砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     3

 暗殺者と対峙するという事が、これほどまでに厳しいものだとは思わなんだ。傷は一見して軽いのだが、根は深い。急所への斬撃は間一髪で避けたつもりなのだが、浅くとも的確に関節を狙い、傷を負わされているのだ。
 シーアの持ってきた鎮痛剤で痛みは和らいでいるものの、関節は軋み、体中の筋肉が悲鳴をあげている。特に折られかけた右腕は、剣どころかスプーン一つ満足に持ち上げられんと言う有様だ。利き腕なので、なお始末が悪い。
 むろんあの時のシーアは、こちらの動きを封じるという事を考慮して攻撃したのだろうが。だが痛めつけられはしたものの、骨折しておらんというのも、大したものだな、カルザスよ。
 暗殺者を辞めろと説得した直後、再び意識を失うように深い眠りに落ちたカルザスが次に目を覚ましたのは、地平の彼方に日が落ちる寸前だった。
「おはようございます……というのは変ですね。こんばんは?」
 苦笑しつつおどけて見たが、シーアは強張った表情のまま、ただ、壁際に立ち尽くしているだけだった。
 カルザスが眠っている間に身支度を整えたのだろう。見慣れた詩人の姿になっている。
 だが頬は微かに腫れ、腕にも青い痣ができておる。奴が本当の女ならば、きっと気にしていただろう打撲の痕跡。
「女性の姿ですね」
「あ、あの……お、おれって……言っちゃうと、どうしてもあっちの私になってしまいそうで……だから……」
 窓から射し込む夕日はシーアの銀色の髪を照らし、紅く、また黄金色に、と、不思議な色合いとなっている。憂い顔は儚げで、その姿だけを見ていると、やはり奴が男で暗殺者だとは思えん。元の骨格や造形が女寄りなのだろう。
 気まずいのであろう複雑な表情をして、カルザスを見つめている。何を言われるでもなく、ただ見られているというのは、どうも落ち着かんものだな。
「シーアさん、どうしたんですか? 何か言いたい事があるなら遠慮なくどうぞ?」
「あ、あのっ……えっと……い、痛みは……どうですか?」
 随分消極的な物言いだな。何でもずけずけと口にしていたつい先日までとは、まるで別人だ。
「痛みは随分和らぎましたけど……まだちょっと辛いですね。あ、気にしないでくださいね。僕は見た目より体力ありますし頑丈ですから、すぐよくなります」
 確かに頑丈だな。あれだけの猛攻を食らっておいて、骨はどこも折れておらんのだから。
 シーアは両手で胸元を押さえ、俯く。小さく深呼吸し、目を伏せたまま声を絞り出す。
「……動けますか?」
「無理すれば、歩く程度なら」
 シーアは顔を上げ、一歩こちらへと踏み出す。
「あのっ……少しだけ、無理してください。ここ、早く離れた方がいいから……」
 カルザスが首を傾げると、シーアは窓際に立って外を眺める。そのまま、動物の皮で作られたカーテンを閉めた。
「……このお店、暗殺者のための仕事の仲介をしています。表向きは普通のお店だけど、裏では暗殺者のための仕事を斡旋しているんです」
 何だとっ! あのオーナーや従業員たちは暗殺者の仲間、あるいは暗殺者自身だったというのか? カルザスも驚いたのか、息を飲んでシーアの次の言葉を待っている。
「お客さんのほとんどは一般の人です。だから私、カルザスさんとベイに来た時、ここに誘ったんです。私の目的が、このお店に来る事だったから、どうせバレっこないし、ついでだと思って」
 普段は何食わぬ顔で店を開き、裏では別の顔を持つ……か。このような事情を聞いてしまうと、他の全ての店が胡散臭く見えてしまう。
「……あなたも“仕事”を探しにこの店へ?」
「いえ。私はただ、偵察に来ただけ。各地のこういったお店の様子を探って……上納金を取り立てているんです。えっと……私が最初に下の酒場で騒ぎを起こした時、オーナーにこういうもの渡したの、見てましたよね?」
 と、シーアが袖の中から取り出したのは、朱色の紙だった。受け取って開いて見れば、そこには奇妙な絵が描かれている。記号化されたサソリ……いや、虫か? 羽虫か甲殻虫のようだが、幾何学的にデザインされていてよく分からん。
 確かこの紙は、シーアが騒ぎを起こした後、心付けを渡すようにオーナーの手にねじ込んでいたが……。
 だが言われてみれば、紙を広げたオーナーの顔色が変わって、突然シーアを雇うなどと言い出しておったな。大枚を握らせたのかと思っておったのだが……。
「その絵は仲間内で使われる暗号です。私たち、仲間同士でも顔を知らない事がほとんどだから。その暗号、私が来たから、上納金を納めろって意味なんです。お金を納めさせる代わりに、そのお店で手に負えないような仕事があるようなら、手伝ってもいいって意味があって……」
 手に負えない仕事……ティケネーとローガスの暗殺か?
「あのぉ……もしかしてシーアさんって、暗殺者の中でも結構すごい人だったりします? 暗殺者のギルド……と言っていいかは分からないですけど、お金を集めるって事は、暗殺者のトップの方に信用されてないといけないですよね? 傭兵でもそうですし。あ、その……すいません。悪気はないんです。でも今後のために必要な情報なので」
 カルザスの言葉に、シーアは言葉を詰まらせて俯く。そして僅かに顔を上げ、小さく頷いた。やはりそうか。
 上層部の発言力や実力のある者の秘蔵っ子なのだろうか? 上層部に信用されておったとしても、金を集めるという使い走りのような仕事をする者に、地方の暗殺者たちが自分たちの手に負えないような仕事を任せるとは思えん。おそらくあの暗号はシーアそのものを指しているのだろう。
「……私を拾ったのは暗殺者の頭目だと言いましたよね? 今は……その……私が後継者というか……頭目代行、です」
 さすがにこの答えは予想していなかった。まさか暗殺者のトップの養い子だったとは。
「頭目は私が殺しました。拾って育ててくれたという恩はあったけど……どうしても許せない事をしたから……」
 なっ……! 育ての親であり、組織のトップを殺しただと? 下克上にも程がある。こやつの考えている事がまるで理解できん。
 シーアは自分の腕を強く掴み、唇を噛む。
「えっと……あの……あなたは暗殺者の頭目という地位が欲しかったのですか?」
 言葉を選ぶように間を置いて問いかけるカルザス。シーアは微かに首を振り、口元に指先を当てる。どう答えるか思案しておるようだ。
「……違う。そんなもの、いらない。あまり言いたくないけど……女として育てられたという事から連想すれば、何をされたか……分かるでしょう? 言葉通り、単純に考えてもらえれば……」
 女として育てられたというと……育ての親に性的虐待、あるいはそれに近いものを受けたという事か? シーアのこの秀麗な容姿ならば、そういった狂った色情を起こす者もおるかもしれんが……。
 だがその程度の事で親を殺すものだろうか? シーア自身には重大な問題だったのかもしれんが、親を殺すほどの動機になるとは思えん。たとえ血は繋がっていなくとも、育ての親なのだからな。
「頭目を殺す事で私の実力はみんなに認められたけど、正式に引き継いだ訳じゃないです。だからまだ“後継者”であり、“頭目代行”なんです。正確には、頭目代行の一人。私が頭目を殺したから、上層部が滅茶苦茶になってしまって、正式な引き継ぎができないでいるから……」
 シーアの吐露はまだ続く。苦しそうで、やめさせてやりたかったが、全て吐き出させた方が少しは楽にはなるだろう。俺は……いや、カルザスは黙ってシーアの言葉に耳を傾ける。
「本来なら、本部に当たるべき場所にいなければならないんだけど……私にはどうしても果たさなくちゃならない事があったから。だから反逆を起こさないように、地方の部下たちを監視するっていう名目で、上納金を回収しつつ、各地を巡っています」
 シーアが暗殺者の頭目代行……つまりは暗殺者の組織の中枢にいる者という訳だ。見た目では全くそうは見えんが、この店のオーナーとて、見た目で判断できないという点は同じだ。
 奴の言葉から察するに、頭目代行とは複数いるようだが、全てがシーアのような実力を持っているとすれば、全て倒して終わり、という訳にもいかん。そのような手練、とてもカルザス一人で相手にはできんからな。シーアに暗殺者組織を足抜けさせるとは言ったものの、どう対処すればよいものやら。
 しかもシーアのように見た目で暗殺者であると判断できぬならば、なお始末が悪い。案外暗殺者とは、身近におるものなのかもしれん。世の中恐ろしい事だ。
「果たさなくてはならない事って……聞いてもいいですか?」
 シーアは僅かに顔を上げ、カルザスを見つめる。そして視線を落とし、首を振った。
「……ごめんなさい……まだ、話したくない……本当はお話ししてもいいと思ってるんだけど、でも感情がまだ拒絶していて……」
「分かりました。気持ちが落ち着いて、話せるようになってからでいいですよ。僕は気が長いですから」
「……ごめんなさい。でも、悪い事じゃないから。ほんの……ささやかな願い事だから」
 シーアがゆっくりと息を吐き出す。一応の事は話し終えたのだろうか。それは安堵の吐息のようにも感じられる。
「ここの方たちは、“頭目代行”の命令で、二階の宿部分には姿を見せないでいるという訳ですね?」
「はい。あ、いえ……このお店自体から全員追い出しました。カルザスさんが寝ている間に。この店が裏の顔を持っているという事に感付いた者がいるらしく、町の自警団を通じて傭兵が偵察に乗り込んできたって嘘を吐いて。後続の傭兵から逃れるために店を閉めてしばらく姿を眩ませろって……そう言ってあるんです。安直な嘘だし、だから彼らがいつ戻ってくるか私にも分からなくて……」
「僕が偵察……ですか。隠密行動とかって、結構苦手なんですけどね、ホントは」
「追い出すいい口実がとっさに思い浮かばなくて……」
 口許を押さえ、困惑したように眉間に皺を寄せる。戸惑い憂いを帯びた顔は美麗で儚く、女装している男にも、裏の顔を持つ者にも見えはせん。まさか暗殺者の頭目代行という真の姿に直結しているとも思えんな。路に迷う幼子のような雰囲気というべきか。
「本当に見た目で分からないものですね……シーアさんも、マスターさんも」
「その……暗殺者だって……悟られるような事があっちゃいけないから、どうしても……」
 当然だな。暗殺者などという裏の顔をオープンにしてしまっては、奴らの本来の仕事に支障を来たす。傭兵と同じで、奴らの仕事も信用が第一であろうしな。むろん奴らの仕事を容認してやる気も、擁護してやる気も微塵もない。俺とカルザスは、あくまで傭兵なのだからな。

 カルザスは痛む体を無理矢理起こし、ベッドから足を降ろす。
「この状態で……そんな方々のお相手はできませんから、シーアさんの仰る通り、さっさと逃げ出しましょうか」
「もう少し強い鎮痛剤ありますけど……副作用も強いんです。私、毒物には……いえ、薬関係には詳しいから……」
 毒と薬は紙一重だからな……言い直したとはいえ、そのような怪しい薬を飲まされるのは勘弁願いたいものだ。いや、すでに飲んでおるのか。
 カルザスが昏倒すれば、俺も同時に昏倒する事になる。あくまで俺の想像でしかないが、カルザスの死は俺の死でもあるのだろう。俺とてまだ死にたくはない。
 ……夢は、別の物を見るのかもしれんがな。
「もしかして、いっそ町を出ちゃった方がいいですか?」
「その方が安全だと思います。私、夜目は利きますから大丈夫です」
 やれやれ。砂漠を強行軍か。しかも夜中に。通常の状況ならば、絶対に行う事など有り得ない奇行だ。
 熱射の照り付ける昼日中の砂漠は危険だが、足元の見えぬ夜の砂漠はなお恐ろしい。熱を蓄積せん白い砂のせいで気温が一気に下がり、寒さに強い種のサソリや毒虫が活発に動き回るのだ。もしそれらに刺されでもすれば、町まで戻る事もままならぬ強い毒を受ける事となる。
 全く、厄介な事に首を突っ込んでしまったものだ。俺は多少、後悔する。
「分かりました。着替えますから、外で待っていてください」
 足元に丁寧にたたまれた服を掴むカルザス。治療のためにと、シーアに脱がされたのだろう。
「あ……手伝います。右腕、あまり動かないでしょう? あの時、本気で腕を折るつもりでいたから……」
 ……何も言うまい。相手は暗殺者なのだから、対峙している相手に遠慮などするはずがないのだ。昨夜のあれは訓練ではなく、実戦だったのだから。
「そのぉ、ちょっと照れちゃいますね。一応シーアさんの事は男性なんだと分かってるつもりなんですけど、シーアさんがよくても僕が困るというか戸惑うというか……」
 シーアは自分の体を見下ろし、両手で胸元を押さえる。
「ご、ごめんなさいっ……ド、ドアの外にいるから、もし何かあったら呼んでくださいっ!」
 慌てて部屋を出ていこうとするシーアを、カルザスは呼び止める。
「あの、シーアさん」
 ほんの僅かだけ顔をこちらへ向け、シーアは立ち止まる。
「そんなに改まる必要なんてないですよ。あなたは僕の依頼人ですし、以前のように気さくに話し掛けていただいた方が、僕もお話ししやすいですから。すぐには難しいですか?」
 ドアノブに手を掛けたシーアの表情が和らぐ。
「……ありがとう。やっぱり優しいね、カルザスさんは」

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