黒渦-CLOSE-

仄暗い瓦斯燈に照らされた黒渦(CLOSE)な世界の物語

大正浪漫風混沌系サスペンス

町の商店街を抜けた先にある一軒のカフェー「時茶屋」
美麗の女主人と無口な少年、そしてはつらつとした女給の少女が今日も“特別なお客様”を出迎える

彼女らの仕事は客にカフェーの美味しい珈琲を提供する事
だがカフェーの仕事とは別に、黒く渦を巻く別の顔があった――


     五

 翌日、時茶屋を開店して間もなく、野瀬が青い顔をして飛び込んできた。
「いらっしゃいませ、“特別なお客様”。お待ちしておりましたわ」
「どういう事なんだ!」
 綾弥子はいつもの笑顔で彼を受け入れる。しかし野瀬は新聞を広げて大声で叫ぶ。新聞には「女流作家・磯田祥子死亡! 他殺か?」と大きく紙面を割いた記事が掲載されていた。
 昨日の今日でこの大々的な扱い。磯田はそれほど著名な作家だったらしい。そんな作家が、新人の作品を盗作するなど、世間は全く知らないで野瀬の作品を読んでいたに違いない。
「どうして磯田は死んだんですか? まさかあなたたちが殺したんですか? 僕は彼女の殺人なんて望んでなかった! ちょっと懲らしめてもらえればよかったのに、あなたたちはっ!」
「彼女がいなくなれば、あなたは好きな作品を執筆して出版できる。違いまして?」
 見当違いともとれる穏やかな綾弥子の言葉に、野瀬の苛立ちが増す。
「人一人殺しておいて、その言い草はなんだ! 俺は警察に密告するからな!」
 野瀬が新聞をテーブルに叩き付けた時、入り口の扉が開いて数人の男が入ってきた。彼らは警官の服を着ていた。

「野瀬達生さんですね? 磯田祥子さんの件で伺いたい事がございます。ご同行願えませんでしょうか?」
 警官の一人が、有無を言わせぬ口調で、同行を強要する。
「はぁ? どうして俺が? 磯田を殺したのは、ここにいる奴らですよ!」
 野瀬は焦った様子で綾弥子を指さす。綾弥子は我関せずといった調子で珈琲を啜っていた。少しでも怪しまれれば、過去の殺人が全て明るみに出るというのに、彼女の肝の座り方は尋常でない。
「磯田さんと懇意にしていた君に疑いがかけられているんだ。ここの人たちは磯田と何の接点もない。怪しいのがどちらか、子供でも分かるだろう!」
 警官の一人が野瀬の腕を掴んだ。野瀬はその腕を振りほどく。
「違う! 俺じゃない! 悪いのはこの連中なんだ!」
「じゃあ聞こう。女給のお嬢さん。昨夜君たちは何をしていた?」
 突然問い掛けられ、美帆は飛び上がって驚く。そして綾弥子と晶を順番に見つめ、真実を話すか迷う。

「……ゆうべは……お部屋で寝ていました……」

 保身のための嘘が口を衝いて出た。嘘を口にしてから、美帆は猛省する。しかし我が身可愛さに嘘を嘘だとは言えずにいた。
 美帆は野瀬から視線を外す。それを見た野瀬は、自分が切り捨てられた事を知った。
「貴様ら!」
 憤慨した野瀬の言葉が乱暴な言い回しに替わる。純朴な青年だと思われたが、実際はそうでないのかもしれない。
「詳しい話は警察署で聞く。野瀬達生、来い!」
 屈強な警官は、新人作家の腕を背後でねじり上げ、強引に彼を連れて時茶屋を出て行ってしまった。店内に静けさが戻り、談笑に触りない程度のレコォドの歌声が響く。筧淑子の歌声が。

「ふふっ。言っちゃえば良かったのに」
 綾弥子は珈琲茶碗を傾けながら、悪戯っぽく笑う。
「うっ、うう……」
 美帆は涙ぐみ、エプロンの端を強く掴む。
「それにしても、せっかく粛清してあげて、これからという時にね。運の悪い子だったわ」
 悪びれた様子もなく、綾弥子は珈琲を啜る。晶もいつもどおり澄ました顔で、カウンターで食器を磨いていた。



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