黒渦-CLOSE-

仄暗い瓦斯燈に照らされた黒渦(CLOSE)な世界の物語

大正浪漫風混沌系サスペンス

町の商店街を抜けた先にある一軒のカフェー「時茶屋」
美麗の女主人と無口な少年、そしてはつらつとした女給の少女が今日も“特別なお客様”を出迎える

彼女らの仕事は客にカフェーの美味しい珈琲を提供する事
だがカフェーの仕事とは別に、黒く渦を巻く別の顔があった――


     三

 市民公園にある木陰の芝生に腰を下ろし、美帆は忙しなく指先を絡めて、どう切り出すかと考えあぐねている。直球で聞いてしまう事も考えたが、同じ屋根の下に自分を住まわせているのに、それでも隠し通そうとしてきた裏の仕事であるから、理解しながら少しずつ攻め崩さないと、自身の頭が情報過多で破裂してしまいそうだと感じていたのだ。
 晶らに裏の仕事があると知ったあの日ですら、頭が割れそうなほど、悩み、迷い、息苦しくなってしまった。自分はそう利口ではないと思っている美帆は、一度に頭に入れる情報は整理して少なくした方がよいと考えている。
 一日中、大した物事の起伏がない暇な時間が長くとも、また一日無言でいる事を強いられても平気な晶は、美帆がどう切り出してくるのか、その鉄面皮(てつめんぴ)の裏で楽しんでいるようにも見える。実際の彼は、何も思う所がないだけなのだが。

「ええっと」
 長い沈黙に耐えられなくなり、美帆はとりあえず声を出した。
「お芝居、面白かったですね」
 まるで関係ない話題を振ってしまい、彼女は自分の頭を軽く小突く。
「そ、そうじゃなくて!」
 美帆の一人百面相にクスリとも笑わず、晶は膝を抱えたままポツリと漏らす。
「汚いモノはいらない。それじゃあダメなの?」
 珍しく晶から言葉を発してきた。
「えっ? あ……えと、そ、そりゃあ、綺麗なものばっかりの世界って憧れはしますけど、でも綺麗じゃないからって、それを……気に入らないからって、無理やり握り潰しちゃうのはちょっと」
 平日で人通りが少ないとはいえ、誰がどこで聞き耳を立てているかも分からない昼間の公園だ。あえて“殺す”という単語を避けて返事をする。
 迷っていては何も進展しない。
 美帆は意を決して晶に思いを全て伝える事にした。あわよくば、晶を説得してしまおうとも。
 一見穏やかそうな綾弥子より、無感情で無表情に見える晶の方が、しっかりと筋道を立てた話ならば聞いてくれるような気がしたから。年も近い晶になら、ちゃんと話せると思ったから。何より、恐れながらもほんの少し、晶の事を好意的に見ていたから。

「晶くんも綾弥子さんも、ズボラなあたしからすればすごく綺麗なものが好きで、潔癖症だと思います。でも世の中の悪い人や汚い人に対しては、自ら手を挙げる汚れ役をしてますよね? そういうの、すごく矛盾してるなって。なにも晶くんたちがする事じゃないと思うんです。悪い人はきっといつか、社会的に制裁されて、吊し上げられて、何もできなくなるはずだと思うんです。ああいうの、時間はかかるけど他人任せでいいと思うんです」
 人殺しだけではないが、他者に対して粛清と称した危害を加える事は、少なくとも穏やかに茶館を開いているただの姉弟がすべき事ではない。警官や、町会の代表や権威のある華族、そういった権力を持つものがすべき事であると、美帆は強く言う。
 だが晶は膝を抱えて微動だせず、淡々と言葉を返す。
「頼ってくるのは嘆願者の勝手。だから僕とアヤコさんはやる。それだけの事」
「それ! それも不思議なんです」
 美帆はお店にやってきた過去の嘆願者たちの姿を脳裏に浮かべながら、口をへの字に曲げて見せる。
「どうして晶くんたちが、そういう事をしてるって、あの人たちに分かるんですか? だってまさか、『こういう事してます』だなんて、宣伝するような事はしてないですよね?」
 晶は片方の膝を抱えたまま、木漏れ日の向こう側を見やる。そして眩しそうに目を細めた。
「……花に惹かれて、魅せられて、やってくる」
「花?」
 そういえば嘆願者たちは皆、様々な花を持っていた。それを綾弥子に渡す事によって、“特別なお客様”として別室へと案内され、行動を起こす切っ掛けとなっていた。
「お花が暗号や合図になるっていうのは分かりましたけど、でもどうやってそうだと知らせるんですか?」
 花を持ってこいと、予め嘆願者に伝えるくらいなら、その場で嘆願内容を聞けば手っ取り早い。いや、他の者が綾弥子たちの裏の仕事や、嘆願者の後ろ暗い願いを知らないのと同じように、綾弥子たちの裏の職業は見た目で分かるはずがない。
 だから花を合図に使うという理由は分かったが、どうやって花に合図を、いや依頼があるという意味を持たせるか、経緯や理屈や意味がまるで分からなかった。
 花を持ってくるだけなら、商店街の花屋など定期的に時茶屋に飾る花を持ってくる。常連客たちも、綾弥子に意味深な花を贈る事すらある。
「魅(み)る。“花”を魅て、惹かれて、知る」
「うーんと、その“みる”っていうのが分からないんですってば。お花を見るなんて、あたしだってしょっちゅう見てますよ」
「魅る。見るでなく魅る」
「ですからぁ! それがよく分からないんですってば!」
 癇癪を起こすように、美帆は少しだけ自棄っぱちな声をあげる。そしてあっと口を押さえた。
「……花の夢を魅る。それだけ」
 晶は貝のようにそれきり口を閉ざす。これ以上、何を聞かれても答える気はないといった様子だ。
「夢なんて、こっちが意識して見せられるものなんですか? だって実際会うまでは赤の他人で、面識は一切ないんですよね? それをどうやって夢を見せたり伝えたりするのかわかりません」
「……」
 晶はもう答えてくれなかった。美帆は嘆息して、ぷうと頬を膨らませた。
「じゃあ、切っ掛けはもういいです。あと少し、確認したいんです」
 美帆は晶の横顔をじっと見つめる。青白く、病的に線が細い華奢な少年。いや、青年かもしれない。自分より年上だと思っていたが、ちゃんと年齢を聞いた事はない。だが今は、彼の年齢などどうでもいい。

「晶くんや綾弥子さんのしてる事、すごく悪い事です。それを理解してますか?」
「汚いモノを粛清してる。僕は悪くない」
「悪い事なんです! 警察に知られたら、捕まっちゃうんですよ? それでもいいんですか?」
「僕は悪くない。捕まらない」
 本当に、彼の行動理念に悪意がないのだ。悪意や悪行そのものを、理解していないようだと、美帆には感じ取れた。
 彼は、そして綾弥子は、世間を知らない子供のように純粋で、残酷だった。
 美帆は半ば呆れて首を振る。そして聞こうとしていた疑問の、最後の問い掛けを頭に浮かべ、姿勢を正し、表情を引き締めた。
「それじゃ、最後の質問です。その……お二人が粛清って言う行為を……闇夜に紛れてああいった悪い事をしようって言い出したの、晶くんなんですか? それとも綾弥子さんなんですか? 忘れた、覚えてない、はナシですよ」
 晶の切れ長の黒い目が美帆を捉える。美帆は一瞬ビクリと体を強ばらせた。
 何を言われても逃げない。体は逃げ腰だが、心は晶の言葉をしっかり聞き遂げるために踏み留まる。耳をそばだて、彼の言葉を待った。

「……僕は従う。黒い渦がもたらす“言葉”は絶対で、間違いは無いから」

 美帆は目を丸くして息を飲んだ。個人名は出さずに“黒い渦”といった言い方をしたが、その姿形ははっきりと脳裏に浮かんだ。
 ──綾弥子さんだ。
 彼女はいつも黒地のワンピースを着て、簪で長い髪を綺麗に渦巻きに巻いている。晶の言う“黒い渦”は彼女だと、美帆はやや強引な推測ながらそう直感した。
『やっぱり綾弥子さんが全ての黒幕なんだ! 晶くんはその言葉に無条件に従うよう、考える事を止めさせられてるんだわ!』
 黒幕の発覚に美帆は身震いし、寒くもないのに怖気を感じて両腕を擦った。



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