砂の棺 if 叶わなかった未来の物語

「砂の棺」完結後の、「誰か」が思い描いた、
叶わなかった未来の幸せな幸せな物語。
北の町・ミューレンでのカルザスとレニーの日常。
そして新しく出会う人たちとのふれあい、事件。


   ミューレンの雑貨屋

     1

「だいたいね、こっちはもうちゃんとオトコやってんだから、色目使って見てくるなっつーの!」
 食べかけのリゾットのスプーンを振り回し、頬杖をついたレニーが不機嫌そのものといった様子で不平を述べる。
 そんな様子を、カルザスはふふと笑って見ていた。
 カルザス・トーレムは南の砂漠の国ウラウローから来た元傭兵である。温厚で柔和な雰囲気が傭兵に似つかわしくないとよく指摘されていたが、本人はまるで気にしていなかった。だがいざとなれば、いや、本人が必要と判断した場合は、異常なほどの頑固さで周囲を圧倒、そして唖然とさせることがしばしばあった。
 レニー・ティリはカルザスと同じく、南の砂漠の国出身の元詩人だ。しかし夜の闇に紛れ、依頼とあらば赤子であっても平然と屠《ほふ》る、自我を失った非道の暗殺者だったという顔も合わせ持つ。今はすっかり改心して、心酔しているカルザスの弟分として、日々を穏やかに過ごしているが。
 罪を償うために、殺してきた者たちの分まで、枷《かせ》を胸に生きると決めたのだ。
「なに笑ってんのさ」
「だって、そんなに男性として見られたいのなら、そういう格好はおやめになればいいじゃないですか」
「おれ、そんなつもりないけど?」
 淡い紫玉の瞳が、不思議そうにカルザスの黒耀の瞳を見つめる。
「まぁ確かに、以前に比べれば少し男性寄りになったかもしれませんが、でもレニーさんはまだまだ女性らしさが残ってますよ。髪は束ねているとはいえ長いままですし、選ぶ衣服は中性的なものが多いですし、それに……」
 カルザスはそこで一旦言葉を区切り、少し躊躇ったのち、再び口を開いた。
「……シーアさんのイヤリングはそのままですし」
 レニーは一瞬視線を脇にやり、自らの耳に付けた女物の繊細な硝子細工のイヤリングに指先を触れさせる。
「……これは……外せないよ。忘れられないから」
「分かっています」
 過去に恋い焦がれた少女の姿が脳裏をよぎり、レニーは俯いた。
 気まずい沈黙が食卓を支配する。
『過去のことだ』
 カルザスの頭の中に、彼しか聞こえない『声』が響く。
 声の主は、カルザスと体を共有する、太古の竜人の魔術師テティスだ。
 彼は実体を持たず、レニーを利用してカルザスの前世である、ある魔術師を逆恨みし、倒そうと試みたのだが、長い年月、転生を繰り返して過ごしている内、その執念や怨念は薄れ、抱いていた野望も霧散してしまった。今では更に希薄な存在として、カルザスの精神の一部に宿るのみだ。よって、滅多に表の世界のことに口出ししてくることはない。
 もはや自分は、この平穏な世には不適格な、『存在すべきでなき者』と位置付けているのだ。
「それはそうですけれど……でも風化させてはいけないと思うんです」
 カルザスは自らの額にコツンと手を当て、唇を曲げる。
「テティスはなんて?」
 カルザスの中のテティスの存在を知るレニーが、今、カルザスは彼と会話したのだと気付いて問いかける。
「その……過去のこと、だと……」
 レニーはふっと吐息を付き、こくりと頷く。
「その通りだと思うよ。もう昔のことだ」
「で、でも! シーアさんを忘れるなんて絶対ダメですからね!」
「ばーか。何が起こっても、忘れられる訳ないじゃん。シーアは生きてんだから。ずっと、ずっとおれの中で」
 すっかり冷めてしまったリゾットを、レニーはスプーンでかき混ぜる。
『すまない』
「すみません、と……」
「うん」
 レニーの心の全てだった少女の命を奪ったのは、他ならぬテティスだった。だがレニーはカルザスと──希薄な存在となったテティスと共に生きると誓った時に、彼を責めることをやめた。許した訳ではないが、もう憎まないと誓ったのだ。
「飯、冷めちゃったね」
「温め直します?」
「いや、いいよ。さっさと食べて寝ちまおうよ。どうせ明日もあるんだしさ」
 冷めたリゾットを口へ運び、二人は重くなってしまった雰囲気の中、食事を終えた。

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