砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     2

 火だるまになって息絶えておるシスターを斜めに見やり、カルザスは袖口で鼻と口を押さえ、煙から喉を守る。
「誰が火なんか!」
 教会は何者かが放った火に包まれておった。
 消火など、もうとても追い付くような勢いではない。一刻も早くこの場を脱出せねば、俺たちもあのシスターの二の舞になってしまう。
「カルザスさんどうしよう! このままじゃ、シーアの墓が火に……」
「内庭に面した側からは、もう出られませんよ! 僕たちも逃げないとダメです!」
 炎に煽られながら、シーアは内庭のある方角をじっと見つめておる。非情なようだが、死した者より、生ある我が身が優先だろう!
「シーアさん! セムさんはここにいるでしょうっ!」
 カルザスが片方だけのシーアの耳飾りを弾く。炎が燃え盛る轟音の中で、硝子同士がぶつかり合い発する澄んだ音が微かに響いた。
 はっとした表情でカルザスを見るシーア。だがまだ迷いを捨て切れておらんようだ。
「あなたは“生きる”んでしょう! 彼女との、雪を見るという約束まで違えますか!」
 シーアが雷に打たれたように、慌てて首を振る。
「セムさんと一つずつ、大切にするって約束してましたよね? セムさんは約束通り片方をちゃんと持って行かれたじゃないですか。だったらシーアさんも失くさないようにしなくちゃいけません。ここで焼け死んだら、シーアさんは大嘘吐きですよ。僕、軽蔑します」
「うん、ごめん……」
 シーアが頷き、耳飾りに触れ、目を閉じる。次に瞼を開いた時には、決意がはっきりと見て取れた。ようやく踏ん切りがついたのだな。
「行きましょう」
 カルザスが促すと、シーアが黙って付いてきた。

「兄ちゃん!」
 炎の向こうから聞こえたジェレミーの声に、カルザスはとっさに身構える。
「こっち来て! こっちは火の勢いが甘いんだ!」
 この火は奴が放ったものかもしれんな。そのような者の言う事など信用できん。
 炎に煽られているせいか、それとも自らの罠に俺たちが嵌まった事が嬉しいのか、ジェレミーの表情が妙に愉快そうに見えてならない。言葉ではこちらを心配しているようだが、それも偽りのようにすら感じられる。
「床が崩れているのです。そちらから見えませんか? 外で落ち合いましょう!」
 カルザスがジェレミーに対し、嘘を口にしてシーアを見る。どうやらカルザスも俺と同意見のようだな。
 シーアと頷き合い、奴はジェレミーに背を向けるように身を翻した。
 カルザスは教会の正面扉へと向かう。その後をシーアが長衣の裾を摘まんで炎を飛び越える。よく考えればシーアが女装時も男装時も好んで身に着けるあのような丈の長いゆったりしたデザインの衣服、炎が燃え移りやすいであろうな。気を付けてやらねばならん。
「あれは……」
 炎に包まれた礼拝堂。そこに神父の姿が見えた。あの者はまだ炎に巻かれてはおらんようだ。
「神父! こっちから逃げてくれ!」
 シーアが神父に駆け寄り、声を掛ける。だが神父は静かに首を振った。
「わたしはここに残らなくてはならない」
「火がそこまで迫ってるんだぞ?」
「いいんだ。これはわたしとシスターが放った火なのだから」
 何だと? 神父の言葉に、シーアは喉を詰まらせる。
「神父様、一体どういう事なのですか?」
 カルザスが訝しげに神父を見つめ、問い詰める。自らの住まいであり、崇める神を祭る教会に火を放つなど、正常な精神状態ではないのかもしれん。
「……償い、だ。私とシスターの」
「償い……とは?」
 神父はシーアを見つめ、胸に手を当てて祈るような仕種をする。
「君らを欺いた……罪だ」
「欺くって……神父はおれとカルザスさんを匿ってくれただろ!」
「本来ならば、君らの首に手を掛けろと命じられていたのだよ。君らを陥れるために、虚言を口にした私は裁かれねばならない」
「……暗殺者組織に脅されているんですね?」
「その通りだ。君が暗殺者であった事も……聞いた。だが……元々彼女……シーアに相談され、全て知っておったのだよ」
 シーアが口元を押さえて息を飲む。眉を顰め、小さく首を振る。
 こうしている間にも、火の手は迫ってきておる。煙が礼拝堂に流れ込んできており、そのせいか喉と目が痛む。
「罪は消えない。だが、悔い改める事はできる。生きなさい。それが彼女の望みだから」
「シーアの……望み?」
「二度と過ちを犯してはならないよ。彼女が悲しむからね」
 カルザスがシーアの肩に手を置く。シーアはカルザスの方を向き、泣き出しそうな表情で頷いた。
「君と所縁《ゆかり》のあった者、シーアと所縁のあった者、全て彼らの手の内にあると思いなさい……さぁ、気をつけて。君の未来に幸あらん事を」
「神父はどうしておれにそれを教えてくれるの? おれは暗殺者で……神父たちを脅した奴らと同じなのに」
「君はもう彼らの仲間ではない。シーアの告白と相談に、暗殺者を辞めさせて二人でウラウローを出なさいと助言を与えたのは私だ。そして忠告したのは君とシーアの愛情は本物だったからだ。それを引き裂いた彼らを……私も許せないのだよ」
「シーアさん、崩れます」
 カルザスがシーアの腕を引いた。
「もう一度言おう。シーアの願いだ。生きなさい、レニー」
 レニー? シーアの事か? シーア・ティリの本名は、レニー・ティリだと言うのか?
 神父の頭上にあった天井が崩れた。カルザスとシーアはとっさに背後へと跳ぶ。
「神父!」
 炎の中へ飛び出そうとしたシーアの腕を、カルザスは力任せに引いた。
「神父! あんたが死んだらおれは誰を頼ればいいんだよ! シーアが信頼したあんたの事、おれは……っ!」
「ここが崩れたら、あなたも命を落としますよ!」
 カルザスが叫ぶと、シーアは強く唇を噛み、重く項垂れた。
「……神父……あっちでシーアを頼むよ。おれはすぐには行けないから」
 熱気と煙の地獄。その唯一の脱出口は、たった今崩れた壁の一角だけだ。
 シーアは顔を上げ、自らの頬をぱちんと叩く。
「ここを出て一旦身を隠そう。きっとあいつらはいる」
「そうですね。そうしましょう」
 カルザスはシーアの腕を掴んだまま、熱く焼けた床を走った。

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