風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


     二

 日はとっくに暮れていた。御國さんが夕飯を用意してくれたけど、食べたのはあたしと御國さんだけ。宙夜と眞昼はお部屋に二人きりで籠ったまま、姿を現さなかったの。
「あの……御國さん」
「ん? お茶のおかわり?」
 お膳は部屋の隅に積んだまま、まだ片付けていない。いつもなら眞昼が、“見苦しいのでさっさと片付けなさい”って怒るから、すぐに洗い物は済ませるんだけど、今はその眞昼がいないから。
 いつもの眞昼は……戻ってくるのかな? あんなに疲弊して、衰弱しきった眞昼なんて、全然眞昼っぽくない。ちょっと怖くて厳しくて、だけど芯のしっかりした眞昼に戻ってきてほしいの。あたしは。
 確かにあたしは、眞昼のこと、まだちょっと怖いって思ってるけど……でも、それでも。あんな弱った眞昼は見てたくない。
「そうじゃなくて、眞昼と宙夜のこと……」
 様子を見に行かないか誘おうとした時、ゆっくりと襖が開いた。宙夜と、宙夜に肩を支えられた眞昼だった。あたしは慌てて座布団をふたつ、二人の前に出す。
「ありがとな、深咲」
 座布団を一つ手繰り寄せ、宙夜はそこに眞昼を座らせる。そして自分は眞昼を守るように、肩を抱いて隣に座った。
「はぁ……」
 眞昼だけでなく、宙夜もすごく憔悴していた。全てに対して疲れ切ってしまったような、重苦しいため息を吐き、宙夜はぐったりと項垂れたままの眞昼を見つめる。
「……御國にも、初めて話すな。俺たちが隠してた、もう一つの秘密」
「そうだね。君たちから話してくれるのを、ずっと待ってたよ」
 御國さんと宙夜たちはずっと一緒に暮らしてたから、お互いのことなんて、もう全部知ってるんだと思ってた。でもまだなにか秘密があるの?
 眞昼は、意識はあるけど、でもぐったりしてて、宙夜の支え無しでは、体を起こしてもいられないみたい。時々なにかに怯えるように瞳を揺らし、宙夜の着物の縁をぎゅっと握っている。
 ……小さい子供みたい。
 あたしももっと小さい時、お山で迷子になってお父さんが探しにきてくれた時、今のこの眞昼みたいに、しっかりお父さんの着物をぎゅっと掴んでめそめそいつまでも泣いてたことがあるの。その姿が重なって見える。
「御國はなんとなく察してたんだろうけど……」
 そっと胸元を押さえ、宙夜は視線を落としたまま静かに言った。
「俺は本当は男で、眞昼は女。俺は眞昼の兄貴で、眞昼は俺の妹。俺たちの性別は……見た目と逆転してるんだ」
 行灯の火が風もなく揺れて、宙夜の横顔を橙色に照らした。
 宙夜が男の人で、眞昼が女の人? 口調は確かにそれでもおかしくないけど、でも体の特徴は間違いようがないと思うんだけど。
「あの日……妖の力に目覚めたあの日。俺たちは力に目覚めただけでなく……体と中身が入れ替わったんだ。たぶん……俺たちの目の前で親父やお袋が殺されたせい、だと思う」
 お話を聞くだけでも、すごく衝撃的で酷いって思ったし、あたしもちょっと泣いちゃったもの。当事者である宙夜と眞昼は、あたしの考える以上に、心に衝撃を受けた……と思う。
「君たちには妖の血が半分入っているからね。一般的な常識では考えられない事も、あって然(しか)るべきかもしれないねぇ」
 御國さんは落ち着いた声音でそう言い、お茶を啜る。驚いてないみたい、だけど……知ってたのかしら?
「隠してるつもりはなかったんだ。ただ、言っても実際この体じゃ、理解してもらえないだろうから、あえて言ってなかったんだよ」
 口調は粗野で大雑把な宙夜は、女の人らしい魅力的な体をしてる。他人にも自分にも厳しくて几帳面な眞昼は、細身だけど骨組みのしっかりした男の人の体をしてる。それぞれの口調や態度があべこべであっても、見た目はきれいなお姉さんと素敵なお兄さんだから。だからあたしは、宙夜は眞昼のお姉ちゃんで、眞昼は宙夜の弟なんだと思ってた。
 宙夜が御國さんを見て、目を細める。だけど何気ないその仕草が、すごく辛そうで……。
「御國と会う前も、御國と暮らすようになってからも、時々……眞昼はさっきみたいに、突然取り乱して泣き出す事があった。こいつが普段やたらと意地張って突っ張って澄ました顔してるのは、自分で自分を騙して、心の奥底に、自分の弱い一面を押し込むためなんだ。眞昼は本当は、すげぇ怖がりで、泣き虫で、臆病で……ガキの時はいつも俺の後ろに隠れてた。こいつの強情や見栄っぱりは、本当の姿の裏返しなんだ」
 宙夜の告白を聞きながら、眞昼は怯えた目を泳がせ、宙夜の着物を握る手により力を込めている。
 あたしもすごく怖がりだから分かるよ。眞昼……本当に、本当に、怯えてる。まわりのもの全てを、怖がってる。
「俺、眞昼の兄貴だから……たった一人の、兄貴だから……この世に残ってる、唯一の、家族だから。……お袋が、さ……“宙夜はお兄ちゃんだから、弱い眞昼を守ってやってね”って……息絶える最後の瞬間まで言ってたから……俺、眞昼を守らなくちゃいけなくて……眞昼が泣けるのは、俺の前だけだから……弱い姿を晒せるのは、俺と二人の時だけだから……眞昼は、俺は……俺、は……」
 宙夜の声がほんのちょっと震えてる。
 宙夜も……怖いんだね。だけどお母さんに言われたから。眞昼を守ってって言われたから。お母さんとの約束を守らなくちゃいけない、お兄ちゃんだから。
 強い、だけど脆い、お兄ちゃんだっていう責任感だけで、宙夜は一人で二人分の恐怖に耐えてきたんだね。
 二人のことが自分のことみたいに辛くなって、あたしの視界が涙で歪んだ。関係ないあたしが泣いたって意味ないけど、あたしにはなにもできないけど、でも……泣いたの。泣けない宙夜の代わりに。

「そう、か……うん」
 御國さんは膝立ちで、互いに支えあう宙夜と眞昼に擦り寄る。そして二人をふわりと抱いた。宙夜はびっくりして御國さんを見上げている。眞昼も宙夜の着物を掴んだまま、ほんの僅かに視線を上げる。
「宙夜、眞昼。話させてしまって、悪かったね」
 御國さんは優しくて深い、温かい言葉で……詫びた。
「……なんで御國が……謝るんだよ? それは俺たちに対する同情なのか? 憐れみなのか?」
「ううん。辛い事を話させてしまった僕が悪いんだよ。眞昼をよく今まで守ってやってくれたね。たった一人でよく頑張ったね。宙夜、ごめんね。一人で辛かったろう? 心細くもなっただろう? 本当に、ごめんね」
 御國さんの言葉に、宙夜の声がますます震えて、嗚咽混じりになる。
「よして、くれよ。俺はそんなんじゃ……」
「僕は二人の味方だよ。深咲ちゃんも。宙夜だけが頑張る必要はないんだ。兄さんだからって、宙夜だけが泣かずに耐えろなんて、誰も言わないから」
「宙夜。眞昼。あたしは御國さんと違って、なんの力もないし、まだ子供だけど。でも、味方だから。一緒に泣くしかできないけど、それでもいい?」
 うん。あたしは御國さんみたいな包容力はない。眞昼みたいに頭がいい訳でもない。宙夜みたいに責任感が強い訳でもない。ちっちゃくて弱いだけの女の子だもの。
 だから、一緒に泣くことしかできない。でも一緒に悲しむことこそが、あたしなりの、二人をより理解するための方法なの。あたしが二人に寄り添える、一番の近道なの。
「……ズルいぜ、御國も……深咲も……」
 力に目覚めた日からずっと耐えていたものが、御國さんの言葉で、溶解して崩れて壊れてしまったみたいで、宙夜もぎゅっと御國さんにしがみ付いて、声を発てずに泣き出した。眞昼も両手で口元を押さえて肩を震わせている。
 二人だけで生きてきて、ずっと大人ぶってた二人が、ようやく子供に戻れた瞬間なんだね……。

 あ、そっか! そうなんだ……そうなのよね。ずっと分からなかったものが、ふいに合点がいった。
 眞昼は本当は女の人だから、お手紙を交換してる間に、園桜さんと同じで、お互いが好きになっちゃったんだ。だから園桜さんからのお手紙を読むの、あんなに楽しそうにしてたんだ。お手紙の中では、ありのままの自分でいられるから。女の子に戻れるから。
 隠されてた眞昼の性別のことを知って、園桜さんだってすごく傷付いたと思う。でもずっと嘘を吐いて、自分を偽ってきた眞昼だって、後ろめたさと変えられない現実に何度も打ちのめされて、もう抑えられないくらい傷付いたんだと思う。園桜さんには何も話せないから、いっぱい、めいっぱい苦しくて、辛くて、心がボロボロに傷付いたんだと思う。だから“なにも言わないのは卑怯だ”って責められても、眞昼は黙って蹲って耐えるしかなかったんだわ、きっと。
 あたしがお父さんとの約束を守りたいって思ったのと同じかそれ以上に、宙夜はお母さんの言葉を守ろうとしてきた。たった一人のお兄ちゃんだから、妹は絶対に守らなくちゃいけないんだって、責任感だけで、必死に立ち上がって眞昼を守ってきたんだと思う。
 二人とも、すごく強い。あたしが同じ境遇なら、きっともっと早くに泣いて、壊れて、絶望してた。耐えられなかった。
 ずっと耐えていた辛さから逃れられた安堵と、心に響いて得た共感とが嗚咽となって、大きくて温かい御國さんに包まれていた。宙夜と眞昼の心はようやく、救われたの。きっと。
 あたしも二人と一緒になって、泣いた。

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