黒渦-CLOSE-

仄暗い瓦斯燈に照らされた黒渦(CLOSE)な世界の物語

大正浪漫風混沌系サスペンス

町の商店街を抜けた先にある一軒のカフェー「時茶屋」
美麗の女主人と無口な少年、そしてはつらつとした女給の少女が今日も“特別なお客様”を出迎える

彼女らの仕事は客にカフェーの美味しい珈琲を提供する事
だがカフェーの仕事とは別に、黒く渦を巻く別の顔があった――


     二

「美帆は約束を守ってくれたのよね?」
「あたしは、何もできませんでした。須井さんに無茶な政略結婚はやめてくださいってお願いするつもりだったのに」
 綾弥子と美帆。二人並んで夜道を歩く。遠くの方の瓦斯燈が消え始めていた。
 あんな凶行を見せ付けられた直後だというのに、不思議と、綾弥子が恐ろしいとは感じなかった。茶屋で新しい仕事を教えてくれる大らかな彼女の雰囲気そのままで、とてもあのような残虐な行為をする人物と同一なのだとも思えなかったのだ。
 しかし心のどこかで彼女を気色ばむ自分もいる。つまり美帆にとっての綾弥子は、言動も人物像もあまりに両極端な行動をする謎に包まれた美女という印象に切り替わっていたのだった。
 感情が麻痺してしまったかのようだった。

 綾弥子はフッと笑い、美帆の背をポンと軽く叩く。
「その内慣れるわ」
「慣れたくなんてないです!」
 思わず声を荒らげ、美帆は大きく首を振って涙声で叫ぶ。
「綾弥子さんも晶くんも、汚れたくないとか言いますけど、どうして自ら“汚れ役”をしてるんですか? 言ってる事とやってる事の辻褄が合ってないです! 矛盾してます!」
 ずっとわだかまっていた不満や疑問が、恐怖や畏怖という壁を乗り越えて爆発した。
 悪行をはたらく者に対し、人知れず粛清と称して命を奪う。遥か昔の絵巻物やお伽話なら、そういった闇夜を照らす英雄譚は流行っただろう。しかしあくまでそれは、偽りの作り物の中での話。実際にこのような暗殺行為は、決して誰にも褒められる行為ではない。むしろ咎めを受ける行為だ。
 対象が悪人であろうと善人であろうと、人殺しは人殺しなのだ。英雄ではなく、人を殺める狂人でしかありえないのだ。

 綾弥子は眼鏡のつるを押し上げながら、背後の晶を見る。
「そうは言っても、こればかりはやめる訳にはいかないものねぇ? 私たちにしか出来ない事だもの」
 背後の晶はコクリと頷く。
「綾弥子さんたちがしなくちゃならない、何か理由があるんですか?」
「さぁ、どうだったかしら?」
「とぼけないでください!」
 あっけらかんとした彼女に美帆はしつこく食い下がったが、綾弥子も晶もとぼけてばかりで、まるで話にならない。痺れを先に切らしたのは美帆だった。
「あたし。諦めないし認めませんから。綾弥子さんと晶くんのしてる事、絶対やめさせてみせますから」
 正義感などという大層立派なものではない。ただ、身近な彼女と彼の手を、殺人という行動で汚れさせたくないと思ったからだった。
 今までの殺人の罪は洗い流せないが、これからの殺人はやめさせなければならない。そんな使命感を美帆は抱いていた。
「いいわ。かかってらっしゃい。何を言われても、私と晶は絶対変わらないけれどね」
 会話の途中で、瓦斯燈を消して回る火周り小僧とすれ違った。小僧はこんな時刻にうろついている美帆たちに、一瞬驚いた様子でビクッと体を硬直させる。だがすぐに、ペコリと頭を軽く下げてから、すぐ傍の瓦斯燈の栓(コック)を絞って消す。そのまま次の瓦斯燈まで走って行った。
 頭を下げたのは、まだ出歩いている人がいるのに瓦斯燈を消して夜道を暗くしてしまうから、と思ったに違いない。彼は、まさか美帆たちが殺人の帰りだとは到底思わないだろう。走り去った彼の姿を探すように、美帆は振り返った。

 いつしか美帆は泣いていた。
 須井に同情してなのか、日向に同情してなのか、それとも綾弥子と晶の、命を命とも思わない様子で命を奪う行動に対しての怒りなのか。どれとも言えるし、どれとも違うとも言えた。
 綾弥子たちがどんな理由で、何を考えて行動しているのか分からない。自分が何をすれば、彼女らの行いを改めさせる事ができるかも分からない。美帆にできるのは、悪行をはたらく者に言葉で改心を求め請うだけ。
 いろいろな事が起こりすぎて、美帆は軽いめまいを覚えた。もう考える事も疲れ果て、心が重く辛く苦しい。早く休みたい。

 全ての瓦斯燈が消えた夜道はただひたすらに暗かった。けれど綾弥子と晶は暗闇に怯みもせず、まっすぐ茶館へと向かって歩いていた。彼女らの行いと同じく、迷いなく、淀みなく、まっすぐに、歩いていた。



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