Light Fantasia

オウカという国には各国から腕自慢が揃う冒険者組合がある。
名(迷)物補佐官でありながら冒険者でもあるファニィ、美貌の怪力美女ジュラフィス、
健気で超天才児のコートニス、生真面目で世話やき基質のタスク。
凸凹四人組が織りなすハチャメチャファンタジー!


     ヒース・ドルソー

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「お前、また残しやがったな?」
 ファニィの私室へ食事の膳を下げに行き、そのほとんどが手付かずのまま残っているのを見て、俺はファニィの額を小突いた。普段ならここで激しい反論が返ってくるはずなんだが、ファニィは肩を落としてしおらしく俯く。
「……ごめん……少しは食べたつもりなんだけど……」
 ジュラさんとコートがマインドシードの毒素にやられ、いまだ意識が戻らない事を、ファニィは自分のせいだと責め続けている。確かにサヴリンの芝居を見抜けなかった過ちはファニィの落ち度だが、俺はファニィを責める気にはならない。きっと俺がファニィと同じ立場で、同じだけの情報しか手札になければ、ファニィと同じ判断をしていたと思うからだ。
 あの時あの場にいた誰もが、最良の選択をするには決定的なピースを持ち合わせていなかった。そんな不完全な情報しか持ち得ない状況で、正しい選択肢を選べる人間なんて誰一人いなかったんだ。だから誰も、責めたり責められる理由なんかない。
「……仕事……行く準備しないといけないから、出てってくれないかな」
「休んだ方がいいんじゃねぇか?」
「この前も休んだばかりだし……今は〝書記官〟もいないし……あたしは大丈夫だよ」
 ファニィがぎこちなく笑い掛けてくる。俺は腰に手を当て、溜め息を吐いた。
「なんか喉越しのいい甘いモンでも作ってやろうか? そういうのなら口入るだろ」
「え、うん……あ、いいよ。気を遣わなくて。おなか空いたら……食堂、行くから……」
「……分かった。絶対来いよ。来なきゃまた押し掛ける」
 そうやって、食事の膳を持って押し掛けたのは、今回で七回目。つまり丸二日分の三食と三日目の朝飯。それだけの食事を、ファニィは拒否していた。
 いくら不死身のファニィだって、このままじゃマジに体が持たないに決まってる。どうしたもんかね。

 俺は膳を手にして、ファニィの私室を出た。そのままぼんやり廊下の窓の外を見ながら歩く。
 今日で三日目の朝。
 ファニィがほとんど飯を食わなくなって、ジュラさんとコートが眠り続けて、今日で三日目という意味だ。いつも鬱陶しいくらいに俺の周りをうろついていた三人が三人とも、俺の視界からいないんだ。そりゃあ寂しいに決まってる。
 本館を出て別館に入り、そのままぼんやり歩いていたから、うっかり食堂を通り過ぎてしまった。俺は一人で照れ笑いし、厨房へ入って膳から食器をシンクへと置く。
「おーい、タスクー」
 カウンターから声が聞こえた。
「イノス先輩。どうも。今日はもう昼飯ですか?」
「見たぜ、お前がボケーッとしてて食堂通り過ぎるの」
 ぐっ……。
 俺は奥歯を噛み締め、言葉を飲み込む。どう言い訳したって、うっかりを見られたのもミスッたのも事実だからだ。何も言い返せない。
「まぁいいや。医務室おいでよ」
「医務室? あっ! ジュラさんとコート、気付いたんですか?」
「ジュラフィスさんだけね」
 俺は急いでイノス先輩と医務室へ向かった。

 医務室にはベッドが一つしかなく、そのベッドの上でジュラさんが青白い顔で額を抑えて座っていた。いつもの朗らかな笑顔はなく、ただ無言で口を噤んでいる。
「ジュラさん、大丈夫ですか?」
 俺は医務室へ飛び込むなり、嬉しさのあまり声を張り上げた。
「……ん……ごめんあそばせ。頭が少し痛いんですの。あまり大きな声は出さないでくださいませんこと?」
 ジュラさんが形のいい眉を顰めて言う。
「すみません。でも意識が戻って良かったです」
 ジュラさんは不思議そうに小首を傾げ、そしてキョロキョロと辺りを見回す。窓から差し込む太陽の光を見て、指先を唇に当てて何度か瞬きする。
「わたくし、随分お寝坊さんしたのですわね。コートは起こしてくれなかったのかしら?」
「ジュラさんは体調を崩してるんですから、寝坊したっていいんですよ」
「そうですの? ……ん」
 ジュラさんがこめかみを抑え、辛そうな表情になる。
「まだ具合悪そうですね? もうしばらく休んでいてください。次に起きたら、ジュラさんの好きな食い物、何でも作りますから」
「まぁ、それは楽しみですわ」
 ジュラさんが柔和な笑みを浮かべる。だがふいに、不安そうな表情に変わった。
「……ねぇ、タスクさん。コートが見当たりませんけれど……」
 俺は口籠る。するとイノス先輩が進み出た。
「コートニスちゃんは元締め様の用事でしばらく出掛けています。ジュラフィスさんは体壊して寝てましたから、くれぐれもジュラフィスさんをよろしくって言って出掛けましたよ。だから少しだけ我慢です。ね?」
 明らかに嘘だろう。だけどイノス先輩の機転に俺は合わせる事にした。
「わたくしに何も言わずにお出掛けするなんて、コートは意地悪さんですわ」
「急な仕事だったみたいですから仕方ないですよ。帰ってきたらいっぱい遊んでやってください」
「そうですわね」
 ジュラさんが両腕を擦る。
「なんだか寒気がしますの。それにまだ少し眠いですわ。お休みさせていただいてもよろしいかしら?」
「はい、ゆっくり休んでください。おやすみなさい」
「ええ、おやすみですわ」
 ベッドへ横になると、ジュラさんはすぐに静かな寝息をたて始めた。俺は毛布を直し、イノス先輩と廊下へ出る。
「先輩、ありがとうございます。さすが、いい機転でしたね」
「おれが考えた訳じゃないよ。どっちかが先に目が覚めたら、ああ言うようにファニィちゃんから指示されてたんだよ」
 ファニィ……自分だって辛いのに。いや、自分が辛いからこそ、か。
「それでコートは?」
 確かジュラさんと医務室でベッドを並べて寝ていたはずだが、コートはベッドごと消えていた。
「向かいの来賓室。お互い姿を見られたらマズいから、ベッドごと移動させたんだ。まだ意識は戻ってないけど見舞うかい?」
「はい」
 コートが火薬で吹っ飛ばした部屋とは別の来賓室は、ベッドを置いたら少し手狭な感じがした。その部屋の中央に置かれたベッドで、コートは昏々と眠り続けている。
 元々、北方白色系のラシナの民であるコートの肌は、まるで蝋人形に見えるほど真っ白になっていた。呼吸も極端に少なく、事情を知らなければきっと死んでいるのではないかと勘違いするだろう。
「純度の高いマインドシードを、針か何かで直接注入されたんだろう。大人でも昏倒するような量の麻薬を子供に使えば、その負担は想像に難くないだろ」
 人並み外れて体力のあるジュラさんですら、三日も意識を取り戻せなかったほどの量の麻薬。コートの体格は標準よりかなり小柄だから、身体的負担はその倍程度、というような、単純計算では考えない方がいいという事だ。
「それにジュラフィスさんに比べて、体内への毒素の回りが極端に早かったみたいなんだ。体が小さい子供だからかな?」
「……そうですね……コートは奴に対してかなり興奮してて、普段聞かないような大声で叫んだり暴れ回ったりしてました。普段おとなしい分、完全にキレて見境がなくなってたというか」
「なるほど。血流はかなり乱れて激しかったってたって事か」
 イノス先輩は腕を組んで難しい表情になる。
「でも先輩。よくマインドシードによる中毒の処置なんて知ってましたね。この麻薬、ジーンでしか採取されないもので、他の国にはあまり出回ってないのに」
 外国であまり出回らない種類の麻薬だからこそ、サヴリンはマインドシードを選んだのだろう。ジーン生まれの血縁者がいるなら、この麻薬に詳しくても不思議じゃない。
「ああ、それはたまたま偶然。今、勉強してる本に、珍種の薬草の事が載ってたんだ。そこにマインドシードの事も書かれてた。多分あの本を読んでなければ、まともな処置はできなかったよ」
 本当に危なかったんだな。俺もジーンの魔法使いの端くれだから、マインドシードの扱い方や効能は少しくらいなら知ってる。だが、解毒方法を聞かれても、薬学は俺の専門外だから何も答えられないし分からない。厄介な物を使ってくれたもんだぜ、サヴリンの野郎は。

 その時、来賓室のドアがノックもなしに開いた。
「あっ……」
「よう。お前も来たのか」
 ファニィだった。
 ファニィは驚いたように俺たちの顔を見回し、そしてコートのベッドに気付いて、ドアをゆっくり閉めて室内へ入ってきた。
「こっちに移動してたの? 今、医務室見てきたらジュラしかいなくて」
「ええ。さっきジュラフィスさんの意識が戻って、ファニィちゃんに言われた通りにコートニスちゃんの事は誤魔化しておきました。ジュラフィスさんはまた眠っているだけです」
 ファニィは両手で口元を抑え、目を潤ませる。
「良かった……ジュラ、もう大丈夫なのね?」
「ええ。まだしばらく安静にはしないと駄目だと思いますが、明日には起きられるようになりますよ。特に悪い副作用もないようですし」
 ファニィは泣き笑いの表情を浮かべ、こちらへ歩み寄ってくる。そしてコートを見て、また表情を曇らせた。
「……コートはまだ?」
「は、はい……大人でもほんのごく微量で昏倒する程の劇薬ですから、子供のコートニスちゃんの体に掛かる負担は何十倍何百倍にもなるかと。目が覚めたとしても、副作用の影響がどんな形で出るか全く予測できません……」
 ファニィはコートのベッドの横に膝を付き、コートの手を両手で握る。
「イノス君お願い……コートを助けて……」
「解毒はできてるんですよね? さっき本で読んだばかりだって」
 俺が念を押すように言うと、イノス先輩は表情を曇らせる。
「それが……その……おれは一般的な治療をしただけで、完璧な解毒ができた訳じゃないんです。ジュラフィスさんは普通よりずっと体力のある人だから目が覚めたんだと……」
「ねぇ、何とかならないの? どんな薬だって取り寄せるよ。それがどんなに高いお薬でも、費用はあたしがなんとかする。だから……」
「すみません……多分、無理……です」
 先輩が申し訳なさそうに肩を落とす。
「使われたのがジーンでも珍しいとされるマインドシード。そしてその解毒に使える薬草も、ジーンでごく僅かしか採れない、かなり珍しい薬草らしいんです。あまりに稀少なんで、魔法使いの間でしか取引されないものらしくて」
「オウカにも小さいけどマジックショップとかあるよね? だったらそこに売ってない? なんならジーンのマジックショップまで行ってきてもいいわ!」
 ファニィは必死にイノス先輩に食い下がる。
「ジーンのマジックショップになら……ある、かなぁ……? タスク、知ってるか? デリィセージって言うらしいんだけど……」
 デリィセージ! ジーンの高原地帯で何十年かに一度くらいしか採取されない、本当に珍しい薬草の名前だ。
「……デリィセージはジーン国内でもほとんど出回らない。高原地帯で何十年かに一度くらいしか芽吹かない稀少な薬草なんだ。だから人工栽培の研究はされてるが、まだまだ品種改良の段階で、実験的に栽培された人工デリィセージは天然物に比べて遥かに効果は薄い」
「そんなに珍しい物なのか。じゃあ今からジーンに探しに行ったとしても、採れるかどうかも怪しい訳だ。完全に手詰まりだなぁ」
 イノス先輩が腕組みする。
「それでもいい! あたし、行ってくる! ちょっとでも可能性があるならそれに賭けるわ!」
 ファニィが立ち上がって駆け出そうとする。俺はすかさずファニィの腕を掴んで引き止めた。
「離して! すぐ行って薬草採ってこないとコートは!」
 ファニィの手に、イノス先輩が手を重ねる。そして諭すように言った。
「……ファニィちゃん……タスクの話、聞いてましたよね? そんな幻の薬草……簡単に手に入る訳が……」
「だって!」
「……先輩。デリィセージ、もし今、手に入ったとして、どうやって使うんですか?」
 イノス先輩とファニィの問答を遮る俺。
「え? えー、それは……もう一度あの薬草の本を読んで調べないと、おれも流し読みしただけだから詳しくは……」
 俺はイノス先輩の顔を見て、それからファニィを見た。
「天然のデリィセージは干して乾燥させます。魔法使いが魔力を高めるために香として焚き、部屋を煙で満たして瞑想するために使うんです」
 イノス先輩は腕組みしてコクコクと頷く。
「気化させて吸引……それもありかな。煎じて飲ませるのかと思ってたけど」
「じゃあ、生花である必要はないんですね?」
「あ、ああ……おれはデリィセージの実物なんて見た事も聞いた事もないし……」
 俺は眠り続けるコートを見て、ふっと口元を笑みの形にした。ファニィとイノス先輩が訝しげに俺を見る。
「俺、持ってます」
「え?」
「天然のデリィセージ。俺、持ってます」
「なんだって、本当か!? 貴重な物なんだろう?」
 イノス先輩が驚いた表情で身を乗り出してくる。俺はファニィの腕を離し、もう一度コートを見た。
「家を出てくる時、路銀に困ったら売ろうと思って、実家から少しですけど持ってきてたんです。大した量じゃないけど……持ってきます!」
 俺は部屋を飛び出した。背中からイノス先輩の声が聞こえる。
「ファニィちゃん! コートニスちゃん助かりますよ! タスクのお陰でコートニスちゃん、助けられますよ!」
 デリィセージが金になる事は知ってたが、まさか家を出る間際の、あのとっさの思い付きが今になって役立つなんて! 本気で金に困るまで売らずに取っておいて良かった!
 ファニィはきっと泣き崩れているだろう。俺も泣きたい気分だった。

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