Light Fantasia

オウカという国には各国から腕自慢が揃う冒険者組合がある。
名(迷)物補佐官でありながら冒険者でもあるファニィ、美貌の怪力美女ジュラフィス、
健気で超天才児のコートニス、生真面目で世話やき基質のタスク。
凸凹四人組が織りなすハチャメチャファンタジー!


       5

 五年ぶり、か。
 五年ぶりに戻った俺の部屋は、親父かお袋が毎日掃除しててくれたのか、埃一つない、当時のままの状態にされていた。
 魔法書の詰まった本棚も、構築式の書き取りをしていた机の上の紙の束も、家出した十五の頃に着ていた服の詰まったクローゼットも、何もかもそのままにしていてくれていた。
「さすがにもうこんな小さくなった服なんか、誰も着ないんだから捨てりゃいいのに」
 俺は苦笑しながらクローゼットの中の懐かしい服を眺める。それから机の上の紙の束を広げ、描いた構成紋章と構築式を指先でなぞる。
「構築式だってもう全部覚えてるよ。……もう使えなくなったけどな」
 俺にはもう必要ないものだから捨ててしまおうか少し迷ったが、その紙の束を大事に机の引き出しへ入れる。これは俺が、出来損ないとはいえ魔法使いだったという数少ない痕跡だからな。
 数回深呼吸すると、懐かしいジーンの、俺の家の匂いがした。俺、帰ってきたんだな。
 ゆっくりベッドに体を投げ出すと、クッションが思いの外ヘバっている事に気付いた。そっか、これは姉貴のお古だっけ。さすがに十二、三年も使えばクッションも傷むよな。でも……懐かしい感触だ。
 明日、ファニィたちはオウカに帰る。だけど俺はオウカには戻れず、ジーンに残る。もうずっとファニィたちとオウカにいられるものだと思っていた時期もあったから、今ジーンにいる事が少し不思議に思える。
 ジーンに残って、俺がやるべき事は……。

 魔術も使えなくなったが、俺が〝魔術師〟であったという人々の記憶はまだ鮮明に残っている。だから魔術は使えなくとも、俺は〝カキネ家の魔術師〟なんだ。この事実は、何をどうやったって覆せない。
 そして魔法。俺が唯一使えた炎の魔法ももう使えない。俺の持つ全ての魔力が封じられ、俺はただ魔法の知識があるだけの男でしかなくなった。そんな俺が魔法国家であるジーンにいて、何ができるのか……。
 魔法の構成紋章のようにも見える天井の細工をぼんやりと眺めながら、俺は片手を頭の後ろへ枕替わりに持っていった。
「どう……すっかな……」
 魔法も魔術も使えなくなるなんて考えた事もなかった。だから魔力を失ってしまった今の俺は、これから自分が何をすべきなのか、何を目標とすればいいのか、考えても考えても思い浮かばくなっていたんだ。
 ただ一つ漠然と、だけどはっきり分かっているのは、魔力を失ったという事実は、今はさほどショックでも何でもないという事だ。もちろん当初は現実に戸惑ったし、魔力を封じたコートに八つ当たりしたくなった事も認める。だけど今。本当に何もかも失ったんだと、理性も感情も納得してしまった今は、やるべき事が見つけられないだけで、ショックも悔しさも、そんな負の感情は何もないんだ。
 探究心や魔法に対する貪欲さが失われ、無気力になってしまった……と言えるかもしれない。

 コンコンとドアがノックされる。こんな夜中に誰だ?
 足を上げて反動で置き上がり、利き腕が使えない不便さにまた戸惑う。だがその内治るんだからと、無事な方の手で折れた腕を擦りながらドアを開けた。
「あっ……」
「か、関係ないわよ! あたし補佐官だから!」
 ファニィが俺が口を開くより早く、いつも寮に押し掛けてきた時の常套句を口にした。
「……って、ここは寮じゃないんだから本当に関係ないか」
 ファニィがくすくすと笑う。俺はファニィの額を小突いた。
「組合の寮じゃないが、夜中に男の部屋に一人でのこのこやってくるのは、マトモな神経した女のやる事じゃねぇぞ」
「ああ、それね。それも関係ないよ。だってあたし」
 ファニィがニッと笑う。
「あんたの彼女だから」
「そっ……」
 はっきり言い切られると、反対にこっちが照れる。確かにヒースとのやりとりで、結果的にそういう関係に落ち着いたんだが、何つうか……うん。ちょっと、まだ、照れる。実感もないし。
 俺が頭を掻いていると、ファニィは無遠慮に室内へ入ってきた。きょろきょろと物珍しげに室内を眺めている。見られて困るようなものは無いが……もうちょっと遠慮しろよな。
「へぇー。ここがあんたの部屋なんだ」
「昔のまんまだから、ちょっとガキっぽいモンがあったりするけどな」
 クローゼットの奥に押し込んではいるが、昔、姉貴が勝手に置いていった不細工なぬいぐるみとか……。
「で、何の用だ?」
 俺はドアを閉めて振り返る。窓際のランプに照らされたファニィの輪郭がオレンジ色に見える。
「用っていうか、確認っていうか……」
 ファニィが振り返ると、赤い瞳にランプのオレンジ色が映り込んで、不思議な色合いになる。
「あんたのパパやママ、ミサオさんは凄くいい人だし、あんたを大切に思ってるけど……あんたはこのままジーンにいて幸せなの?」
 ファニィは真剣な表情で俺を見つめている。
「昼間にあったような事、あんた日常的にされてたんでしょ? ずっとずっとヤな目で見られて、陰口叩かれて、そういうの嫌で、あんたは家出してきたんじゃないの? そんな町に残って……あんた幸せなの?」
 ジーンにいる限り、町に出れば俺は〝カキネ家の魔術師〟としての扱いを、今後も受け続けるだろう。ファニィはそれを心配してくれてるんだよな。自分と同じ〝忌まわしき者〟である俺に、自分の影を重ねているのかもしれない。最初の頃、俺がファニィをそう思ったように。
「幸せかそうじゃないかって聞かれたら、そうじゃない、だろうな」
「だったら! ……だったら……明日……」
 ファニィが俯いて黙り込む。だがすぐに、何かを決意するような表情で顔を上げた。その頬は僅かに紅潮していて。
「……だったら明日……一緒にオウカに帰ろう? 組合には戻してあげられないけど、でも……偏見のないオウカには、あんたにできる仕事だってきっとあるよ。オウカなら、あんたは〝魔術師〟って疎まれないで暮らせるよ。だから……! だから一緒に……」
 ファニィは早口に捲し立ててくる。
「ファニィ、ありがとう」
 俺はファニィの頭に手を乗せた。
「でも俺はジーンに残るよ」
「なんで? どうして? あんたはもう魔法使いに戻れないんだよ! 嫌な事を我慢してまでジーンに残る必要なんてないじゃない!」
 ファニィは俺の手を振り払い、俺を突き上げるようにして睨み付けてくる。俺は苦笑して、静かに口を開いた。
「お前の顔見てたら、俺のやるべき事を思い出した」
「やるべき事?」
 ファニィが、俺の忘れかけていた答えを思い出させてくれた。迷っていた俺の道しるべになってくれた。
「お前の苦しみや悲しみや辛さを、俺が半分受け持ってやるって約束したよな? 俺がお前を支えてやるって約束したよな? 今の俺にお前を守ってやれる力は何もないけど、だけどそれをジーンで見つけて、俺はまたオウカに戻る。お前を守るために、オウカに戻る。それが俺のやるべき事」
「そんなのいらない! そんなのいらないから、一緒にオウカに戻ってきてよッ!」
 ファニィが俺に見せる初めての感情を剥き出しにして叫んだ。そしてがばっと俺にしがみ付いてきた。
「いらない……あたしを守るなんて言わなくいいから、あたしを守ってなんてくれなくていいから、お願いだからあたしを一人にしないで!」
 こんなに素直に自分の感情を、気持ちを、想いをぶつけてくるファニィなんて初めて見た。
 男としてこれは舞い上がるべきなんだろうけど、でも俺の心は酷く穏やかで静かだった。ファニィが熱くなれば熱くなる程、俺の心は海が凪ぐように緩やかに落ち着いていく。
「なぁファニィ」
 俺の肩に顔を埋めたまま、ファニィは返事をしない。
「誰がお前を一人にするって言った?」
「え?」
 ファニィが顔を上げる。頬を赤くして、目に涙をいっぱいに溜めて、ファニィの赤い瞳に俺が写っている。
「お前にはジュラさんもコートもヒースもいるだろ」
「……ッ違うよ! ジュラたちはあんたと違うの! タスクとは違うの!」
「違うだろうな」
「分かってんなら……!」
 俺は左手の指先でファニィの目元を拭ってやる。
「あのな、よく聞いてくれ」

 俺は昔から思慮深いタイプだったと思う。だけどオウカでファニィたちと過ごしている内に、突っ走りがちなファニィやジュラさんを引き止めるという癖がすっかり染み付いてしまった。今もそうだ。自分の感情だけで突っ走ろうとしているファニィを、俺が止めなきゃならない。ファニィのためにも、俺のためにも。
「俺はこの先もジーンで過ごす限り〝魔術師であった〟という過去からは逃れられない。それはお前の血と同じで、どんな事をしても変えられない事実なんだ。だけどそれは辛いけど、不幸な事じゃないと思ってる。蔑まされる立場を、ファニィと同じ視線で見られるようになったからだ。ファニィを理解して、受け入れる事ができたのは、お前と同じ目線に立つ事を知っていたからだと思う」
「何が言いたいの……?」
「分からないか? 俺はファニィが好きだ。ファニィの忌むべき血も、受けてきた仕打ちも、俺は全て受け入れた上で、お前の事が好きだ」
 ファニィが顔を赤くして俯く。
「最初は同じ立場だから惹かれているだけだと思ってたけど、でも今はそんな事、どうだっていい。魔物との混血だろうと関係ない。俺はファニィがファニィだから好きなんだ」
 オウカにいた時にさんざん姉貴にせっつかれたが、俺は初めて言葉にしてファニィに自分の好意を伝えた。
「俺さ……ジーンにいる限り、また罵られたり避けられたりすると思う。偏見はすぐには無くならないものだから。だけど俺は沈黙を続ける。我慢を続ける。そしてその間に、俺はファニィを守る別の力を模索してみる。ジーン一の賢者や高名な魔法使いがカキネ家にはいるんだ。俺の思いつかないような奇想天外な方法を見つけ出してくれるに違いない。俺はファニィを守るという約束は絶対に破らない。絶対にファニィを守れる力を見つけて、必ずオウカに戻る。だからそれまで、ほんの少しだけ待っててくれないか? お前を迎えに行くまで、俺を信じていてくれないか?」
 そうなんだ。俺はファニィの力になると、ファニィが生きる手伝いをすると約束したんだ。その約束を果たせる力をもう一度、俺が生まれ育ったこのジーンで学び直したい。それが俺の……今の目標なんだ。

 ファニィは緩く俺の肩を叩いた。
「……ずるい……」
 ファニィが俺の服を強く掴む。
「ずるいよ、タスク。タスクはずるい……っく」
 ファニィが体を強張らせる。
「……そんな、言い方されたら……あたし、もう我が儘言えないじゃない。タスクの言葉を信じるしか、言えないじゃない。一緒に、来てなんて……もう言えないじゃない。そんな言い方、ずるいよ」
 ファニィが小さく肩を震わせる。泣いて……んのか?
「……タスク……は、強い……よね。あたしもタスクみたいになりたい。肩肘張って、見栄張って……強いフリするの、もう、辛いよ……」
「俺は強くなんかないよ。お前の方がよっぽど強い。だけどお前はもう、強がる必要なんてないんだ。だってお前の事は、俺が守ってやるんだから」
「……っく……ひくっ……」
 ファニィは堪え切れなくなったのか、泣き声を漏らした。
「泣いてお別れとか、俺そんなのやだぜ。俺、お前の笑ってる顔が見たい」
「無茶……言わないでよ……っく……もう、止まんないもん……涙……ひぐっ」
「……ははっ……しばらく胸貸しててやるけど、鼻水付けんなよ」
「いじわる……」
 俺はファニィの肩に手を乗せ、ファニィが泣きやむのを待った。

 今夜の月、ちょっと雲に隠れてるな。俺がこの家を黙って出て行った日と同じだ。
「タスク……絶対、だからね。約束だからね」
「ああ。俺は必ずお前を迎えに行く。約束する」
 ファニィは涙で濡らした顔を上げ、じっと俺を見つめる。そして少し戸惑いながら、背を伸ばしてきた。
 あー、うん。嬉しいんだけど……。
 俺は左手でファニィの口を塞ぐ。ファニィはきょとんとどんぐり眼で俺を見て頭を混乱させている。俺が応じると思って仕掛けてきたんだから、そりゃあまぁ相応の反応だよな。
 俺は苦笑しながらファニィを少し押し離す。
「ええと……キス、は、今はパスって事で」
「……なっ……なんでよ! ひ、人がその気になってんのに……ッ! ……ふ、雰囲気ブチ壊さないでよ!」
 ファニィが真っ赤になって噛み付くかのような勢いで不平を漏らす。
「いや、だからその……約束、果たしたらな。先にもらう訳にはいかないだろ」
「あたしを……迎えにきてからって事?」
「そうそう。そういう事で。あっ。でも今、俺がビビッてる訳じゃねぇからな。勘違いすんなよ」
 ブチブチと不平を垂れるファニィに俺は釘を刺す。
 うん、俺は間違っちゃいない。
 確かに今、そういう雰囲気だったのは認める。だけどキスしちまったら、なんか俺の決心揺らぎそうで。俺だって情けないまんま「やっぱりファニィと別れたくないからオウカに戻ります」なんて言いたかねぇし。ちっとは男らしいトコ、見せたいじゃねぇか。
「ふ、ふんっ……なによ、ヘタレ。もう絶対あたしからあんな事しない!」
「だからビビッたんじゃないって! 俺にも恰好付けさせろよ」
 ファニィは目元をぐいと拭って、腰に手を当てる。
「分かるもんですか。あーあ。ヒースと寄り戻そうかな」
「それは俺が許さねぇ」
「悔しかったらさっさと迎えにきなさいよね」
 腕組みして顔を背ける。だがその頬が緩んでいるのを俺は見逃さなかった。
 ふっ……あははっ! やっぱりこういう憎まれ口の叩き合いってのが、俺たちにはお似合いだよな。

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