Light Fantasia

オウカという国には各国から腕自慢が揃う冒険者組合がある。
名(迷)物補佐官でありながら冒険者でもあるファニィ、美貌の怪力美女ジュラフィス、
健気で超天才児のコートニス、生真面目で世話やき基質のタスク。
凸凹四人組が織りなすハチャメチャファンタジー!


       3

 夕食の後片付けも終わり、俺は厨房の最終点検をしてから、パンと冷製スープの器をトレイに乗せて厨房を後にした。体調を崩してるというファニィへの夜食だ。晩飯も食いに来なかったくらいだから、相当具合が悪いんだろう。
 ファニィは女子寮ではなく、組合本部の奥、執務室の更に向こうに私室を持っている。夜中に女の部屋を訪ねるなんて、まぁ俺の感覚ではとんでもなく失礼だとは思うんだが、ファニィはさほど気にしやしないだろう。飯を持ってってやるだけで、下心がある訳でもないし。

 必要最低限の灯りだけが灯った組合本部の、しんと静まり返った夜の廊下は何となく薄気味悪い。昼間、人の行き来が盛んだし活気があるから、余計にそう思えるのかもしれない。なんだか化け物でも出そうだ。
 化け物? 馬鹿らしい。何ビクビクしてんだか。
 俺は内心苦笑しつつも小さく身震いしながら、手持ちランプを片手に、もう片方の手にはファニィの夜食のトレイを手に、組合の奥へと向かった。
 すると執務室の奥、ちょうどファニィの部屋がある辺りから、激しく何かを叩くような音が聞こえてきた。檻か何かに閉じ込められた動物が、外に出ようと中で暴れているような音だ。
 何の音かと疑問に思いながらファニィの部屋へ向かうと、その音はファニィの部屋の中から聞こえてくるようだった。
 俺はランプを床に置き、空いた手で部屋のドアを遠慮気味にノックする。
「ファニィ、俺だ。夜食持ってきてやったぞ」
 返事の代わりに、またさっきの音だ。
「ファニィ? 何騒いでるんだ? 入るぞ」
 鍵は掛かっておらず、ファニィの部屋のドアはあっさりと開いた。俺は床に置いたランプを手にして、背中でドアを押して開ける。

 バシ! バシ!

 うわ、びっくりした! 真っ暗な部屋の隅からいきなり、さっきから聞こえる打撃音だ。そりゃあ誰だって驚くだろう。
 ファニィの部屋に入るのは初めてだが、作りは寮とさほど変わらない。少し広いくらいか。でもなんで夜なのに照明が点いてないんだ?
「ファニィ、どこだ?」
 夜食のトレイを部屋の隅のテーブルに置き、俺はランプで室内を照らす。するとベッドの脇に小さな扉を見つけた。その中から、激しく暴れる何かがいる事がはっきりと分かる。その小さな扉を、誰かが内側から激しく叩いていたから。
「なんだ、これ?」
 夥しい数の錠前がその小さな扉に取り付けられ、内部からは絶対に開かないようにしてある。その扉を開けようとしているのか、中で何かが暴れているんだ。どんな狂暴なペットを飼ってるんだよ、あいつ。
 室内のベッドにも椅子にもファニィの姿はない。どこかへ行っているのか?
 バシ! バシ!
 また扉を激しく叩く音がする。

 ……まさかとは思うが……この中にいるのがファニィなのか?
「……ファニィ、中にいるのか?」
「……け、て……開け……」
 聞き取りにくい擦れた声が聞こえた。
 間違いない! ファニィはこの中に閉じ込められている!
 誰がこんな事をしたのか……コートか? 元締めか? この開けるのが厄介そうな頑丈な錠前、コートの仕業だとしか思えない。
「ファニィ! どうして閉じ込められてるんだ?」
 部屋にこんな、人一人を軟禁できる小部屋がある事自体が異常なんだが、この時の俺はファニィが閉じ込められているという事実と、彼女を助け出さなければという無責任な正義感で頭がいっぱいだった。その〝異常さ〟が、〝ある原因〟に基づいたものだと理路整然と考える余裕もなかったんだ。

「クソッ! 鍵……鍵はないのか?」
 辺りをランプで照らしたが、錠前を開く鍵は見つからない。こうなれば……。
「ファニィ、少し下がってろ! 焼き切る!」
 俺はランプを床に置き、錠前の前で両手を合わせた。指を絡めて複雑な印を組み、そして頭の中で炎の魔法の構成紋章を構築させる。かなり頑丈そうな錠前と扉だ。俺の魔法だけじゃ焼き切る事は難しいかもしれない。ならば……。
「炎の魔神よ! 俺と契約を!」
 俺の右の頬がカッと熱を持った。俺は奥歯を噛み締めてその熱さを堪え、そして掌から火炎を発した。
 炎の魔神は暗黒の神の一人。そんな魔の神との契約は、魔術師のみが許される行為で、自身の魔法との混在具現による魔法と魔術の融合技を遂行できる。デメリットも多いが、今は非常事態だ。
 ジャラジャラと焼き切れた錠前が、予想以上に大きな金属音を発して床に落ちる。その音を聞き付けたのか、幾つかの足音が近付いてきた。
「不審者か! 補佐官様の部屋に何の用だ!」
「俺はタスク・カキネ! 組合の人間だ! この中にファニィが閉じ込められてるんだよ!」
 火炎は次々に錠前を焼き落としていく。
「……っあ……だめ! だめですっ! 僕の錠前を壊さないでください、タスクさん!」
「新人! すぐにやめろ!」
 コートの声がして、小さな手が俺のショールを引っ張った。
「お前がやったのかっ?」
 俺が怒鳴り付けると、コートはビクッと体を竦めて、慄く目で俺を見上げてきた。
「なんでファニィを閉じ込めるんだ!」
「それ、は……あっ……」
 最後の錠前が焼き切れた。俺は自分の手が焼けるのも無視して、熱く熱された扉をこじ開ける。火傷の痛みに喘ぐより、ファニィの無事を一秒でも早く確認したかったんだ。
「だめです! あ、あのっ! 姉様を……ジュラ姉様を呼んできてください!」
 コートが夜警の組合員に慌てて指示を飛ばす。夜警の組合員はコートの指示通り、大慌てで部屋を飛び出していった。
「あっつ……ファニィ、無事か?」
 扉をこじ開けると、中からか細いうめき声が聞こえてきた。俺の火炎の熱でやられたちまったのか?
「ファニィ?」
「タスクさん、だめです!」
 コートが懸命に俺の服を引っ張って扉から引き離そうとする。俺は苛立ち、コートを突き飛ばした。コートは小さく悲鳴をあげて尻餅をつく。
「ファニィ!」
 小さな扉に上半身を押し込んで、真っ暗な中を探る。するとファニィの腕を掴む事ができた。俺はいそいで奴を引っ張り出す。
 ハラリといつもの赤いバンダナが外れる。俺はファニィを助け出し、ぐったりとした彼女の体を抱えて頬をパチパチと叩いて意識を取り戻させようとした。
「ファニィ、俺の炎くらい、お前なら何でもないだろ! 起きろ!」
「起こさない、で……ください!」
 コートが再び俺に纏わりついてきた。なんなんだこいつは! ファニィと仲が良かったんじゃないのか? ファニィを姉みたいに慕ってたんじゃないのか? 一体なんなんだよ、この酷い仕打ちは!
「あう……」
 ファニィが小さく身じろぎして、薄く目を開いた。
「ファニィ?」
「タスクさん離れて!」
 だからコートは一体何を……。
 そう口にしようとした刹那、ファニィの目がカッと開かれた。爛々と光る血の色をした真っ赤な瞳に、猛獣のような長い虹彩が淡く光っている。その瞳が俺を捕えた。
 これ……いつものファニィの目じゃない?
「アアアァッ!」
 まるで魔物のような唸り声をあげて、ファニィが俺を弾き飛ばす。ちょっ……? 今の、あいつの腕力じゃない!
 俺が驚いて身構えると、ファニィは俺の背後にいたコートを見つけ、タンと床を蹴った。凄まじい跳躍で一気にコートとの間合いを詰めると、ファニィは小さなコートの体を床へ引きずり倒し、頭と胸を押さえ付けた。
「ファニィさっ……こほっ……」
 胸を強く押さえられているせいか、コートが苦しそうに咳き込む。そこへさっきの夜警の組合員と、ジュラさんとが室内へ飛び込んできた。
「まぁファニィさん。コートへのおイタはいけませんわよ」
 優雅にのんびりと、だが素早くジュラさんはファニィに詰め寄る。そして渾身の力でコートを押さえ付けている腕を掴み上げる。だがその手が、引く力と押す力の相反によってブルブルと震えている。
 ジュラさんの腕力と対等って、ファニィの奴、一体どうしたんだ? 何が起こっているんだ?
「いけませんと、申しているでしょう!」
 ジュラさんがファニィの肩に掌打を打ち込み、そして足払いを仕掛けて転ばせた。その隙にコートをファニィの下から引っ張り出し、軽々と俺の方へと放り投げてくる。俺はコートの体を受け止め、そのまま反動で後ろへ尻餅をついた。
「……っと……どうなってんだ?」
「けほっ……はっ……は……」
 コートは喉を押さえ、俺の服を掴んで今にも泣き出しそうな表情で俺を見上げてくる。
「ファ、ファニィさんは満月の夜、魔物化するんです。だから僕の作ったからくり扉の向こうに閉じ篭って一晩過ごされるんです」
 そうか、すっかり忘れてた! ファニィは魔物との混血だったんだ。だからこういった惨状を作り出さないためにも、魔物化する日は鍵付きのあの小部屋に閉じ篭って……。
 ああ! 俺、何を勘違いして馬鹿な真似しちまったんだ! 魔物化したあいつを止められなきゃ、俺はコートをジュラさんの目の前で殺させちまうところだったじゃないか! ファニィの手を汚させちまうところだったじゃないか! あまりの
思慮に欠ける行為、猛省してもまだ足りない。

「……くぅっ……コート……どう、します……のっ?」
 ファニィを押さえ付けたまま、ジュラさんが苦悶の表情を浮かべる。あのジュラさんをも上回る力で、ジュラさんの拘束を跳ねのけようとするとは、魔物化したファニィの奴、一体どんな怪力なんだよ!
「コート! どうすりゃファニィを助けられる?」
「で、できない……です……分からない……僕、分かりません! ファニィさんも分からないから、いつもお一人で閉じ篭って堪えてらしたんです!」
 ジュラさんの方を心配そうに見ながら、コートは今にも泣き出しそうな表情で絶望的な事を口にする。
「……コート……わたく、し……駄目です、わ……っ!」
「姉様! ファニィさん、姉様を殺さないで!」
 ファニィがジュラさんを跳ねのけた。そしてジュラさんの喉に牙を剥いて食らいつこうとする。コートは錯乱し、ジュラさんの元へ駆けて行こうとするのを、俺は必死に押さえつける。
「駄目だ! お前じゃ役に立たない!」
「姉様! 姉様! やだ……嫌です……助けて……姉様を助けて……ファニィさんを助けて……」
 コートがしゃくりあげながら頭を抱えて膝をつく。

 その時だ。室内が一瞬昼間のように真っ白に光り、俺たちの視界を遮る。俺が手で目を庇うと、チラチラと何者かの影が動いた。
「う……聖刻……?」
 指の隙間からファニィとジュラさんを見ると、彼女らの頭上に『聖刻』と呼ばれる、俺の使う暗黒魔術と対を成す『純白魔術』を行使する時に現れる聖刻の影が見えた。
 室内をまぶしく照らす光が治まり、俺の落としたランプの灯りだけの、薄暗い室内に戻る。
「何が……」
「姉様? ファニィさん?」
 コートが俺の手からするりと抜け出す。馬鹿! まだ……。
 だが俺の心配は杞憂に終わった。
 肩で息をしているものの、無傷のジュラさんがコートに付き添われて蹲っている。そしてそのすぐ傍には、意識を失ったファニィがいた。
 薄く開いた唇からは魔物化していた時にあった牙は消え、普通の人間より少し長いだけのいつもの八重歯が見える。僅かに尖った耳も普段通りだ。
「ジュラさん。無事ですか?」
「……ええ……なんとか……でも何が起こりましたの?」
「ファニィさんは……」
 コートはおっかなびっくり、意識を失っているファニィの様子を見る。
「魔物化の兆候が……消えています」
 コートが振り返ろうとすると、ベッドの影から見慣れない少女が立ち上がった。今までこんな子、いたか?
 オレンジ掛かった金髪を耳の両サイドで輪っかにして、フリルのたっぷり付いた可愛らしいワンピースを着ている。そして俺を見て、そして小さくコクンと頷いた。
「ん? 俺?」
 少女がまた頷く。そしてファニィの側へふわりと座り、いつもの赤いバンダナを手首にリボンのように結んでやっていた。
「あなたは……?」
 少女はコートを見て、僅かに口元を綻ばせる。笑った、のかな?
 俺はファニィに近付き、彼女を助け起こした。そしてコートを見る。
「魔物化は一晩で治まるのか?」
「は、はい。長くても二日くらいで……でももう耳が尖ったり、目が光ったりする……ま、魔物化の兆候が完全に消えてしまっているので……」
 俺はさっき光の中で見た聖刻を思い出した。そして少女の方を見る。
「……純白魔術か?」
 ゆっくりと、少女が頷いた。
 やっぱり!

 死を司る俺の暗黒魔術は、不用意に扱えば相手に死をもたらす。だが純白魔術はそれとは逆で、相手に生と癒しを与えるんだ。扱いは暗黒魔術以上に難しく、能力保持者も極希少で、純白魔術を完全に扱える術者はほとんどいない。俺も初めて見たくらいだ。
 だから一口に『魔術師』と言えば、大抵は俺のような『暗黒魔術師』の事を指す。それほど純白魔術師の存在は稀有なんだ。ファニィのような混血の混血並に稀な存在かもしれない。
 この少女がファニィの魔物化を、純白魔術で抑えたと考えたなら全て説明がつく。

「お前さんがファニィを助けてくれたんだな。ありがとう」
 少女は少し照れたように、小さく首を振る。
「ところで君はどこから入ってきた?」
 俺の問い掛けに、少女は口元を指先で抑え、困ったように細い眉をしかめる。そして首を振った。
「どうした? 答えられないのか?」
 少女はためらいがちに口をパクパクさせ、再び首を振る。
「……喋れないのか?」
 俺の問い掛けに少女は頷いた。そしてファニィを指差し、自分の耳を軽く引っ張り、また首を振る。何か訴えているのは分かるが、そのジェスチャーだけでは何を言いたいのかさっぱり分からない。
「……あの……もしかしてそのかた、ファニィさんはもう魔物化しないと……仰っているのではありませんか?」
 コートが小首を傾げると、少女はコクコクと頷いた。
「そうか。お前がファニィの魔物の血を薄めてくれたのか」
 少女が首を振る。
「……違うって仰っているみたいです」
「じゃあ、封じただけか?」
 少女が少し考えてから頷いた。
「……そのようです」
 口をきけない少女の言わんとしている事を、コートは的確に判断して通訳してくれた。コートも無口で引っ込み思案だから、少女の言いたい事が理解できるのかもしれない。
「わかった。じゃあ、もう今夜は魔物化しないようだから、このままこいつは休ませてやろう。でも念のため、ドアには外から鍵を掛けた方がいいかもな」
 知らなかった事とはいえ、俺の失態のために、コートやジュラさんには迷惑を掛けてしまった。
「……あの、タスクさん」
「なんだ?」
「純白魔術というのは……?」
 こういった不可思議な事には強い興味を示すコートが、遠慮気味に俺に問い掛けてくる。
「ああ。俺の使う暗黒魔術と対を成す魔術の事だ。あー……っと、説明は明日してやるよ。魔法との違いもひっくるめて、今ここで説明するにはちょっと長くなるから」
「はい」
 ジュラさんがゆっくりと立ち上がり、ふうふうと胸を押さえながら深呼吸しているこの人がこれだけ消耗するのも珍しい事だ。

「あ、この子……組合員か?」
 俺はコートに少女の事を尋ねる。
「いえ。お見掛けしたこと、は、ありませんから……」
「夜中に一人で帰すのも可哀想だしな。部屋、貸してやれますか?」
 すっかり存在を忘れていた夜警の組合員に声を掛ける俺。組合員は頷き、少女を連れて行こうとした。だが少女は嫌々と首を振り、コートのケープを掴み、その場を動こうとしない。どうやら一人でどこかへ連れて行かれる事が不安らしい。
「大人ばっかりだしな、ここ。なぁ、コート。お前、面倒見てやれるか?」
「は、はい」
「じゃあ、頼むわ。警備員さんは元締め様を。俺がお詫びと説明をします」
 コートはジュラさんに手を引かれ、少女はコートのケープを掴んだまま、ファニィの部屋を出て行った。俺はファニィの体をベッドへ横たわらせ、すやすやと眠りこけているファニィを見た。
「またお前、俺に嘘吐いたな。魔物化するなんて聞いてねぇぞ」
 俺は苦笑しながら、元締めの到着を待った。

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