砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


   エピローグ

 その日俺は、嘘を吐いて呼び出した友人をビルの屋上から突き落とした。
 俺は罪の意識と共に、胸が透くような、何とも言えない清々しさを覚える。
 ゆっくりと非常階段を降りながら、数日前から夢として見る、奇妙な出来事を思い出した。呼吸を整え、胸に手を当ててそれを思い起こす。
 人を殺したのは今回が初めてだ。初めてのはずだ。だが以前にも誰かをこうやって殺したような気がする。夢の中で俺は、何度も何度も誰かを殺していた。
 ビルの一階までやってきて、俺は今まで生きてきて、一度だって嗅いだ事のない大量の血の臭いにえづく。そして俺が突き落とした、あいつの死体を見て、うっと口元を押さえた。
「……お、お前が悪いんだ。お前が俺から、彼女を奪うから……」
 鼻や口、耳から大量の血を噴き出させ、割れた頭蓋骨からぶちまけられた脳漿。裂けた腹からはみ出す腸、その他の臓器。そして曲がるべき方向でない向きに曲がった手足。
 下はアスファルトだ。痛いと感じる間もなく、きっと即死だっただろう。苦しまずに死なせてやった事が、俺がお前に対する唯一の友情の証だ。
「なぁ、どうして俺の彼女を、お前は横取りするような真似をし……」
 俺の脳裏を誰かの姿がフラッシュバックする。白い肌で、銀色の髪で、紫の瞳で……。
 俺には外国人の知り合いなんていない。なのに頭の中で閃いたこいつに見覚えがある。こいつ……こいつは……夢で見たあいつだ。
「……アイセル……?」
 意味の分からない単語を、無意識に口走る俺。それがどういう意味を示しているのか、見当もつかない。なぜ、それを口にしたかも。俺の足元で死んでいる如月は、髪や肌の色は違うが、どことなく銀髪のそいつに似ている気がした。
「俺……は? 俺はまたあいつを……」
 あいつって誰だ? あいつ……アイセ、ル?
 ぼんやりとしたまま考えてもいない言葉を繰り返していると、突如凄まじい頭痛がして、俺は頭を抱えて蹲った。そして“無かったはずの記憶”が一気に蘇る。
 そうだ! 俺はまた“こいつ”を殺してしまったんだ! また……俺はまた、アイセルを……殺したんだ。
「うわあああぁぁぁ……ッ!」
 俺は発狂したかのように絶叫し、たった今降りてきたビルの非常階段を夢中で駆け上がる。何かから逃げるように。何かを求めるように。
 階段を駆け上がりながら、次々と俺の中に流れ込んでくる“過去に経験した”記憶。俺が生まれる前の、俺でなかった頃の、俺でない“俺たち”の記憶。
 幾度も繰り返される悪夢。いや、夢じゃない、現実だ。親友を何度も殺す俺は、そのたびに罪の意識に苦しみ、怯え、気が狂う。
 最初はただの逆恨みだった。あいつの真意を理解できずに、一人でいじけて、一人で拗ねて、そしてアイセルを天空都市から突き落としたんだ。俺の独りよがりだ。それは理解している。苦しんでいる。反省もしている。なのに……なのに俺は自らを傷付け切り刻み狂う過ちを、何度繰り返さねばならんのだ!

 マリスタが、魔導師の始祖が言っていた不死の呪いという言葉が脳裏に蘇る。その言葉の真意を、俺はようやく理解した。いや、とっくに理解していたのだ。だが転生するたび、 忘れるように仕向けられていたのだ! “始祖の力”に!
 不死であるがゆえに、永遠に幾度も繰り返される悔恨と苦痛の螺旋。親しい人や好きなものを奪われる、その悲しみ、苦しみ。
 不死であるのは魔導師の始祖の力のせいじゃない。“アレ”が不死なのだ。何をしても死なないのだ。力を持った者が始祖になるのではない。“アレ”が始祖であり、源であり、本体なのだ。だからマリスタは、何百年もの記録を書き留め、続く者たちに警告していたのだ。
 代々マリスタと名乗る別の入れ物に入った本体が、あるいは呪いの真意に気付いた何代目かのマリスタが、始祖を引き継ぐ者にそれを気付かせる警告として、救いを求めるために、我が身を救うために書いていたのだ。
 マリスタが天空都市に自分とアーネスを隔離していたのは、地上の者との関わりを避けるためでもある。だが本来の目的は、不死の呪いを自分、あるいは最後の魔導師であるアーネスの代で終わらせるためだったのだ!

 呪いの源、蟲! カブレア!

 今、蟲はマリスタであり、アーネスであり、俺である。始祖の力を引き継いだ者全てだ。全ての者が融合し、そして器がダメになれば、新しい器に憑依……いや、寄生して、それまでの知識や経験を融合させ、世界に適合する。
 永遠に生きる、死ぬ事のない蟲。魔導師の始祖となる者に、不死の呪いを与える“永久に生きしもの”!
 今、過去の全ての始祖たちの記憶が、俺の中に蘇る。苦渋に満ちた、呪いに犯された過去の俺たち。
 蟲は……魔導師の始祖は死にたいのだ。だがその意思を完遂する事なく、蟲は新たな犠牲者に寄生する。死にたいという器なる自らの意思とは無関係に。

 誰か頼む! 俺を苦しみから解放してくれ! 呪いから救ってくれ!
 屋上の手すりを乗り越え、俺は迷う事なく地上に見える友人に向かって床を強く蹴った。
 落ちる……。
 だが、これでいい。俺の呪いは、間もなく消える。俺は呪いから逃れられる。ただひと時だけ。
 ほんのひと時でよいのだ。この長い苦しみから俺を救ってくれ……。

 ドコカラトモナク蟲ノ羽音ガ聞コエル……逃レラレナイ、音ガ、運命ガ、永遠ニ……。

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