力を乱す。
「くっ……忌々しい……」
 額を押さえ、俺は歯軋りする。

 俺は……本当にレニーを殺したいと思っているのか? 本当にアーネスを壊してやりたいと願っているのか? 本当に魔導師に復讐したいのか?
 そう思っていた事は事実だ。事実だが……過去のものだ。
 現在は?

 レニーがシーアとしてカルザスと共に過ごしてきたあの頃の俺は、自分自身をアイセルの兄のアーネスだと推理し、それを信じ、レニーの体験してきた過去にカルザスと共に激怒し、涙し、共にあろうと願った。些細な事で泣き、つまらぬ事で笑い、だがそれが……それが楽しかったのだ。記憶を失い、不安ではあったが、その時その瞬間が、幸福だと感じていた。
 俺は記憶の大部分を取り戻した事により、あやつが名付けたセルトとしての俺を失い、恨みや復讐に駆られるだけの荒んだ竜人に戻ってしまった。もう、後戻りできぬところまで来てしまっておるのだ。
 本当にこれで……良かったのか?
 俺は……セルトという名で呼ばれていた俺は、カルザスという温厚ながらも、猪突猛進で思い込みの激しい男が好きだった。シーアと名乗る儚く脆い詩人を……狂気に彩られて標的の死体を弄ぶ暗殺者を……救い、護ってやりたいと思っていた。
 今は? 今はどう思っておるのだ? 今の、俺は……?
「くそっ……この鬱陶しい邪念、アーネスがまた俺を邪魔しておるのだな……こんなくだらぬ偽りの心など植え付けおって……」
 壁に手を付き、俺は額を押さえたまま強く首を振る。
 俺は魔導師を、アーネスの心を壊してやるのだ。それで俺の復讐は終わる。俺はそれだけを願い、今まで生き存《ながら》えてきたのだ。もう、揺らぐものか。
 額を押さえている俺の手に、ぽたりと水滴が落ちる。水滴……だと? 天井を見上げようと顔を上げた俺の真上、レニーが崩れた二階部分の廊下から飛び降りてきた。手にはハープから引き抜いたらしき弦を握っている。
「カルザスさんに戻れ!」
 背後から俺の首に弦を掛け、それを強く引く。俺の背に密着するその体は冷たく、微かに震えていた。
 レニーは暗殺者だが、カルザスに比べれば遥かに非力だ。だが俊敏さと動きの精密さは比べ物にはならない。本気を出したカルザスの剣技ならば対等に渡り合えるだろうが、“俺”は強大な魔力を有し、不死であるというだけで、肉弾戦には不向きだ。この密着状態では、明らかに俺の不利。どうにか距離を取らねばならん。
 濡れた体で動き回っていたせいか、体が冷え切っている。この震えは寒さで凍えておるのか? どうにも普段の奴より動きも鈍く感じられる。
 この地下は魔法の灯りのため明るいが、外はもう夜。凍て付くような寒さになっているはずだ。その冷気が地下まで伝わってきていてもおかしくはない。それに加えての、全身ずぶ濡れ状態だ。人である限り、寒さと凍えからは逃れられん。
「カルザスもアーネスも、俺なのだ」
「違う! お前はカルザスさんなんかじゃない!」
 ぐいと、弦を掴む手に力が入り、俺の喉を締め上げる。苦しいが……死にはしない。俺は不死なのだから。
「アイセル、実の兄である俺を殺すのか?」
「うるさい! おれはアイセルなんて名前じゃないし、兄貴なんていやしない! たとえ仮のものだとしても、おれが兄貴だと呼べるのはカルザスさんだけだ」
「兄に向かってそういう口の利き方をするとは、少し灸を据えてやろう」
 俺が念じると、壁の一角が崩れてレニーの方へと倒れる。組み付かれてはおるが、俺には当たらぬ微妙な位置を調整してある。
「気味の悪い力を使いやがって……っ!」
 魔法を使えぬ者の目には、やはり魔法は気味の悪い力と映るのだろう。竜人だった頃の俺も、そう思っていた。
 俺を拘束していた手を離し、レニーが倒れてくるものとは別の壁を蹴って跳躍する。そして二階部分の床に手を伸ばし、すっと這い上がった。全く、相変わらず見惚れるほどの身軽さだ。
 崩れる壁から逃れた奴の姿を見て、俺は知らず知らず口元に安堵の笑みを浮かべていた。逃してしまったという忌々しさの反面、怪我を負わせずに済んだのだと、心からほっとしている自分がいるのだ。
「……カルザスさん……」
 振り返ったレニーが困惑した表情を浮かべる。くそっ! またアーネスだかカルザスだかが表に出たのだな? どれだけ俺の邪魔をすれば気が済むのだ! すぐにその魂を壊してやるから、おとなしくしておれ!
「チッ……せっかく戻ったと思ったのに、またお前かよ!」
 レニーが再び姿を晦ませた。やはりほんの僅かの間、俺はカルザスかアーネスに乗っ取られていたらしい。
「くそっ! 何度も何度も忌々しい! 俺の邪魔をするな、アーネス! カルザス!」
 俺は忌々しげに吐き捨て、拳を握り締めた。

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