Light Fantasia

オウカという国には各国から腕自慢が揃う冒険者組合がある。
名(迷)物補佐官でありながら冒険者でもあるファニィ、美貌の怪力美女ジュラフィス、
健気で超天才児のコートニス、生真面目で世話やき基質のタスク。
凸凹四人組が織りなすハチャメチャファンタジー!


     純白魔術

       1

「……以上で完了報告といたします。本依頼における最重要参考人と思われる、リッケル・ルーは死亡しました。以降、町に類似事件は確認されていません」
 俺はコートの纏めた今回の依頼の顛末書を、元締めの前で淡々と読み上げた。
「そうか。残念だ。彼がね……」
「魔物化した人間を元に戻す方法という術(すべ)が手札の中になく、そしてチームリーダー不在という緊急事態であったため、俺の独断で〝魔物を強制排除〟という判断を下しました。全ての責任は俺にあります」
 元締めは顎の髭を数回片手で撫で、深い溜め息を吐いた。
「……タスク・カキネ。君の判断は正しかった。その時点で最善の策だったと言わざるを得ない。ゆえに君に対していかなる処分も処罰もない。今後とも組合のために尽力を頼む」
「ありがとうございます」
 俺は顛末書を元締めに提出した。

 本来ならば、こういった依頼の完了報告は、チームリーダーを務める者の役割だ。つまり俺が所属するチームリーダーであるファニィがすべき仕事となる。
 だがファニィは昨夜……あの一件から、まるで魂が抜けたように虚ろな視線を虚空へ泳がせ、寝込んでいる。ただうわ言でずっと「自分は何もしていない」「自分が見た」「自分と同じ」という言葉を繰り返しているんだ。白昼夢でも見てるかのように。
「それでは失礼します」
 俺は元締めに一礼し、執務室を出て行こうとして、ふと足を止めた。そして少し躊躇ったのち、もう一度元締めの方に向き直った。
「あの……すみません。個人的な話になりますが、少しお時間、よろしいでしょうか?」
 元締めがチラリと俺に一瞥くれる。
「すまないが、忙しいのでね」
「お願いします」
 俺はなおも食い下がる。元締めはふっと息を吐き出し、椅子の背に体を預けた。
「ファニィの事か?」
「はい」
 元締めが片手で目元を押さえる。
「……聞こう」
「ありがとうございます」
 俺は再び元締めの机の前まで赴き、姿勢を正した。

「単刀直入に聞きます。ファニィはリッケル先輩が魔物化する姿を見てから、正気を失いました。そしてあのうわ言です。元締め様は何かご存知ではないでしょうか?」
 ファニィの実の両親はもういない。ならば育ての親である元締めだけが、ファニィの過去を知っている者となる。ファニィがああなってしまった理由、おそらくはファニィの血や過去に由来するもののはずだ。
 ファニィのあの様子は、ある種のトラウマや精神的ショックからくる反応と似ている。
「魔物化するリッケルを見て、あの子も満月の夜に魔物化してしまう自身と重ね合わせてしまったからではないかな。ファニィにとって、自らの忌まわしき血は逃れられぬ宿命であるからな」
「それも理由の一つであると同感です。でも俺は、原因はもっと根深い所にあると睨んでいます。その手掛かりを持つのは、養父である元締め様しかいない。そうではありませんか?」
 俺の指摘に、元締めは再び息を吐き出す。
「まったく、コートニスとは別の意味で扱い辛いね、頭のいい者は」
 俺の推測は当たりなんだろう。元締めの言葉は肯定を指していた。
「ファニィはどこまで、君に過去を話している?」
「あなたがファニィの父親を〝処分〟し、そしてファニィを引き取ったと」
 元締めの目が遠くを見つめている。まるで過去の映像がそこに流れているように、だ。
「魔物化の話は?」
「魔物化……ファニィのですか?」
「いや……ニードの事だ」
 俺は首を傾げる。
「ニード……?」
 聞いた事のない名前だ。
「ニード・ラドラム。ファニィの実父だ」
 ファニィの実父が魔物化? そういえば、ファニィはおぼろげにしか覚えちゃいなかったらしいが、ファニィの実父が、ヒースの母親、つまりは元締めの奥さんを魔物化して襲ったから、元締めはファニィの父親を〝魔物として処分〟したと言っていた。
「魔物化したニードはわしの妻、イルナを殺した。だからわしはニードを処分した」
「それをファニィは見ていたんですね? だから〝人が魔物化していく姿〟を見て、忘れていた過去の忌まわしい記憶が蘇った。『自分は見ていた』と繰り返すのはそのせいですね?」
 元締めが目を閉じて髭を撫でる。何か考え込んでいるようだ。
 うん……? 俺の推理は違っているのだろうか?
「タスク・カキネ。一つ質問してもいいかな」
「はい。なんでしょうか?」
「君が必要以上にファニィの過去に触れたがる理由はなんだね? ファニィが心を許すジュラフィスやコートニスにも話していない、ファニィの触れられたくない過去を、まだ付き合いの浅い君に話さねばならない理由はなんだね?」
「それは……」
 俺は口籠る。
 理由は何かと聞かれれば、それは単なる俺の好奇心だ。だがもう一つ。俺はファニィの全てを知りたいから。ファニィの全てを知って、受け入れたいから。
 知る事によって、ファニィと親密になりたいだとか、どうこうしたいという訳ではない。ただ俺は純粋に、ほんの僅かでいいからあいつの支えになってやりたいだけだ。もちろんこれは俺のエゴで自己満足で、ファニィにしてみればありがた迷惑なのかもしれない。だが、俺は力になりたいと心から思っているんだ。
 俺は口元に手を当て、どう答えるべきか考えた。ここで間違った受け答えをすれば、俺はこの人の口から二度とファニィの過去を聞き出せなくなる。ファニィという人間を知る方法が潰えるんだ。
「ただの仲間意識からくる好奇心で聞こうとしているのなら、何も聞かずにここで部屋を出て行くべきだ。ファニィはすぐに正気を取り戻す。そして今まで通り、組合の補佐官をしながら君たちと共に冒険に出られるだろう。全てを知る事が最良の結果を導くものでないと、賢明な君なら理解しているだろう」
 俺は口元に当てていた手を胸まで降ろし、数回深呼吸した。そして真っ向から元締めを見る。真面目に、真摯に、向き合う。
「俺はファニィが好きです。生まれ育った環境や故郷が違うとか、魔物の血を濃く受け継いでいるとか、そんなものは関係ありません。あいつは普段、絶対に自分の背負った重責や苦しみを見せようとしませんが、俺はそれを一緒に背負っていきたい。過去に何があったとしても、俺はあいつが好きです。好きな相手の全てを知りたいと考え至り、何が不思議なんでしょうか? 俺に、ファニィの過去を一緒に背負わせてください」
 俺の告白に、元締めが目を丸くする。だがすぐに元の険しい表情に戻った。
「君が思っているほど、軽いものではないぞ」
「あなたが思っているほど、俺の宿命も軽くはありません」
 俺は負けじと言い返す。
「宿命?」
「俺は魔術師です。オウカではあまり知られていないと思いますが、死を司る暗黒魔術の使い手は、ジーンでは忌まわしき者として嫌悪され、生涯を通して奇異や排斥の目に晒されます。どんな善行を行おうと、どんな名誉を受けようと、暗黒魔術師であるという忌まわしき枷は、一生涯付いてまわります。俺の宿命は重く苦しく、何があっても何をしても、たとえ死してからも消えはしない、生まれながらにしての罪人なんです」
 元締めは値踏みするかのように俺の頭の先からつま先までを眺める。
「俺とファニィは同じなんです。他人から〝ヒトとは違う者〟として見られる事が同じなんです。だから俺はファニィの重荷を一緒に背負っていきたいと願っています。最初に興味を抱いたのは同属意識からでした。でも今は違う。ファニィが好きなんです。かけがえのない存在なんです。だから俺はファニィと一緒に歩んでいきたい。ファニィは俺の事なんて、どうでもいいと思ってるかもしれませんが……それでいいんです。俺はただ、ファニィの傍でファニィの陰から、ファニィの力になれればいいんです。ファニィの全てを受け入れさせてください」
 元締めが両腕を組んで小さく首を振った。
「随分ファニィに傾倒しているのだな、君は。そして魔術師……難しいな。魔術師がどうだといったものは、よく理解できない」
「魔法という学問に精通した方でないと、なかなか理解は難しいと思います。ジーンの排他的な風習から、外にはあまり知られずに受け継がれてきた事象なので」
 元締めの口元が緩んだ。
「本当にあの子の過去を受け入れられるほど強いのかな、君は」
「俺は強くはありません。でも受け入れます。何があっても」
「あの子が心を許す、ジュラフィスもコートニスも知らない過去だぞ?」
「俺の胸の内にだけ秘めておきます。あなたと、ファニィがそう望むのであれば」
 俺の決心は変わらない。ファニィが俺を認めようが認めまいが、俺はファニィの全てを受け入れる。その覚悟はできているつもりだ。
「……分かった。話そう」

 元締めが立ち上がり、窓の傍に立った。そして外を指差す。俺は元締めの少し後ろに立ち、元締めが指差す場所を見た。
 組合の中庭の、植え込みの奥に微かに細長い石が見える。墓標、のように見えるが?
「あそこに、ファニィの父ニードと母親マレイユ、そしてわしの妻イルナが眠っている」
 やっぱり墓か。でもなんであんな植え込みに隠すようにしているんだろう?
「この三人は殺されたのだ。手を下したのはニードでもわしでもなく……〝ファニィ〟だ」
「……ッ!」
 俺は息を飲んで元締めを凝視した。
「事実は君の知るものとは違う。ニードが魔物化したのではない。ファニィが魔物化したんだ」
 元締めが窓の桟に手を置く。
「魔物化したファニィは、一番傍にいた自分の母親、マレイユを噛み殺した。そしてファニィを止めようとしたニードとイルナを……殺した」
 元締めの言葉が俺の全身を強張らせた。
「……じ、じゃあ……ファニィが『見た』っていうのは……」
「内なる血の欲求に抗えず、自分が両親たちを牙に掛ける様子を、第三者の仕業だと思い込む事で自我を保っているのだろう。だから自分は『見て』『何もしていない』のだと主張するのだ。だが人を襲う魔物が、〝自分と同じ〟である事に気付いているのだろう。自分が両親を手に掛けたなどと思い出し、自覚すれば、あの子は……壊れる」
 俺は言葉を失っていた。
 ファニィの魔物としての血が、何らかの形であいつの正気を奪うものなんだろうとは予測していたが、まさかあいつ自身が、その手で、牙で、自分の両親や元締めの奥方を殺していたなんて……。
「あ、あいつ……は……小さかったから、よく覚えていないって……」
「四歳だった。ある程度自我が芽生え、そして魔物の血の欲求に忠実な年頃だ。ファニィの出生は前例がないほど稀有なものだから……誰も予測ができなかった。ハンターであるわしも、実の親であるニードとマレイユも」
 聞かなきゃ良かった、なんて思わない。でも聞いて良かったとも思わない。あいつの背負うものがこれほどのものだったなんて……俺の覚悟はまだまだ甘かった。
「わしはいつでも〝赤い目の魔物〟を処分できるように、手元に置く事にした。幸いと言っていいのかは分からんが、満月の夜以外で、あの子が自我を失うほど魔物化する事はなかった。あれから十四年だ。それだけの時を共に過ごしてきたんだ。愛情も芽生えるし、情も移る。わしはもう、何かあっても、あの子を処分する事はできない。無二の親友の忘れ形見で、そしてわしの〝娘〟だからな」
 元締めが腹の中にずっと溜め込んでいたものを吐き出すかのように、長い長い溜め息を吐いた。
「君に話す事で、やっとわしも少し楽になった気がする。だが君は今、きっと酷く後悔しているだろう」
 俺はぐっと唇を噛み締める。そして小さく首を振った。
「……後悔なんて、しません。俺は受け入れると、言いましたから」
「そうか。強いな」
「話してくださって、ありがとうございます」
 俺は深く頭を下げた。
「……ファニィを……頼めるかな。あの子の父親として頼みたい」
「今の話、俺の胸の内にだけに秘めておきます。俺はこれから何が起ころうと、陰からあいつを支えていきます。あいつが知ってはいけない過去……ですから」
「感謝する」
 俺はもう一度、窓から植え込みの陰の墓標を見た。あの墓は多分ファニィも知らないんだろう。そしてこれからも知る事はない。
「俺、ファニィの様子を見てきます。失礼します」
 執務室を出る前に、俺は両手で自分の頬を強く叩いた。そして気持ちを切り替える。よし。もう大丈夫だ。

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