砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     3

 足許から突き上げられるような地震が起こり、ルネが短く悲鳴を上げて転倒した。大地の揺れは治まる気配がない。
 む? 俺はテティスに憑依し、そしてテティスと共に地上へと跳んだのではなかったのか?
「……アーネス、あの獣人は私の力を奪った。必ず処分しろ」
 マリスタが俺に向かって厳かに言う。俺の意識はテティスからアーネスへと移動したのか? マリスタが俺に向かってアーネス、と声を掛けてくるのだ。俺は瞬時にアーネスへと憑依してしまったに違いない。
「今は喋らないでください! すぐ手当てしますから!」
「もう、遅い」
 揺れは激しく、とても立ってはおれぬ。
 ……妙だ。ここは天空都市なのだぞ? 空を奔るために僅かな微動はもともとあるが、なぜこのような大きな地震など……。
「私の作り出した地は……エルスラディアは消滅する」
「つ、作り出したって……マリスタ様がエルスラディアを生み出したのですか?」
「私はすでに千年の齢《よわい》を重ねておる。始祖たる私が作り出したものは……無数にある」
 マリスタは、残った目を細めて笑みを浮かべた。抉られた片目は空洞で、そこには血が溜まっておる。
「魔導師の始祖……とは、神に近き者。だが神ではない。過ちも犯す。いずれ悔いるつもりではあったが、やはり不死の呪いには抗えぬか」
 不死の呪いに抗えないとは……一体どういう事なのだ。
 いくら疑問を胸に抱いたとしても、俺に答えは出せない。掴めている情報はまだ少なく、そして回答を導き出せる知識も能力も今の俺にはないからだ。
 俺は……いや、アーネスはマリスタの体を抱え、袖を裂いてマリスタの胸部の傷口に押し当て、止血を試みている。
「……地上の者たちは信じぬだろうが……私はな、人と獣とを合成させる事により、その延命を願っておったのだ。人の、そして獣の儚く脆い命を……僅かでも長く。私と共に歩む者を、一人でも多く。私は友を失い過ぎた」
 ルネは口許を両手で覆い、アーネスはじっとマリスタの言葉に聞き入っている。
「始祖である限り……我が身の呪いは決して解かれぬ宿命《さだめ》にあった。永遠という時の中で、幾百、幾千もの親しき者たちの死を見てきた。不死である事は力の代償として愛別離苦を残す。私はもう近しい者の死を見たくはない。ゆえに獣人として私と共に歩みを……」
「マ、マリスタ様はよくても、あたしたちは納得しません」
 ルネが震える声音で、だがはっきりと反論を口にする。マリスタは伏せていた視線を上げ、アーネスは驚いてルネを見た。
「獣人は人間より長生きです。でも、虐げられ、一生涯、惨苦を体験するくらいなら、長く生きなくてもいいです。あたしたちの事を考えてくださっていたっていうお気持ちは嬉しいですけど、あたしたちの痛みを分かってください。マリスタ様のお考えは、マリスタ様の自己満足で、身勝手な要望でしかありません。テティスは……それを訴えたかったんだと思います。マリスタ様やアイセルに酷い事するのは間違った表現だけど、テティスは誰より獣人のみんなの事を考えてました。石を投げられている獣人の子供がいたら庇ってあげてたし、罵声を浴びて耐えてる人の代わりに、テティスは自分たちの命を主張をするんです。テティスは本当は優しい人なんです」
 ルネが胸の前で両手を合わせ、意を決したように告げる。
「ごめんなさい……言い過ぎました」
「……よい。私のやり方は……間違っていたのだな。すまぬ」
 マリスタは表情を和らげ、ルネの手に自らの手を添える。
「私の死は、エルスラディアの消滅を意味する。同時に、私の作り出したものの死を意味する。始祖ではない“私”のな」
 始祖とはマリスタの事だが……始祖でないマリスタとは一体何を指すのか。
 全ての回答を望む事は困難だが、それを探求したい。全ての謎を知りたい。だが、知る事が恐ろしい。この矛盾に回答を与えてくれる者は、この場にはない。
「私が滅すれば、獣人は絶え、地上の人間たちだけが残る」
「マリスタ様が亡くなると、あたしも……死んじゃうって事ですか?」
 マリスタが小さく頷くと、ルネはペタリと座り込み、虚空を眺めた。
「……アイセルと一緒なら……それでもいいです。えへへ……もう獣人だからって……誰かに石を投げられないでいいんだ……」
 泣き笑いの表情を浮かべ、ルネはそんな事を言う。だが本音は死が恐ろしいのだろう。微かに震える手で、胸元を押さえて強く目を閉じておる。
「マリスタ様。俺はどうすれば……俺はまだ何も知りません。まだマリスタ様に教わらなければならない事が沢山あります。俺は……」
「アーネス……エルスラディアが落ちる前に……お前は退避しろ。そして私の力を奪った者を必ず処分しろ。私の力、そして呪いもろともな。でなければ、また大切なものを失い嘆く、私のような者が出てくる。始祖の呪いはここで終わらせなければならんのだ」
 アーネスは振り返り、都市の先端を見つめる。
「アイセル……」
「……アーネス。私はこの娘と共に、先にアイセルの元へ行く。面倒を押し付けてすまぬが、頼まれてくれ」
「……はい……必ず……」
「アーネス様。テティスを止めてください。お願いします」
 アーネスは立ち上がり、空を見上げた。それと同時に、体が軽くなる。空に舞い、地上へと落ちる天空都市エルスラディアから、人の住まう地へと降りておるのだろう。
 マリスタの作り出したものは全て消えるというならば、獣人であるテティスの肉体も滅ぶはずだ。ルネが消滅するというのだからな。だがアーネスに奴の処分を申しつけるという事は、奴の身は滅ばんという事。
 やはりマリスタの魔力……カブレアを宿す事により、不死を受け継いだという事になるのだろうか。
 ふん……難儀な事だ。魔導師……始祖に架せられる不死の呪い……。
 答えとなる単語は出ておるのだが、そこへ行き着くまでの経緯が分からねば、全体の図式は完成せぬ。全てを理解できぬ。これだけの情報を得ても、やはりまだ分からぬ事だらけだ。
 俺の背後で轟音が轟き、俺は振り返る。俺、いやアーネスのくすんだ灰色の髪が風に舞い、視界に靡く。
 遥か彼方ではあるが、暗き空に舞い上がる土煙の隙間から、大地を抉る巨大な黒い塊が見えた。空中都市エルスラディアが、始祖マリスタの死による影響で、下界と呼ばれる人の住まう大地に落下したのだろう。
 落下した地は広大な砂地。落下のショックなのか、埋れていた巨大な黒い岩が砂地を囲うクレーター状に迫り上がり、碗のように見える。白き砂地は碗の中のスープのようだ。
 ん? 砂地を囲うような岩山……? 食えぬスープの碗……? まさかここは……カルザスたちの暮らす砂漠の国ウラウロー……なのか?
 空中に浮かんでいたエルスラディアという地は、黒き岩が多かった。ウラウローの広大な砂漠には、黒き岩が無数に埋れている。エルスラディアが砕ければ、似たような岩が砂漠地帯に飛び散るだろう。
 まさか……ウラウローとは、エルスラディアの落下によって形成された地だというのか?
 やはり俺がたびたび見ておったこの夢は、遥か過去の実際の出来事。何かの力により、俺に夢という形で真実を知らせておるに違いない。 ウラウローの足下には、落下したエルスラディアが眠っておる。そしてシーアは、不慮の死を遂げたアイセルの生まれ変わりなのだ。俺は確信した。
 そして俺は……俺はやはりアーネスだ。記憶はまだはっきりとはせんが、何らかの魔法により、もしくは魔導師ゆえに、俺は長き時を生きておるに違いない。
 なぜ生き長らえる必要があるのか。それはテティスを探し出し、マリスタの最後の命令を遂げるためだ。そのために俺はこうして……あるに違いない……。
 記憶もなく、魔法の使い方も覚えておらぬ。そして何より、自由に動かせる実体を失っておる。そのような希薄な存在である俺に……行方を眩ませておるテティスを探し出す事ができるのか……。
 いや、探し出さねばならんのだ。マリスタの……始祖の最後の命《めい》なのだから。

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