砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


   目を閉じてしか見えないもの

     1

 床に散乱した無数の書物。
 あるものはどこからか流れ込んだ外の小川の水に浸され、あるものは紙が腐食してしまっている。まだ読めるものもあるが、砂と泥、そして埃に塗れ、とても手に取る気にはなれない。
 マリスタの日記や記録が収められていた書庫だ。ここで俺は魔導師の始祖の秘密を知り、そして憎しみに駆られる事となった。ここには歴代の始祖の悔恨と苦渋、そして俺の憎しみがいまだ渦巻いている。
 墜落した位置が悪いのだろう。光の届かぬ放射状の書棚が並ぶ室内。倒れた幾つかの本棚のせいで、見通しは悪い。だが室内のどこからか、生きた者の気配が感じられる。間違いなくレニーだろう。
 逃げ回り、蓄積された疲労を回復するためか、俺を襲う機会を狙っているのか、どういった理由かは分からんがこの部屋のどこかに身を潜め、こちらの出方を伺っているのだ。
 ついに追い詰めた。カルザスの、アーネスの手で、レニーを屠る。それで全て終わる。いや、終わらせる。
 俺が室内に入ってきた事は、レニーならば気付いているだろう。
「……テ……ティス、やめろ……」
 俺は片手で口許を押さえた。どこまで邪魔をする気なのだ、アーネスは。
「貴様を壊してやる……魔導師、殺しても殺しても殺し足りない……下衆が」
 俺がカルザスにしていた事と同じ真似をしておるのか、俺の脳裏、あるいは精神に直接語り掛けてくる者がいる。アーネスなのか、カルザスなのか。俺はそれを振り払うように強く首を振り、心の耳を完全に閉ざした。
 足元の本を乱暴に蹴飛ばし、ゆっくりと奥へと歩を進める。
「レニー……出て来い」
 俺が暗闇に声を掛けた刹那、中身がほとんど空になっている本棚が、俺めがけて倒れてきた。明らかに人の力が加わったものだ。
「呪縛!」
 動きを封じるというこの魔法は、生物だけでなく、無機物にも作用する。本棚は俺の頭上僅かの所で、実際には有り得ない不自然な傾斜のまま止まった。
 本棚の下から出ると同時に、それは俺が今いた場所に倒れる。舌打ちが聞こえ、白い人影が別の本棚の陰に隠れる。
「レニー、来い」
「……っあ!」
 マリスタは瞬間移動ができた。俺にはそのような真似は出来ないが、相手を引き寄せる事はできる。手を使わずに、物を強引に手許へ持ってくる事ができるのだ。俺はその力を使って、本棚の影から白き人影、レニーを引きずり出す。
 俺の足元に膝をついているレニーは、目を細めて俺を見上げる。濡れた髪が首筋や腕に絡み、唇は紫色になっている。小刻みに体を震わせ、それでも気丈に俺を睨《ね》め上げておるのだ。その凍え切り、かじかんでしまった手では何もできまい。
「……その震えは寒さか? 恐怖か?」
 揶揄するように問い掛け、手を伸ばすと、レニーはそれを邪険に払い除ける。
「触るな」
 キッと俺を見据え、奴は強固な拒絶の意思を見せる。だがふいにその表情を和らげた。
 剥き出しにされていた敵意は失せ、代わりに憐憫のようなものを見せる。俺に対してのものなのか、それは? 俺がレニーに憐れまれるような事など何もない。
「あんたは……おれと同じなんだな」
「何だと?」
 長い髪を背に払い、レニーは立ち上がって正面から俺を見つめる。呪縛が解けておる……?
「あんたの事情はよく知らないけど、おれと同じような気がする。大事なものとか、大切な人とか、全部失って……自棄になって……誰かに八つ当たりする事で自我を保ってる。それ、おれと同じだよ」
 レニーが手を伸ばし、俺の頬に、竜人の証である鱗に触れてくる。
「カルザスさんは、優しい人だよ。おれが好きだって、おれが必要だって言ってくれた人だから。あんたも、そういう人が……欲しいんだろ?」
「ふざけるな。俺はそのような者など必要ない。俺はただ、俺やルネの……獣人の命を弄ぶ魔導師に……」
「おれでいいならあんたの傍にいるよ。でもカルザスさんに戻ってくれなくちゃイヤだ」
 レニーの言葉が俺を射抜く。全身の力が抜ける気がした。俺は目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出す。
「おれと、カルザスさんと、元のセルトさん。三人で北に行こう。シーアとの約束通り雪を見て、それから……何か商売でも始めたらいい。シーアとも相談してたんだ。孤児院を開こうかって。おれたちの場合は孤児院じゃなくても、何か店を持つんだ。きっと上手くいくよ。カルザスさんは商人の息子だって言ってたし、おれも何かできるか考えてみる。セルトさんだって……」
「最期の言葉はそれで満足か?」
 瞼を開くと、哀しげに眉を寄せたレニーの姿があった。
「……カルザスさん、またおれを一人にする気なの?」
「おれはカルザスではなく、テティスだ」
 唇を噛み、レニーは後方へと跳躍した。手当たり次第に物を投げ付け、書庫から飛び出してゆく。俺はただその場に立ち尽くしていた。

 俺は混乱していた。
 莫迦な……せっかく奴を追い詰めたというのに、易々と逃がしてしまうなどとは。だがそれで良かったと思う俺も心のどこかにいる。……それは俺の意思ではない。カルザスか、アーネスなのだ。きっと。
 動かぬ足を無理矢理動かし、気力を奮い立たせてレニーの姿を追おうと本棚に手を掛けた時だ。俺は何か柔らかなものを踏み付けた。
 拾い上げると、それは丸められた羊皮紙だ。保護魔法が掛けられていたので、数百年経った今でも原型を留めておるのだろう。
 中央を縛る紐を解くと、幼児独特の稚拙な線で描かれた落書きが表れた。
「アイセルだ」
 おそらくアーネスの言葉なのだろう。俺は落書きを見つめてそう呟いていた。
 緑の広がる大地。そこに無数の人型が描かれている。中央には手を繋いだ三つの人型のものがある。人間……いや、獣人だ。
 一つは銀色の髪と白い肌の子供。一つは茶色い髪と長い耳の子供。そして残る一つは黒い髪と鱗の肌に覆われた肌の子供だ。アイセルとルネ、そして俺のつもりなのだろう。
「……誰よりも強く……全ての者が共存できる世界を望んでいた……」
 過去にアーネスの口から聞いた言葉だ。アイセルが望んだという夢物語。
 莫迦莫迦しい戯言だ。俺は皮肉に歪んだ笑みを浮かべ、それを破り捨てた。保護魔法の効果が奪われ、それは煙となって消え失せた。

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