砂の棺 if 叶わなかった未来の物語 「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、 叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。 北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。 そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。 |
14 アイル家の広大な庭の隅にある、離れへの引っ越し当日。カルザスとレニーは今まで暮らしていた家屋の荷物を、荷馬車に乗せて運び込んだ。 もともと体一つでミューレンにやってきたようなものだ。いくら生活用品が増えたとはいえ、二人の荷物は少ない。 「大きな家財道具は全て用意してくださっているので、こちらの物は処分でよかったのですよね?」 「ええ。もともと遠方から出稼ぎにいらしてた営業さんにお貸ししていたものなので、退職の時にクローゼットやベッドなんかは全て残して行かれたんですよ。そのかたも別の営業さんとお二人で生活費を折半して暮らされていたので、カルザスさんとレニーさんが移っていらしても、何も問題ないと思います。もし何か足りないものがあれば、おっしゃってくだされば用意しますので」 「何から何まですみません」 「いいんですよ。何も遠慮しないでくださいね。お二人の力になれるのが、わたし、すごく嬉しいんです」 ホリィアンは二人を案内しながら、前の住人の話をした。 もともと遠方の町から出稼ぎに来ていた者が住んでいたらしいが、なぜか急に退職し、そのままふらりといなくなってしまったらしい。残った同居人だった者は、自分一人で住まうには大き過ぎるからと、町で長期滞在者向けに貸し出ししている長屋を探して、そちらへ移ったとのことだ。営業部門の者だと言うが、普段顔を合わせる機会もあまりないので、誰のことを指しているのかは分からない。 前住人が、急にふらりといなくなった、という部分に恐ろしい謂《いわ》れなど無いだろうか、などと考えつつも、新生活に胸が踊っているのも事実である。レニーと二人ならば、少々難があろうと乗り越えられるだろうと、彼はそう考えることにした。 「正面入り口の門戸は母屋と兼用なので、これからは気にせず入ってきてくださいね。門番にも通達しておきましたので」 ホリィアンが「ちょっと失礼します」と、門番のところへ走っていって、通達したという内容を確認している。 「何だか雲の上を歩いているみたいに、ふわふわしてイマイチ実感が湧きませんね」 「そう? カルザスさんて妙に思い込み激しいトコあるから、ホリィとの関係も一足飛びに進んじゃったりして? なにせ同じ敷地内に住むことになった訳だしぃ?」 「もう、やめてくださいよぅ……そんなこと言われたら、つい……その……い、意識し過ぎてしまうじゃないですか……」 「……ははーん……もう一息ね。ふふっ」 レニーは、いつか交わしたホリィアンとの約束を頭の中で反芻し、ほくそ笑む。 戻ってきたホリィアンは、遥か前方を指差した。 「あそこです。あの青い屋根の小さいお家ですよ」 小さい家といっても、彼女の認識で、だ。その離れの家は、今まで二人が暮らしていた店舗を兼ねた家屋より大きく見える。 「立派なお家ですねぇ……」 「遠慮はいらないですよ。じゃあわたし、お茶の準備をしてきますから、お二人は荷物をお家の中に運んじゃってくださいね。では一旦失礼します」 ホリィアンは一礼して、パタパタと母屋の方へと戻っていった。大まかな掃除は前もって済ませていてくれたらしい。 「ではさっさと荷物を運んじゃいますか」 「だね。早く終わらせて、パルと遊びたい」 「本当にレニーさんはパルさん一筋ですね」 「当たり前じゃん。パルはおれの希望。シーアとセルトの分まで、おれはパルを可愛がるって決めてんだから」 レニーはふと、思い出したようにカルザスの顔を覗き込む。 「おれはパルを護るけど、カルザスさんはおれとホリィを護ってくれるんだよね? それは今でも違わない?」 「ええ。それは僕の使命です。どちらの手も決して離しはしませんよ」 「そこはホリィをって言ってやりたいけど、おれもカルザスさんの手、離せられねぇわ、きっと」 レニーが苦笑する。カルザスも柔和な笑みを浮かべた。 「ご安心ください。僕、結構力持ちですし、とっても欲張りなんです。お二人の手を掴んで、そのまま運べちゃうかもしれません」 「ふふ、そうだね」 レニーは目を細めて笑い、荷馬車を新しい住居に横付けた。 生活雑貨や細かな道具の入った箱を、立派な一軒家に運び入れつつ、レニーはふうと息を吐いた。 「さすがにこんだけ、中と外を往復すると疲れるな」 「少し休憩しましょうか。僕もちょっと疲れました」 一旦、芝生の上に置いた箱に腰掛け、レニーは額の汗を拭う。 「レーニー!」 舌足らずで元気満々な声をあげて、パルが全力で駆けてくる。レニーの表情が一瞬で崩れ、彼は膝を折ってしゃがみ込み、両手を広げて、飛び込んでくるであろうパルを受け止める態勢を築いた。ほぼ一呼吸の間に。 「あはは、もうさすがとしか」 隣で笑うカルザス。パルはレニーの少し手前から、大きくジャンプして彼に飛び付いた。 「おっと!」 「ねぇねぇ! おねえちゃんにきいたの! これからずーっとレニー、パルといっしょにいてくれるって!」 息を切らせながら、早口に問いかけてくる小さな彼。その問いかけに何度も頷きながら、レニーはその体をぎゅっと抱きしめた。 「うんうん。そうだよ、パル。ずーっと一緒だよ」 「わーい! レニーいっしょー!」 たとえば彼が子犬なら、可愛らしい尻尾を千切れんばかりに振りまくっているに違いない。パルの、レニーへの絶対的な好意を隠そうともしない大はしゃぎっぷりはあまりにも潔《いさぎよ》い。もはや何も言えないカルザスだった。 「パルー! 待ちなさいー!」 ホリィアンの声がして、はぁはぁと息を切らせた彼女がやってくる。手には小ぶりなバスケット。 「もうっ! パルも、一緒に、運ぶの、手伝ってって、言ったのに! ゴホッゴホッ……はぁ……」 「ふぇ……ごえんなさい……だってレニーいっしょ、うれしくてパル、がまんできなかったの」 「もういいわ……はぁ、はぁ……」 「大丈夫ですか、ホリィさん?」 カルザスがホリィアンの持つバスケットを受け取りつつ、彼女の背を擦る。 「そ、それ、休憩の……お茶です。はぁ……」 「わざわざすみません。ありがたく頂戴します。ホリィさんも一息吐いてくださいね」 「ありがと、ホリィ。ホリィも座って落ち着きなよ」 「はいー……」 ホリィアンはペタリと芝生の上に座り、はぁはぁと空気を貪る。彼女は走るという行為自体があまり得意でないのだ。物事に対しての行動力はあるが、純粋な運動自体は苦手である。 「ねぇレニー。なにしてあそぶ? パルかけっこしたい!」 「お前今、全力で走ってきたトコじゃん。元気あり余ってんなぁ」 身体能力の飛び抜けた元暗殺者であるが、幼児の全力全開の遊びたい要求には、さすがについて行けない。そもそも、使う筋力からして違う。後を考えて余力を残すという思考すら、幼児にはない。 レニーはパルの髪をクシャリと撫で、ホリィアンの向かいに腰を下ろして膝の上にパルを座らせた。 「遊ぶのは後でな。今日中に荷物片付けちまわないと、パルと一緒に住めないから」 「ぶー。そんなにまてないー」 「パルが手伝ってくれたら、ちょっとは早く終わるんだけどなー?」 「ほんと? パルてつだう!」 パルは先ほど、レニーが置いた荷物に飛びつき、持ち上げようとうんうん唸るが、当然幼児の腕力で持ち上がるようなものではない。 「パルさんには無理ですよ。あとでレニーさんのお手伝いをしていただきますから、先にお茶休憩しましょうか」 ホリィアンから受け取ったバスケットに入った、香茶の瓶と四つのカップ、それにお菓子の包みを見て、カルザスは彼女の隣に座った。 カルザスとホリィアンが手分けして、お茶をカップに注ぐ。膝の上をパルに占領されているレニーは、やはり今回も身動きできずだ。 「わたしの焼いたクッキーじゃなくて、メイド達の作り置きのおやつなんですけど、よければ一緒にどうぞ」 「ありがと」 レニーはホリィアンからカップとソーサーを受け取り、だがすぐにパルがじっとクッキーを見つめていることに気付く。 「物欲しそうな目で何を見てるんだ、パル」 「パル。それはレニーさんの分でしょ」 「うー……」 「はいはい。欲しいんだろ。お前にやるから」 レニーは、ソーサーに添えられたクッキーを摘む。 「こらパル! さっきまでキッチンでつまみ食い、いっぱいしてたでしょ! レニーさんに甘えないの!」 ホリィアンが鋭く叱責する。 「なに? お前もう食ってたのか。じゃあ、腹壊すからこれ以上はダメー」 と、レニーは摘んでいたクッキーを、自らの口に放り込む。無論パルは甲高い声を上げて未練がましく唸った。 「あー! レニーいじわるー!」 「意地悪じゃなくて躾。これからは甘やかすだけじゃなくて、ビシビシいくからな」 「ふふっ。そこで甘やかしちゃうのかと思って、ドキドキして見てたんですが、レニーさん、結構シビアですね」 「パルが腹壊したら可哀想じゃん? その辺は保護者として、ちゃんと見といてやらないと」 ホリィアンがくすくす笑いだした。 「笑ってしまってすみません。でも、レニーさんが一緒に暮らすとなったら、パルはレニーさんに甘えちゃって、レニーさんもパルに甘いから、お菓子とかどんどん与えちゃうんじゃないかって、心配してたんです。でも大丈夫そうですね」 「あ、ホリィそれなんかすげぇ偏見。おれは確かにパルに甘いけど、これからは甘やかすだけじゃねぇよ。締めるところは締める。それが保護者の役割」 「そうですね。パルのお父さんはレニーさんですもの」 「お父さんじゃねぇよ! そういうの、照れるからやめろっての!」 カルザスは微笑ましげに、その会話を見つめつつ、ほどよく冷めた香茶を啜る。 「ってことでパル。これからは言うこと聞かないと、頭コツンするからな?」 「むー……パルほしかったのにー」 「ほう。さっそくコツンされたいか?」 「い、いやぁ……」 「じゃあニコニコでホリィのお茶を飲んでろ」 パルは少々むくれたまま、ホリィアンが手渡した子供用カップのお茶を啜った。 「これから楽しくなりそうですね。お夕飯も毎日ご一緒できますし」 「え? さすがにそこまでお世話になる訳にはいきませんよ」 「そうそう。食事とかは、これからも自分達で準備するつもりだったんだけど」 「せっかく同じ敷地内にいらっしゃるんですし、それに事務所とここは母屋の前を通りますし、カルザスさんは父も母も認めてくれてますし、パルのことはレニーさんに一任されてますし」 ホリィアンが指折り、次々と既成の事例をあげてゆく。 「だから、お夕飯は母屋で用意させていただきますよ? 朝は時間が合わないので、別にということになりますけど」 カルザスとレニーは顔を見合わせる。 「甘えちゃう?」 「さすがに家まで用意していただいて、ここで食事のお世話までもというのは申し訳ないですよ」 「でもなんかこの状況、断る方が失礼っぽくない?」 訳あり兄弟達の会話を聞きながら、ホリィアンは名案を思いついたかのように、両手をポンと合わせた。 「レニーさん。夕食の時のパルの面倒を見ていただけませんか? 野菜嫌いを治させたいんです」 「よしきた、任せろ。カルザスさん、ホリィのお誘い受けよう」 「あっ! ホリィさんズルいです! またパルさんを使ってレニーさんを懐柔するなんて! レニーさん、完全に陥落してるじゃないですか!」 「カルザスさん、いいんですよ。一人分二人分増えるくらい、大した手間ではないですし、遠慮なさらないでください。むしろ大勢で食べる方が楽しいじゃないですか」 「カルザスさん。これも婿入り修業だよ」 レニーが笑って言うと、カルザスは頬を染めて口をぐっと真横に引き、ガクリと項垂れた。 「……お世話に……なります……」 「はい!」 ホリィアンは満面の笑みを浮かべた。 「パル、これからはレニーさんが見てるから、お野菜ちゃんと食べられるわよね?」 「うん! あのねレニー。パルね、おやさいちょっとだけたべられるようになったの! パル、いいこいいこ?」 ホリィアンに諭されたパルが、自慢そうに鼻を膨らませてレニーに報告する。 「ホントか? えらいぞ。いい子いい子のぎゅー、してやるな!」 パルの自己申告に、レニーは彼をぎゅっと抱き締める。彼はきゃあきゃあと、嬉しそうに〝父親《レニー》〟にしがみつく。微笑ましい光景だった。 「いいこいいこなったら、レニーもっといっぱいあそんでくれるから、パル、おやさいたべるのがんばったの!」 「うっ……ああ、健気すぎて泣きそうだわ、おれ。パルはがんばってるんだなぁ」 レニーは思わず涙ぐむ。 「パルとあそんでくれる?」 「いいよ、遊ぶ遊ぶ! パルはなにしたい? かけっこか?」 「たからものさがしー!」 「ああ、そうだったな。じゃあ今日は家の片付けしないとだから、次の仕事休みの日に、近くの公園かどこか、二人で行こう。こないだの湖畔はちょっと遠いから、二人で行けないもんな」 もう「また今度」などと言って逃げない。レニーはパルに明確な日付を約束した。 親子のような微笑ましい会話を見つめながら、カルザスは冷めたお茶をもう一度啜った。 「世界一、幸せな親子ですね」 「それはカルザスさんも似たようなもんだろ」 レニーは膝の上のパルの頭を撫でながら、ふっと口元を弓形にした。カルザスも目を細めて、コクリと頷く。 「そうですね。護るものが増えはしましたが、今、気力がとても充実しています。楽しい、とは少し違いますね。嬉しい、でしょうか? この気持ちの充実感は、他で抱いたことがないです」 「パルはおれの希望だからね。パルさえいえれば、おれはこの先も、心穏やかに生きていけると思う。おれの罪も、きっと許される、よな?」 「ふふっ。わたしもぜひ、これからも、お二人の力にならせてくださいね。ダメって言われてもわたし、パルと一緒にくっついていきますから!」 誰からともなしに、手を差し出した。残った二人も手を差し出す。その腕には色違いのお揃いの、約束のブレスレットがキラキラと輝いていた。 「ずっと三人……いや、四人でいよう」 誰かが囁き、皆が頷いた。 |
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