風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


   風の心(いろ)

     一

 お山……お父さんが待ってなさいって言った、あの滝があるお山は……どっちなんだろう? 土砂降りの雨と、遠くにかかる霧とで、近くの建物以外なにも見えない。どっちへ向かえばいいのか、全然見当がつかない。
 帰りたい。お山に帰りたい。宙夜は、あたしのおうちは無くなってたって言ってたけど……きっとあるよね? おうちでお父さんとお母さん、あたしのことを待っててくれてるよね? 何もなくなってたなんて、宙夜の見間違いだよね……。
 帰りたい。帰らなきゃ。お父さんとの約束を守らなきゃ。
 お父さんとお母さんの顔を思い浮かべ、あたしは髪に触れる。だけどそこに、いつも差していた櫛はなかった。
 えっ? ど、どこで落としたの? あたしとお父さんたちを繋ぐ、たった一つの大事な宝物なのに!
 周囲を見回してみたけど、あのお花の櫛はどこにも落ちてなかった。
「……」
 この雨の中、広い陽ノ都で、あたしがたった一人で……小さな櫛一つ見つけるなんて絶対無理。
 大事な大事な宝物なのに……失くしちゃったんだ。もう、お父さんたちとの、ほんの僅かな思い出に浸ることもできなくなっちゃったんだ……。
 買ってもらったとき、ずっと大事にするって約束したのに、お父さん、お母さん、ごめんなさい……。
 裸足でぬかるんだ道を歩く。身につけてた着物はもうぐっしょりと濡れて、裾からは雨のしずくが滴っている。
 雨水を吸った着物と冷えた体のせいで、あたしの体はだんだん、自分でも支えきれないほど重くなってきた。疲労で歩幅も狭くなって、足が上がらなくなって、そしてあたしは、一歩も動けなくなってしまった。
 雨と夜のせいで、誰もいない町中にぽつんと一人で佇む。水路に掛かる橋の欄干のところで、あたしはぺたりと座り込んでしまった。もう動けない。動きたくない。
 このまま……死んじゃった方が楽になれるかな? 最後にもう一度、お父さんたちに会いたかったけど、それももう、無理。叶わない夢なんだよね。
 お父さん、お母さん。大好きだった。
 でもあたしに妖の力があるってことは、どっちかが妖だったんだよね? ずっと嘘吐いてたの? あたしはお父さんたちが大好きだったのに、お父さんたちはあたしを騙していたの?
 項垂れて座っていると、あたしの正面に誰かが立つ。のろのろと顔を上げると、頭上に傘を掲げられた。顔に当たる雨のしずくが、傘のお陰でなくなった。雨が直接当たらないだけで、ちょっとだけ……楽になった気がする。
「……深咲ちゃん、だったよね?」
 園桜、さん? どうしてこんなところに……?
「夜だし雨なのに、ずっと外にいたの? 一人? その……眞昼さんや宙夜さんは?」
 平気で話し掛けてこられるのは、あたしが化け物だって知らないから。園桜さんは優しいから、ひとりぼっちのあたしを心配して声をかけてくれたんだわ。
 答えずにいると、園桜さんは腰を屈めてあたしの顔を覗き込んできた。
「……君一人、なの?」
 園桜さんが手を差し出してくる。あたしは恐る恐るその手を掴み、その手の温かさに、緊張の糸が切れてしまって……園桜さんに抱き付いて、声をあげて泣いた。迷惑なのは分かってるけど、でも誰かに縋りたかったから。

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