砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


     8

 ぼんやりとしたまま、レニーは朝食のパンを一口大に千切っては、皿の上に置く。そんな様子を見ながら、カルザスは手を延ばしてレニーの手を止めた。
「レニーさん。食べないのにそんなにパンを千切っては、もったいないでしょう?」
「え? あ、ああ。ごめん……」
 レニーは俯き、長めの前髪で顔を隠す。
「パルさんのことでしたら……」
「違う」
 レニーは俯いたまま、カルザスの言葉を否定した。
「パルのこともあるけど、カルザスさんとホリィのことが……ね。もうどうしていいか、おれ、分かんなくて」
「僕達のこと、ですか?」
「マクソンさんが、パルのお袋さんと仲違《なかたが》いした原因は、パルがおれに一人で会いにこようとして、あんなことになったから。つまり原因はおれ。そんなおれを庇おうとするカルザスさんは、ホリィの婚約者。当然ホリィもマクソンさんもアイシーさんも、おれを庇おうとする。身分や外面まで気にするパルのお袋さんにとって、それは更に不快極まりない。つまりさ……全ての元凶たるおれは、もういない方がいいんじゃないかなって」
「またそんな後ろ向きな考え方をして……」
 相棒たる彼の芯の部分は、手に負えないほどネガティブであることは分かっているつもりだったが、最近はその側面はなりを潜めていると思っていた。だが今回の件で、またそちら側を向いてきてしまったのか、と、少々気が重くなる。
「カルザスさんとシーアとの約束だから、死にたいとか消えたいとかは思わないよ? だけどおれ、もうどうやって責任とっていいのか分かんねぇし、居場所はねぇし、ホリィたちに顔を合わせられねぇし……はぁ……」
「顔を上げてください。近く、マクソンさんのお家のお仕事を始めることになるんですよ? そんな様子では、最初からご迷惑をお掛けしてしまいます」
 彼が全力でネガティブ方面に向かってしまったとすると、カルザスにはもはや止めることすら困難だ。ただ、言葉をかけ続けるしかない。
「はぁ……おれ一人でしばらくどっか行きたい」
「許しませんからね」
 カルザスはレニーの千切ったパンを食べながら、野菜スープでそれを胃に流し込む。
 のろのろと食事を続けていると、裏口がノックされた。そして笑顔のホリィアンが入ってきた。
「おはようございます!」
「おはようございます、ホリィさん」
 カルザスは挨拶を返すが、レニーはその気力も無いらしい。ホリィアンと顔を合わせまいと、俯いたまま顔を背けている。
「レニーさんに朗報です!」
「……今のおれに朗報なんてないよ」
「絶対に朗報ですよ!」
 ホリィアンはレニーの腕を掴んで、ゆさゆさと揺さぶった。
「パルが正式にわたしの弟になりました!」
「……は?」
 ようやくレニーが顔をあげる。だが彼女の言葉の意味が理解出来ず、困惑した眼差しのまま彼女を眺めていた。
「それは……どういうことでしょうか?」
 カルザスも訳が分からず、彼女に追加説明を求める。
「叔母様がパルの養育権をお父さんに譲渡したんです。完全な親権放棄ですね。パルをもう見たくないって」
「それってつまり……」
「はい! カルザスさんが正式にアイル家に入ることになれば、必然的にパルも義弟となります。カルザスさんの弟がレニーさんで、わたしの弟がパルということは、書面上、れっきとした兄弟になるんですよ! あ、カルザスさんとレニーさんは書面上ではご兄弟ではなかったんでしたっけ? でも一緒にアイル家に入ることになれば……」
 彼女の説明を聞き、レニーが腰を浮かせる。
「パル……パルはそれを望んだの?」
「はい! 最初はやっぱり説明が難しかったみたいですけど、レニーさんがお兄さんになるのよって教えたら、パルは大喜びで! だから今日からパルはわたしの本当の弟なんですよ! パルは母親である叔母様より、レニーさんを選んだんです!」
「パルが……パルが!」
 レニーは泣き笑いの表情になり、いや、本当に涙目になって、目元を両手で覆った。
「叔母様ったら、パルが穢れた穢れたって、呪詛みたいに言ってたらしいです。それでもともと潔癖症のきらいがあることもあって、パルを隔離しようとしてたところを、お父さんとお母さんが『そんなにイヤなら親権を渡せ』って怒鳴りつけたんですよ。わたし、スカッとしちゃって」
 ホリィアンが熱弁を振るう。
「自分の子供を簡単に手放しちゃう叔母様にはかなりカチンときましたけど、でもパルが喜ぶなら、うちはパルとの養子縁組、大歓迎ですよ! ね? レニーさん、朗報だったでしょう?」
 ホリィアンと、マクソンたちに心から感謝しつつ、レニーはついに泣き出した。歓喜で感情が弾け、うまく感謝の言葉が出てこない。口を衝いて出て来るのは──
「うわ、やっべぇ! 顔、崩れる! あーもー、ほらほらカルザスさん! とっととホリィと結婚しろ! 今すぐにでも! 早く!」
「ち、ちょ、ちょっと待ってください! 人をダシに使わないでくださいよ!」
「うふっ。レニーさん、もうパルと離れるなんて言わないでくださいね? 今度パルを泣かせたら、わたし、すっごく怒りますよ」
「ああ! 当然さ! おれはもうパルを手放さない。ほんっと、あいつ可愛いじゃん! ぜってぇ可愛がる!」
 レニーは泣き笑いの顔を上げ、グシグシと袖で涙を擦り上げる。
 ホリィはふいに真顔になり、人差し指を顔の前に立てた。
「でもあんまり可愛いからって、ええとー、ペドなんとかっていうのは、絶対無しですよ?」
「莫迦ホリィ! おれをあんな連中と一緒にすんな! おれのパルに対する保護欲は、父親みたいなもんなんだよ。もう完璧にパルがセルトの生まれ変わりだとしか思えねぇ。セルトを抱けなかった分、この手でパルを目一杯抱き締めてやるんだ!」
「じゃあ安心ですね」
 ホリィアンはほっと胸を撫で下ろし、気力を取り戻したレニーを見て、にこりと微笑んだ。
「あーパル。早く会いたいよ! パルとの生活かぁ……朝起きて顔洗わせるだろ。それから飯食わせて、おれは仕事。仕事が終わったら、晩飯一緒に食って、一緒に風呂に入って、一緒に寝て。うっわぁ、ちょっとカルザスさん! おれの毎日、ずっとパルだらけだよ! みっちりパルばっかだよ!」
 完全に舞い上がっているレニーを見て、カルザスとホリィアンは少々戸惑う。かなり腰が引けている。
「パルさん一筋、ぞっこんですね……」
「ええ。一点の曇りもありません……」
 別の意味での不安を覚えつつ、二人は今にも踊り出しそうなレニーの舞い上がりっぷりを、一歩引いたところから見つめていた。


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