風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


     四

 お仕事の依頼人さんとの待ち合わせは、御國さんのお店から、大きな通りを挟んだ反対側の町内にあるお屋敷の前。そこから隣町まで荷物を運ぶんだって、道中説明してもらった。
 待ち合わせの場所には、聞いていた通りの荷物と、一人の男の人。依頼人さんは女の人だって聞いてたけど、眞昼くらいの歳格好の男の人が一人、蓋を半分だけずらした長持の前で待っていたの。
 だけど眞昼は何の疑問も抱かず、その人の所に行って話をしている。たぶん契約がどうとか、そういうお仕事の話だと思う。この人は代理の人、なのかなぁ?
 あたしはちょっと手持ち無沙汰になって、荷物である長持を覗きこんでみた。だって蓋が空いてたら、中が気になっても仕方ないよね? 見られたくなかったら蓋は閉めてると思うの。
「わぁ……」
 長持の中には、まだこの辺りでは咲くには早い、桜の花の枝がびっしりと積められていた。この辺りで早咲きの桜なんて見たことないから、どこからか持ってきたのかもしれない。でもそう考えるとますます不思議。
 だってわざわざ遠くから持ってきた桜の枝を長持に詰めて、また別の場所に持っていくってことになるんだもの。こうやって、あっちこっちに運ぶ意味が分かんない。
 それに枝を折っちゃってるから、この桜はそんなに長く咲いてられないと思うの。草花だって生きてるんだもん。枝を折られて、ずっと咲いてはいられないはずだよ。それに桜は梅と違って、枝を折っちゃいけないって、前にお母さんから聞いたことがある。桜はすごく弱い木だから、折られた枝から腐ってきちゃうんだって。
「君が深咲ちゃん?」
「え? う、うん……」
 突然話し掛けられ、あたしはちょっと身構える。
 依頼人の男の人があたしのすぐ傍に立っていた。眞昼は荷車に長持を運び込む準備をしつつ、横目であたしを見ている。そ、そうだった。眞昼って言っちゃいけないのよね。気を付けないと。
「宙夜さんに聞いたよ。まだ小さいのにお手伝い、偉いね」
 あたしは言葉を続けられずに黙り込む。
「深咲さん。こちらは依頼主の代理の園桜(そのお)さんです。ご挨拶なさい」
「あっ……こ、こんにちは……」
 眞昼に窘められて、あたしは慌ててペコリとお辞儀をする。そして俯き加減のまま、園桜……さん、を見上げた。
 ええと……敬称も忘れちゃいけないのよね。あたしは人に対して敬称を付けるとか、敬語で話すとか、そういうのに疎いから、言葉には気を付けなさいって注意されてたのを思い出した。言葉を知らないなら知らないで、知ってる言葉の中で、できるだけ丁寧な言葉を選びなさいって眞昼が……。
「彼女はまだ見習いで、道中、多少なりと失礼があるやもしれません。どうか寛大な心でご容赦ください」
「はい。でもそう畏まらないでいいですよ。僕の気まぐれで個人的な依頼ですし、“家”は関係ありませんから」
 園桜さんは穏やかな口調で笑う。
「お世話になった方への贈り物なんです。こんな依頼で手を煩わせてしまうのも申し訳ないのですが、どうぞよろしくお願いします」
 桜の入った長持を指し、園桜さんは小さく頭を下げた。
「では準備します」
 眞昼は桜の入った長持に手を掛け、持ち上げようとする。その反対側を、園桜さんが持ち上げた。
「いけません。あなたは依頼人ですから……」
「一人では大変でしょう? 手伝わせてください」
 あ、あたしも……手伝わないとだよね! あたしは急いで長持の空いた場所に手を掛ける。眞昼はふっと表情を和らげ、声なく笑う。
「それではお願いします。深咲さんは無理しなくて結構ですよ」
「はい。じゃあ、ひい、ふう、みい、でいきましょう」
 にっこり笑い合って、眞昼と園桜さんが長持を荷車へと持ち上げる。結局あたしは、ほとんど役に立たなかった……背が足りなくて……。
 えと……さっきからずっと気になってたんだけど……眞昼、すごく機嫌いいよね? 今朝お部屋で、知り合いの人からのお手紙読んでた時みたいに、ずっと嬉しそうな優しい顔してるの。いつもみたいにツンツンした雰囲気はまるでないの。
 お仕事の依頼人さんと直接顔を会わせる時は、眞昼もこういう表情するように心掛けてるのかな? 仏頂面してたら、やっぱり怖いし、印象も悪いものね。

 長持を乗せた荷車をお馬さんに引かせて、眞昼が手綱を引いてお馬さんを歩かせる。そのすぐ後にあたし、園桜さんが続く。
「ねぇ、深咲ちゃん。眞昼さんは、体調が芳しくなくて来られなかったって聞いたけど、どのくらい悪いのかな?」
「え? 眞昼は……えと……」
 あたしがとっさの返答に困っていると、眞昼が振り向かず、前を向いたまま小さく咳払いした。
「お、お店のお部屋でずっと寝てます。前のお仕事でちょっと無理して、体を痛めちゃったからって」
 魔獣のことはもちろん秘密だけど、どうして眞昼を宙夜だって、嘘吐かなくちゃいけないのかが分からない。でも言われた通りにしなくちゃ。あたしが納得できるような説明、眞昼はしてくれないよね。
 はぁ……嘘吐くの、あんまり得意じゃないんだけど……。
「それじゃあ、君は眞昼さんと宙夜さんとは、どういう関係なの? 妹さん……とは違うよね? 顔立ちが全然似てないし」
 なんて答えよう? 眞昼のことは秘密でも、あたしのことは話していいのかな?
「彼女は行儀見習いのために、奉公にきています。御國さんの遠縁の娘さんですよ」
 ふうん。そういうことになってるんだ。初めて聞いたけど、話を合わせておかないとね。
「遠くに住んでたの。宙……じゃなくて、御國さんが一緒においでって連れてきてくれて」
 眞昼の言葉に付け加えるように答えると、眞昼は僅かに振り返って眉を顰めた。い、言っちゃいけなかったのかな? でも喋ったのは自分のことだけで、眞昼のことじゃないのに。
「そうなんだ。ねぇ……眞昼さんは優しい?」
 えと……園桜さんの言う“眞昼”は宙夜のことを指すんだよね? 名前を逆に呼ばなきゃだから……ああん、ややこしい。
「うん、すごく優しいよ。あたし、みんなが大好き」
「あはは。それは良かったね。深咲ちゃんは素直ないい子だね」
 園桜さんは、なにか含むような笑みを浮かべて頷いた。
 ええ、なぁに? この笑い方って。あ、あたし、なにも変なことは言ってないよね? ちょっと混乱してきたから、あんまり喋らない方がいいのかも。

 荷車が陽ノ都を抜け、街道に入る。
 今は冬の終わりかけだけど、今日はぽかぽか陽気ですごくあったかくて、歩いてるけど、ちょっと眠くなってくる。そういえば昨日、すごく緊張してしっかり眠れなかったんだっけ。
「大丈夫? 少し休もうか?」
 園桜さんがあたしを気遣って声を掛けてくれる。
 うん、と……本音は休みたいけど……あんまりワガママ言ってたら、眞昼が怒るから……。
「宙夜さん。少し休憩しませんか?」
「はい。そうですね、まだ先は長いですし」
 眞昼は振り返り、目を細めて頷く。
 街道を少し逸れて、枯れた立木の傍でお馬さんを繋いで休ませる眞昼。そしてあたしの方へと近付いてきた。
「……余計な事は口にしていませんね?」
 小声で問い詰められる。あたしは身を固くして、コクコク頷いた。
「よくできました。ではご褒美です」
 そう言って眞昼は竹筒に入ったお水を差し出してくる。あたしはお礼を言って受け取り、お水を少しづつ口に含んでみた。
 自分で思っていた以上に喉が渇いていたのか、ほんのり甘くておいしい。
 あたしがお水を飲んでいると、園桜さんが長持の中から桜の枝を一房持ってやってきた。クルクルと指先で回すと、一枚、二枚と、桜の花びらが舞い落ちる。それを見てたら、お山の桜のことを思い出した。
 あたしは……あのお山に帰ることはできるのかな? 誰もいないとしても、あそこがあたしの故郷だもん。懐かしくて寂しくなっちゃうのは仕方ないよね。
「今のところ、盗賊も妖も出ないので順調ですね」
「そうですね。こちらの街道は少し遠回りですが、他と比較しても、比較的安全ということでしょう。良い道を選びました」
 園桜さんが話すと、眞昼が答える。質問でなくても、言葉を返す。楽しそうに、言葉を交わす。
 なんだか……眞昼じゃないみたい。あたしの知ってる眞昼はいつも他人と少し距離を置いて、必要以上に余計なお喋りはしなくて、口を開いたとしても高圧的で、皮肉混じりのキツい言葉ばかり。もちろんあたしにも。だからいつも宙夜や御國さんに、もっと柔らかくて易しい言葉を使いなさいって窘められてる。
 だけど今の眞昼は、旧知の親友と話すように、柔らかい笑顔と控えめな柔らかい言葉で、園桜さんとの対話を楽しんでいる。あたしが入り込める雰囲気じゃない、かも。
 ……もしかして、眞昼のお手紙の相手って……園桜さんじゃないかしら? お手紙の相手は、眞昼が気を許せる、気になる人だって言ってたし、今の眞昼のふんわりした和やかな雰囲気は、そういった相手と接している時みたいな感じだし。
「ねぇ、宙夜さん。眞昼さんから何か、ことづては預かっていませんか?」
「ことづて……特には……」
 眞昼は少し困ったように頬に手を当てる。そして視線を外して、小さく囁くように言葉を口にする。
「……れ、例のお話は……善処します……と、申しておりましたが……あ! わ、わたしには意味が理解できないのです、けれど……そう、申して……」
「……そうですか」
 例のお話? なんだろ、それ。
 でもなんだか眞昼はちょっと困ってるみたい。あたしがお話に加わっても意味がないと思うから、やっぱり見てるだけしかできないけど。
 風はなく、ぽかぽか陽気に、あたしの眠気は加速する。やっぱり動いていた方が少しは眠気もなくなるかしら? もう出発しようって、言ってみようかな?
「あ、あの……もう出発……」
「そういえば、あなたに聞いてみたかった事がありました」
 あたしの声が届かなかったのか、園桜さんが目を細めて微笑を浮かべたまま、眞昼に問いかける。桜の枝を、クルクル回しながら。
「はい、なんでしょう?」
 園桜さんがすっと、手にしていた桜の花を眞昼に差し出す。
「僕の名前には“桜”という文字が使われています。だからとても桜が好きなんですよ」
「ええ。素敵なお名前だと思います」
 顔のすぐ傍に掲げられた桜の枝を見ながら、眞昼は微笑んで答える。園桜さんは眞昼の答えに満足そうに頷き、そして。
「あなたは……眞昼さんは、桜は好きですか?」
「ええ。春に芽吹く花はどれも好きですよ。梅、菜の花、菫、それから……」
 眞昼はふふと笑いながら、園桜さんの手から桜を受け取ろうとして、だけど園桜さんはその桜をすっと引いて地面に落とした。枝にあった桜の花びらが、地面に落ちた衝撃で全て舞い散った。

「……やはり、あなたが……眞昼さんだったんですね」

 空気が、凍る。
 園桜さんはゆっくり視線を落とし、ぐっと拳を握り締める。
 眞昼は表情を強張らせ、息苦しそうに浅い呼吸を繰り返す。動揺して揺らぐ瞳は、落ちた桜の枝を見つめていた。
「な……にを仰っているのか……? わたしは宙夜です。あ、姉……とは双性ですから、幼い頃より、よく呼び間違えられたのですよ。だからつい、返事をして……」
「あなたが眞昼さんだ。間違いない」
 な、に……これ? どういう事? 園桜さんは眞昼を試したの? でもどうして?
 小刻みに震える拳を、もう片方の手で押さえ、園桜さんは小さく首を振った。
「僕をからかって、楽しかったですか? 正統な後継ぎでない、世間知らずな妾腹(しょうふく)の子だからと、あなたは僕をからかって楽しんでいたんですか?」
「違います! からかってなど……」
 ひどくかすれた眞昼の声は苦しそうで辛そうで、俯いた顔は強張って、今にも泣いてしまいそうに弱々しくて、あたしの知ってる眞昼……いつでも自信に満ちて、気丈に振る舞う眞昼の姿からは、想像できないほど、心に苦痛を感じて弱っていくのが、今にも壊れて倒れそうになってるのが、あたしにもはっきり分かったの。
 状況が飲み込めない。これってどういう状況なの?
 眞昼は自分が宙夜だと嘘を吐いていた。園桜さんは眞昼を眞昼だと推察して、試すような言葉を発して確証を得た。それが何を意味してるのか……あたしにはまだ分からない。だって眞昼の考えてることも、園桜さんの考えてることも、全く分からないんだもの。
「どうして欺くような嘘を? どうしてこんな悪戯を? 僕は……あなたに侮辱されたとしか思えない!」
 眞昼は何も答えず、ううん……答えられずに、ただただ震えて口を貝のように閉ざしている。
「答えてください! どうして今まで僕を騙していたんです? 僕はあなたとなら、きっと上手くやっていけると思っていた。好みや思考もよく似ていて、あなたと文を交わすのがとても楽しかった。だから……だから僕は惹かれた。眞昼さんという女性に焦がれた。一人浮かれていた僕の気持ちを蹂躙して……楽しかったですか?」
 えっ? 眞昼が女性って……眞昼は男の人で、それは見た目でもはっきり分かるじゃない。なのに園桜さんは、眞昼を女の人だと思っていたの? どうしてそんな勘違いが起こったの?
 もしかして眞昼、お手紙で自分は、女だって嘘を吐いてたの? でもどうしてそんな嘘を?
「……僕の焦がれた女性は架空の存在で、実在しなかった。あなたが文の中で作り出した偶像だった。……あなたは何も知らない僕を、面白半分にからかっていた。ただ、それだけですよね? 僕の一人相撲、だったんですよね……」
「……ね、ねぇ。眞昼。眞昼は園桜さんに……嘘吐いてたの?」
 恐る恐る問いかけると、眞昼は両手で頭を抱えてがくりと膝をついた。固く結んだ唇の隙間から、苦しそうに息を吐き出して、園桜さんの悲しそうな視線と辛辣な言葉に、あたしの問い掛けに、普通じゃ考えら得ないほど怯えて慄えている。
「黙っているなんて……卑怯だ。泣きたいのは僕の方なのに」
 園桜さんの声にも、抑え切れない悲しみと怒りが感じ取れる。
「……深咲ちゃん。君の知る眞昼さんは女性? それとも男性?」
 ふいに問い掛けられたあたしは、ビクッと体を強張らせる。両手を胸の前で固く握って、園桜さんを見上げた。視線を一瞬眞昼に向けたけど、眞昼は蹲ったまま何も言わない。
 言っていいの? あたしの知ってるままを、答えてもいいの?
 眞昼からの、指示はない。
「あたしの知ってる眞昼は……男の、人……」
 ……だよね? 宙夜と双子だから見た目は似てるけど、でも宙夜はお姉ちゃんで、眞昼はお兄ちゃんで……実際二人を見比べて、性別を見間違えるなんて、ありえない。
 すうっと深く息を吸い込んで、園桜さんはあたしたちに背を向けた。
「……この荷物はここに捨ててください。依頼は虚言です。何度文でお願いしても直接会ってくれない方に、僕が焦がれた女性に会うための嘘で、口実だったんです。……眞昼さんに会いたいがために、こんな卑怯な手でお呼び立てしてすみませんでした。契約した輸送料金と違約金はお支払いします。後ほど、家の者に持って行かせますので」
 園桜さんは小さく首を振って項垂れる。
「僕はこのまま都に戻ります。眞昼さんたちもお気を付けて。では……さようなら」
 そのまま一度も振り返らずに、園桜さんは陽ノ都に向かって歩き出した。寂しそうな背中をこっちに向けたまま。

 しばらく呆然と、あたしは園桜さんの無防備な後ろ姿を見送っていた。
 どうしていいのか分からず、蹲ったままの眞昼の傍に立つ。長身の眞昼が、脆く小さく見えた。
「……眞昼……あの……どうして園桜さんに嘘、吐いてたの? お手紙、すごく楽しそうに読んでたのに。大好きなお友達じゃ……なかったの?」
「……な、さい……ごめん……なさい……」
 爪を立てて項垂れた頭を抱えたまま、眞昼は聞き取れないほどか細い声で“ごめんなさい”を繰り返していた。
 その眞昼の傍には、園桜さんが捨てた桜の枝が一房、落ちていた。すぐに枯れて朽ちてしまう運命にある枝は……弱々しい眞昼と重なって見えた。

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