風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


     三

 ひとしきり泣いてすっきりしたのか、宙夜はちょっと恥ずかしそうに視線を逸らして、御國さんの淹れたお茶を飲んでいる。眞昼も湯のみを手にしてるけど、それを口にする気配はない。眞昼はまだちょっと、調子が戻ってないみたいね。
 眞昼の目、すごく腫れてる。あれだけ泣いたんだもの、仕方ないわ。
「悪かったな。俺まで……弱音吐いて」
「うん? いや、気にしなくていいよ。君たちを引き取るって決めた時から、君たちにどんな秘密があっても、全て受け入れるつもりでいたからね。もっと頼ってくれていいよ。ほら。もっとどーんとぶつかっておいでよ。ほらほら。ね?」
 わざと思いっきり明るく振る舞う御國さん。御國さんって……本当にすごいなぁ。すっごく大人で、本当に宙夜と眞昼のお父さんみたい。見た目が年齢不詳で、本当の年齢も知らないんだけど。
「あの、さ……御國ってさ。一体何者……」
「ところで」
 宙夜の言葉が御國さんによって遮られる。宙夜が話しかけたの、御國さんは気付いてなかったのかしら?
「ところで例の……眞昼の文の相手。園桜、って言ったっけ?」
 眞昼は一瞬体を強張らせ、おずおずと頷く。
 うーん……やっぱりあたしとしては、眞昼は厳格でしっかりした眞昼の方がいいかな。厳しすぎるのも怖いから苦手だけど、こんなにおとなしくて、しおらしい眞昼は眞昼じゃないみたい。
「園桜……園桜ね……」
 御國さんが眉を顰める。
「都の領主の次男坊が、確か園桜って名前じゃなかったっけ?」
 宙夜が盛大に噎せた。
「領主の息子っ? 眞昼、お前そんな奴と?」
「ひっ! あ、の……え、ええ。そう、です……」
 眞昼は僅かに頬を染めて、しどろもどろになりながら俯く。
「……ふ、文で伺っただけの、聞きかじりである事を念頭にお話し、します……彼は領主の血を引く子ではありますが、妾腹の子なのです。ですから父親の正統なる後継にはなれず、幾人かの家臣と女中と共に、本邸とは別の屋敷で暮らしています」
「妾腹の子ったって、明らかに俺たちより身分は上だろ。どこでそんな奴と知り合ったんだよ?」
 宙夜も、眞昼と園桜さんのことは知らなかったみたい。考えたら当然よね。精神は女の人で妹でも、男の人の姿……自分の本来の体を持つ妹が、他の男の人と惹かれ合ってるなんて、思ってなかっただろうし。
 それにいろんな秘密もあるから、宙夜も眞昼も、そういった感情とは無縁って雰囲気だもの。
「かなり昔になりますが、他の運び屋たちと共同で、領主の屋敷の荷物を運び出す、大掛かりな依頼を受けたでしょう? その時、偶然わたしを気に留めてくださったようで……現場では直接会話はしなかったのですが、遠目だった事もあってか、わたしと宙夜を見分けられなかったようです。宙夜とは双性ですし、遠目ではよく似ていますし。根が真面目で律儀な方ですから、当時雇った運び屋全員にお礼の文をくださったのを覚えていませんか? わたし宛の文には……よ、よければこれからも、と……いうような事も書かれていて……その……わ、わたしも……き、気になってしまって、丁寧に返事をいたしまして……それ以来、文を……お互いに……」
「宙夜や眞昼宛の文は、一旦、僕の所に届くようになってるけど、眞昼宛のあの定期的な文は、女性の名前で来てたよね?」
 御國さんが、指先を空中でくるくる回しながら首を傾げる。
「え、ええ。彼自身も、周囲に隠れてわたしと文を交わしていたようで、おそらくは女中の名を借りていたのかと。な、中身は本人の名で書かれておりましたから……」
「なるほど。向こうの立場としては、格下の身分の者と直接文を交換していると、身辺の者に知られる訳にはいかなかったという訳か。ふふふー、なんたって恋文だしねぇ」
 御國さんの言葉に、眞昼は頬を赤くして顔を背ける。あは、ちょっと照れるし拗ねてる。
「眞昼は、半妖のこととか、精神が入れ替わってることとか、他の人に知られちゃいけなかったことがいっぱいあるものね」
 眞昼は深いため息を吐いて、顔にかかる髪を押さえる。
「宙夜や御國さんに黙っていた事はお詫びします。でも……仕方なかったではありませんか。深咲さんが仰ったように、わたしにはどうしても知られてはならない秘密があったのですから。当初は、実際に会うつもりはありませんでしたし、文の中でなら、女に戻ってもいいか、と……その……短絡的に考えてしまって……」
 眞昼が指先で口元を隠し、目を泳がせる。宙夜が片膝を立て、その上に頬づえをついて、やれやれと首を振った。
「参ったねぇ……俺の後ろでいっつもピーピー泣いてたお前が、男ができただの、惚れただの、こんな事、言い出す日が来るとは思わなかった」
「な、なんですか? あなたのようにいつまでも精神未成熟の者に、わたしの感情は理解できるはずがありません。宙夜はいつまでも傍若無人で、放っておけば調子に乗ってつけ上がって……」
 眞昼はそう口にしてぷいと顔を背ける。でも全然怖くない。なんだか眞昼の強がる姿が、ちょっと可愛く見えてきちゃった。
「さっきはうっかり御國に弱音吐いちまったけど、すぐ目の前に手のかかる妹が二人もいて、俺までフラフラしてられるかよ。俺は自分の手が届く範囲の妹たちくらいは、この手で守ってやりてぇんだよ。ちょっとは格好付けさせろ」
「二人?」
「そ。眞昼と深咲」
 あたしはきょとんとして宙夜を見る。宙夜は不敵に唇の端をニッとつり上げた。
 そっか……あはは。あたし、もう宙夜の妹なんだ。じゃあ眞昼の妹でもあるのよね? なんだか……嬉しい。ずっとひとりぼっちだと思ってたから。

「で。どうするよ、これから?」
 眞昼は訝しげに宙夜を見る。
「どうする、とは?」
「お前がそんだけ気があるなら、園桜って奴に俺たちの事、バラしてもいいんじゃねぇの? そいつに事実を受け入れる器があるかどうか、お前が見極めなきゃなんねぇけどな」
「無理ですね」
 宙夜の提案を、眞昼は即答で切り返した。あ、あれ?
 頬に手を当てて、眞昼は苦々しくため息を吐く。
「彼は温和で人は善いのですが、いまいち頼りないといいますか……性別の事だけでも、きちんと認識して受け入れるのは困難でしょうし、ましてや半妖である事など告げたら、きっと卒倒してそのまま昇天してしまいます。言い方を変えるならば、年齢の割に、純朴で素直で可愛らしい、のですけれど……」
 さすが眞昼らしいというか……すでに冷静に分析済みなんだ。ちょっと不服そうな、複雑な顔になってる。
「全ての人が、御國さんや深咲さんのように、柔軟に物事を受け入れられる訳ではないのですよ」
 諦めとも取れる、悟り切った眞昼のつぶやき。
 宙夜と眞昼は、半妖であることで、ずっと苦しんできたのよね。御國さんに抱き留められて、ようやく落ち着ける場所を見つけて。うん……きっとほとんどの人が、宙夜と眞昼の体のこと、受けれられないと思う。あたしだって半妖のこと、正しくは魔獣の姿になってしまうことが、本音はまだちょっと怖いもの。
 眞昼は緩く両手を叩いた。そして力無く微笑む。
「はい。もうこの話は結構です。わたしの中で、決着をつけましたから。もう……全て終わった事ですから。もう、何もかも……」
 声に張りはない。でも、眞昼の中で気持ちの整理ができたのは本当だと思う。だって眞昼、もう怯えてる様子はないもの。未練があるのは見え見えなんだけど。
「本当にそれでいいのか?」
「しつこいですね。わたしがもうよいと言っているのです」
 眞昼は顎を少し上げ、見下すように宙夜を睨む。
「分かった分かった。だから睨むなって」
 宙夜は苦笑して、すっかり冷めたお茶を啜った。
 ふいに御國さんが唸る。
「どうされたのです?」
 眞昼が小首を傾げる。
「うん。眞昼は園桜くんに何も明かしていない。間違いないね?」
「え、ええ。彼には何も。あの……御國さんまで、まだ蒸し返す気ですか? わたしだっていい加減にしていただかないと怒りますよ。相手が御國さんといえど」
 眉を顰め、眞昼は批難の色を滲ませた声音で不満を口にする。
「いや、そうじゃなくて。眞昼の判断は正しかったかなって」
 宙夜も眞昼も、不思議そうに御國さんを見る。あたしもよく分かんなかった。
「ほら。昨日言ったばかりだろう? 領主が妖狩りと称して、腕利きの者を都に集めてるって。妾腹の子で、領主とは別に暮らしているとはいえ、園桜くんも領主側の人間じゃないか。迂闊な事を漏らしたがために、君たちに疑いの目がかかる、という事態に成り兼ねないと思ってね」
 宙夜と眞昼が顔を見合わせた。あたしもあっと声をあげる。
「何も語っていないならそれでいい。今まで通り、外での会話に気を付けていれば、おそらく君たちは大丈夫だろう」
 そっか! もし全部の秘密を聞いた園桜さんが、“眞昼に騙された! 眞昼は半妖だ!”って領主さんに言っちゃったら、そこから二人の秘密がバレて大変なことになっちゃうんだ。
「眞昼。お前ホントに何も言ってねぇだろうな?」
「申しておりません。文にもしたためた事はございませんし、あの時は……話ができるような精神状態ではありませんでしたから」
 確かに眞昼はあの時、園桜さんに一方的に責められて、なじられて、なにも言えなくなっちゃってたもの。あたしも、たぶん余計なことは言ってない。うん、大丈夫。
「宙夜、眞昼。深咲ちゃんも。これからますます、言動には用心だよ」
 御國さんの言葉に、あたしたちは大きく頷いた。

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