砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     3

 短時間で終わるような、その日の飯代程度にしかならん安い依頼をこなして僅かな金を稼ぎ、余った時間はシーアの護衛に当てるという状態が、もう三日も続いている。
 心配ないからと、最初は笑いながらカルザスの護衛をやんわりと断っていたシーアだが、さすがにそろそろ我慢の限界なのだろう。露骨な嫌悪の眼差しで、カルザスを横目で睨んでいる。
 今夜も夜の顔になった飯屋兼酒場で歌っているのだが、元々不調なのか、視界をうろつくうるさい傭兵に苛立っているのか、先ほどからハープの伴奏を頻繁に間違えておる。
 カルザスは心底、あの暗殺者を捕まえたいらしい。でなければ善意だけでしつこくシーアの護衛などせん。カルザスとて傭兵の端くれ、割り切るべき所は心得ているはずだ。なのにこの体たらく。この女にかかずらっておる時間を、もっとまともな仕事に当てれば相当稼げるだろうが。
 苛立ちが最高潮に達し、これ以上の演奏は不可能だと判断したのだろう。シーアはハープを抱えたまま無言で席を立った。そのまま宿となっている二階への階段を登る。
 むろん、カルザスがその後を追う。
「……カルザスさん……いい加減にしてくれないかしら」
 自室の前で立ち止まり、微かに震える声音で、振り返りもせずに言うシーア。カルザスは首を傾げ、周囲を見回した。
「大丈夫ですよ。怪しい気配は感じません」
「私の言葉、理解できてる? もうやめてと言ってるのよ、私はね!」
 四六時中顔を突き合わせているのだ。シーアでなくとも嫌気が差して当たり前だ。カルザスの行動はまさに相手の迷惑顧みずという状態なのだ。
「僕の事はお気になさらず。勝手に護衛してるだけですから、シーアさんに護衛料金を請求したり、お仕事の邪魔をしたり、ご迷惑は掛けませんから」
「私の傍にいる事がすでに迷惑だって言ってるのよ!」
「あ、近付き過ぎましたか? だったら、もう少し離れて護衛しますね」
 ……はぁ。
 それは本気で言っているのか、カルザスよ? 自分の都合のいいように意味を曲解しておるのか、それとも本気でとぼけておるのか……。
「そういう意味じゃないわよ! 一日べったり付き纏われて、死ぬほど迷惑だって言ってるの! もう金輪際、私の視界に入らないでちょうだい!」
 カッと床を踵で踏み鳴らし、シーアが金切り声をあげる。相当鬱憤が溜まっているようだ。当然だが。
 いくらカルザスが間抜けな善人面をしているとしても、傭兵などという輩に一日中張り付かれていれば、普通の神経をしている者なら苛立ちや精神的疲労感を覚えてしまうのは当然の事。カルザスはその辺りを全く理解していないらしい。
「いつあの暗殺者がシーアさんを襲うか、予想できないんですよ。事前に防げる危機は防ぐべきです」
「あれから何日経ってると思ってる訳? ちょっとすれ違った程度の私の事なんて、もう忘れてるに決まってるわ!」
「その油断が危険なんですよ」
 シーアの顔が怒りのために真っ赤になり、次第に色を失ってゆく。何か言いたそうに口を開くのだが、もはや言葉が出てこないらしい。
 カルザスの強情さは常人では真似できん。いや、真似したいとも思わん。
 一度こうと決めた事は最後まで貫き通すのだ。たとえ周囲に多大な迷惑を掛けようとな。ある意味、手の施しようがない天性の大うつけ者だ。全く……傍若無人にも程があろう?
 あの暗殺者を必ず捕らえると誓ったカルザスだ。次に奴が現れるまで、決してシーアから離れぬだろう。おそらくもう本当に、あの暗殺者が現れなくとも、カルザスはシーアを護衛しつつ待ち続けるだろう。良く言えば我慢強い、悪く言えば気の長すぎる呑気者だ。無償で護衛を続け、金が尽きた時の事など、考えてもおらんのだろう。自分の立ち位置というものをまだ理解しておらんのか、この放蕩息子は?

 カルザスを邪険に突き放すための説得を完全に諦め切ったのか、シーアは気だるそうに壁に手を付き、長いため息と共に肩を落とす。そして俯いたまま部屋の鍵を開けた。ノブに手を掛け、面倒臭そうに小さくカルザスを手招きして室内に招き入れる。
 室内に入ったシーアはドアを閉め、いきなり両手を顔の前で合わせて深く頭を下げる。
「ごめんなさい! 正直に言うから、もう私を監視するのはやめてほしいの!」
 切羽詰った様子でそう口にするシーア。
「監視だなんて人聞きの悪い。護衛ですってば」
「どっちでも同じよ」
 頭を上げて苦笑し、今度は少し体を傾けて長い髪に指先を絡め、上目遣いにカルザスを見つめる。
「……あの夜ね。一人で散歩してたのは本当だけど、でも怪しい人を見たっていうのは嘘なの」
 少々媚びたような、甘えたような口調で白状する。
「嘘……ですか?」
「ええ、嘘よ」
 シーアはカルザスの袖を掴み、甘えるように体を預けてくる。
 なっ……何を考えてこの期に及んで色仕掛けなど! ええい、うざったらしい! カルザス、帰るぞ!
「カルザスさんはあの時、怪しい人がどうとか言ってたじゃない? だから……ちょっと気を惹こうかなって思って、とっさに嘘吐いたの。本当は誰にも会ってないし、妙な物音だって何も聞かなかったわ。静かな夜だったもの」
「どうして嘘なんて言うんです?」
「だからぁ、あなたの気を惹こうかなって、イタズラ心が芽生えちゃったのよ」
 両腕で胸をガードするように自身を掻き抱き、やたらと媚びた猫なで声でシーアはカルザスに迫ってくる。
 この女はカルザスの気を惹きたいがために嘘を吐き、纏わり付かれて鬱陶しくなり、白状したというのか? なんと傍迷惑な!
「カルザスさんて、今まで出会った人とは全然違うタイプだったんですもの。ちょっといいなって思って、つい嘘を言っちゃったの。ほんの気まぐれなのよ。だから怒っちゃ嫌よ?」
 近付くな、このアバズレが。
 俺はこういった、女の色香を武器に男を騙すといった、擦れっからしの女が何より嫌いなのだ。女である事を武器に立ち回るような奴とは死んでも口をききたくない。自由に話せる口や動かせる実体がなくて助かったと、心底思ったぞ、俺は。
 カルザス、もうこいつの本性は分かっただろう! 帰るぞ! 次の仕事を見つけねばならん。金輪際、この女に関わるな!
「……なるほど……分かりました。そういう風に言って僕を遠ざけるようにと、僕のいない時に接触されて脅されているんですね?」
「ええ、そう……は? え?」
 間抜け面を晒すシーアの両肩にトンと手を置き、カルザスは何度も頷く。
「もう大丈夫です。必ず僕があなたを護って差し上げますから。もう怖がる事は何もありませんよ」
 カルザスの奴は勝手にシーアの言葉を曲解し、一人で納得してしまっている。
 ──おい、カルザスよ。このアバズレの話を聞いていなかったのか?
「そうですよね。怖いですよね。相手は人を殺める事をいとわない暗殺者ですし。得体の知れない人に目を付けられてつけ回されるって、どうしようもない恐怖ですよね。シーアさんのお気持ち、よく分かります」
 故意的に俺の言葉を無視しておるな、カルザスめ。
「あ、あのぉ……」
「今度は絶対逃がしませんし、負けません。安心なさってください」
 完全に自分の世界に陶酔しておる、この男。俺の忠告は聞かんし、シーアの告白も曲解して、自分で作り上げた仮想の世界に浸っておる。正真正銘……大莫迦者だ。もうどうにも矯正のしようもない。
 否が応にも付き合わされる俺は、心労でカルザスの中から消滅してしまうのではなかろうか?
「えと、カルザスさ……」
「そうだ。念の為に宿を変えましょう。ここは足が付いてしまっているでしょうし。そうと決まれば、さっそく荷物を纏めてください、シーアさん。さあ、急いで!」
 シーアは口許を引き攣らせ、カルザスを凝視していたが、ふっと俯いて両肩を震わせる。長い銀髪が顔を隠し、小刻みに揺れている。
「ほらほら、シーアさん、のんびりしている暇はありません。荷物を……」
「……うぜぇんだよ、この熱血坊やが」
 聞き慣れない男の声がして、カルザスはとっさに剣の柄に手を伸ばす。
「ヒトの話、聞けよ。いい加減キレるぞ、おれは」
 声の出所は……シーアだ。
 男にしては高いが、明らかにいつものシーアの声ではない。しかも完全に口調が変わっていた。
 シーアは顔を上げてキッと鋭い眼差しになり、片手で乱暴に髪を背に払う。その手を伸ばし、カルザスの胸倉を乱暴に掴み上げた。
 体格に関しては遥かにカルザスが勝っているが、身長だけならシーアはカルザスと大して変わりない。女にしては長身だとは思っていたのだが……まさか?
「……あんたさ。耳かっぽじってよく聞けよ。おれは誰かに護られてるようなやわな女じゃねぇんだよ。こういうヒョロい面《つら》してるが、おれは正真正銘、男なんだ。自分の身一つくらい、自分で護れるんだよ。分かったか、猪突猛進熱血クソ莫迦傭兵が」
 カルザスを突き飛ばし、シーアは壁に背を預け、首を斜に構えて腕を組む。
 シーアが……男だと?
 普通、シーアのような年代の男が女装したとしても、どこかにぎこちなさが現れるものだ。だがシーアには一切そういったものは感じなかった。中性的な顔立ちではあるが、実際に男だと言われてもどうもしっくりとこない。
「……ったく、何でこういう形でおれの重大な秘密、バラさなきゃなんねぇかな。あんたもおとなしく騙されたままでいてくれりゃ良かったのにさ」
 不貞腐れた様子でシーアがため息を吐く。
「シーアさんが……男性?」
「ああ、そうだよ」
 カルザスも完全に女だと信じ切っていたらしい。いや、無理もない。
 こいつを一目見て男だと見破れる奴など、いようはずもない。見た目も仕種も完全に女だったのだからな。
 確かに女にしては少々低くハスキーな声音ではあったが、詩人として喉を酷使しているのだから、それを妙だとは思わなかった。俺には少々鼻に付いたが、歩き方や仕種のどれを取っても艶っぽい女そのものだった。
 いや、正体を知って思い返せば、それは妙に演技掛かっていたと思えなくもないが……いや、やはり違和感はほぼなかった。
「ははっ。すっ呆けた間抜け面するなよ。あんた、元は悪くないんだから、そういう顔してっとマイナスだよ」
 声を発てずに笑うシーア。そして手の甲で唇に差していた紅を拭った。
「おれが孤児だったっていうのは話したよな? 捨てられて死にかけてたおれを拾ってくれた奴……っていうか、まぁ養父がさ。おれを女として育てたんだよ。詳しくは割愛すっけど、いろいろ事情があってね」
 シーアが天井を見上げ、長く息を吐き出す。
「おれは自分が男だって自覚してたけど、女のフリしてる方がいろいろ都合良かったんだ。ガキの時からおれはずっと、おれを護ってくれる人がいなかった。だから女のフリしてた方が何かと便利だし、自分で動かなくても色気に騙された莫迦な男どもが助けてくれるだろ? ま、おれだっておれ自身を護る方法を身に付けたけどな。でも自分で動かず、護られてる方が楽できるじゃん?」
 彼方を見つめるような眼差しでいたかと思うと、シーアは目を伏せて顔を僅かに背けた。

「……おれは……一人で生きていく。これからもずっと、ずっと……一人で生きていく」

 “一人で生きていく”……か……。
 初めてこいつと出会った時にも言い放った言葉だ。俺にはシーアがこの言葉を口にする時、泣いているように感じられるのだ。なぜだか分からんが、その言葉を口にするたび、シーアは挫けそうな自分を鼓舞しているような、底の見えぬ泥沼に沈む自分に絶望して何もかも諦めてしまったかのような、そんな錯覚を抱いてしまう。
 俺、は……シーアとは……初めて会ったはず、だ。だが……なぜこういった印象をこやつに抱くのか。
 俺は……記憶を失う前の俺は、シーアを知っておったのか? いや、ならばカルザスとて覚えていなければおかしい。俺は俺としての自我に目覚めた時から、カルザスと体を共有しているのだから。
 分からん……なんなのだ、この既視感は?
「カルザスさん。あのさ……おれが女装してるって事……誰にも言わないでくれよな。男だってバレたら、仕事がしにくくなるんだ」
 肩口から零れてくる髪を押さえ、シーアは伏せ目がちに口を開く。
「……お願いだから……誰にも言わないでほしいの」
 女として振舞っている時の、ハスキー掛かった甘い声でシーアは言う。
「はい、わかりました。黙っておきます」
「ありがと。助かるわ」
 シーアが照れ笑いの表情を浮かべる。こうして見ておると、やはり男だとは思えんな。
「シーアさんに複雑な事情があるというのは分かりましたけど……」
「けど、何?」
 透き通った紫色の瞳の中に、カルザスの顔が映っている。
「あなたが自分の身を護る事ができる男性だとしても、相手は暗殺者です。女性より力はあると言ってもやはりあなたはただの詩人さんですし、危険である事には変わりないですよ」
 シーアの表情が強張る。むろん俺も呆れた。
「……不審者見たの、嘘だっておれ、言ったはずだよな?」
 一瞬にして素の口調に戻っているシーア。カルザスのあまりの呆けぶりに、化ける事を忘れてしまったのだろう。
 もはや怒りを通り越し、呆れ果てているに違いない。俺も似たようなものだ。再度忠告してやろうという気も起こらん。
「あんた、どうしておれにしつこく付き纏おうとする訳? まさか女のフリしてたおれに惚れちゃったの? 言っとくけど、さっきあんたに対して色目使ったのは、護衛をやめさせる口実だぜ」
 当たり前だ。いくら見目が良いとはいえ、男に迫られて嬉しいはずもない。女でもいらぬがな。
「どうして、と言われても困るのですが、シーアさんの事は好きですよ。もちろんおかしな意味じゃなく。そうですね……どう言えばいいのか。しいて言えば目の離せない子供みたいで心配なんです。保護者の気持ちです。はい」
 カルザスは肩を竦め、苦笑する。
「ふっ……あはは! ひでぇな、それ」
 シーアが目を細めて笑う。さきほどまでの警戒心や拒絶といった雰囲気が完全に失せておる。
「他人に好きだとか心配だとか言われたのって、随分久し振りだなぁ」
 シーアが目を細めてカルザスの肩に額を乗せる。口調は男に戻っておるくせに、なぜか仕種が女である事がやや気になるのだが。
「むず痒いけど……なんか嬉しいな。他人に心配してもらうのって」
「僕、人一倍心配性ですから」
 カルザスはただ突っ立ったまま、手も差し出さずにシーアの顔を見つめる。シーアが悪戯っぽい眼差しをカルザスに向けた。
「あははっ。なんかさ。カルザスさんとなら、少しくらい一緒に行動してもいいやって気になってきたよ。一日中監視ってのはちょっと勘弁してほしいけどね」
 顔を上げ、シーアは腰に手を当てる。そしてカルザスと視線が合うと、気恥ずかしそうに目を伏せた。どうしてそこで頬を染める必要がある?
「監視ではなく護衛ですってば。大丈夫です。ご期待に添えるよう、今度こそ必ずあの暗殺者を捕らえてみせますから」
 ひぐっと、シーアが頬を引き攣らせる。まだ……言うか……カルザスよ。
「……あんたさ……いい加減に人の話、ちゃんと聞く耳持てよな」
 暗殺者を見たというシーアの虚言は、カルザスの思い込みだという事を理解させるための、シーアの懸命の説明と俺の必死の説得は夜更けまで続いた。

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