砂の棺 白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。 傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。 この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、 彼らは運命に翻弄されゆく。 |
3 「……ごめん、カルザスさん!」 シーアが暗殺者の斬撃を、身を捻って交わし、同時に背に肘打ちを入れた。前のめりになったその者の顔面に、反動を付けた膝蹴りを食らわせる。あの暗殺者、間違いなく鼻を折っただろう。 あの一連の行動は、条件反射的なものだとは思うが、相手が相手なだけに手加減なしだな、シーアの奴め。 「今回は見逃します」 相手が一人ならば、暗殺者といえどカルザスの実力ならば相応に戦える。先ほどで実証済みだ。だが同時に七人はさすがに辛い。 奴らのターゲットはシーアだ。多くは奴に攻撃を仕掛けてくる。カルザスはそれを防衛してやっているのだが、機動力と数に気圧されてしまっておるのだ。 防衛の手が及ばぬところへ、シーアへの容赦ない攻撃が迫り、シーアはそれを自力で防いだ。 奴の手を煩わせてはいかんのだが……仕方あるまい。このまま乱戦が続けば、カルザスにとってもシーアにとっても、事態が好転する事はまず有り得ない。 「……態勢を整えた方が……」 「そうですね」 シーアが足元の砂を掴み、暗殺者たちに向かって投げ付ける。とっさの目晦ましなのだろう。カルザスはシーアの腕を引き、スラムの住居が密集した方面へと駆け出した。 「おれが案内するよ!」 「お願いします」 ラクアで育ったシーアが案内を買って出たのだ。この上なく頼りになる。だが、あの暗殺者たちもこの町を根城にしている者なのだ。状況はあまり変わらんだろうな。 「どこかでやり過ごせますか?」 「えっと……」 シーアは振り返り、追っ手の姿を確認する。 カルザスには追っ手の姿は見えんが、シーアには見えておるのだろう。このような長剣が使えん狭い場所に入り込んでしまった以上、シーアの案内だけが頼りだな。 「あっ」 前方の住居のドアが開く。そこから一人の男が顔を覗かせた。まだ少年といえるような年齢の若者だ。酒場から逃げる時にも救われたあの少年だ。 「こっちきて!」 シーアがカルザスの指示を仰ごうというのか、不安げな表情で振り返る。 「捕まるよっ?」 少年が手を差し出す。 「大丈夫です、シーアさん。僕がいます」 カルザスはシーアの腕を掴み、少年の手招きする住居へと入った。 「地下に抜け道があるんだ。付いて来て」 「お願いします」 少年がくたびれたボロ布をめくると、地下への階段が姿を現した。 「罠かもしれない。だって何者なのか分からないんだよ?」 シーアの疑惑に、少年は困ったように眉を寄せる。愛嬌のある顔立ちだが、俺やカルザス、そしてシーアも見覚えのない者だ。 「オレの言う事信用しなって。二人だけで逃げ切れると思ってるの? 追って来るの、暗殺者だろ?」 「シーアさん、行きましょう」 カルザスはシーアを促した。 「……う、うん……カルザスさんが言うなら……行くよ」 少年に先導され、カルザスとシーアは地下へと潜った。 あらかじめ準備してあったのか、蝋燭に火を灯して階段を降りる奴の後ろ姿を追う。隙だらけの背中だ。 この少年も暗殺者の仲間なのかと思ったが、もし仮にそうだとすれば、このような隙だらけの背を見せるはずがない。だがそれが逆に怪しいとさえ思える。何を信じればいいのか、何を疑えばいいのか、皆、疑心暗鬼になっておるな。 「……お前は誰?」 シーアが少年の背に問い掛ける。 「覚えてないんだ。オレ、兄ちゃん見た時すぐに分かったのにな」 男装していても黙っておればシーアは女に見える。そんなシーアに対し、兄ちゃんなどと口走った少年。それはシーアが男であると知っている証拠だ。 「あなたはシーアさんのお知り合い……なんですか?」 「へぇ。今はシーア姉ちゃんの名前使ってるんだ。昔は女の格好してても普通に自分の名前言ってたのに」 シーアの過去を知っており、そして本名すら知っているという事は、以前シーアがラクアにおった時にも見知っていた者だという事だ。セムの事も知っておるようだが、一体何者なのか、俺には見当もつかん。 ふいにシーアが考え込むように小首を傾げた。そして何か思い出したのか、少年に向かって控えめな問い掛け。 「……ジェレミー?」 「当たり。ようやく思い出した?」 シーアが口許を抑え、息を飲む。 「シーアさん。彼はジェレミーさんと仰るんですか?」 こくりと頷き、シーアが表情を綻ばせる。 「シーアの弟だよ。弟っていうか、町の入り口に捨てられてたジェレミーを、シーアが見つけて、そのまま孤児院に引き取られてさ。シーアとは姉弟みたいに育てられてたんだ」 「兄ちゃんの秘密を知ってる数少ない協力者ってワケ。よろしくね、もう一人の兄ちゃん」 「はい、こちらこそよろしくお願いします。僕はカルザス・トーレムといいます」 シーアが暗殺者であると、当時知っていたのはセムだけではなかったのか。まさかあの娘に弟がいるなど、予想すらしなかったぞ。 ジェレミーはカルザスよりも若いのだろう。ころころとよく変わる愛嬌のある表情だが、骨格の太いしっかりした体格だけを見れば、カルザスと比較してもさほど見劣りはせん。力はありそうだ。 「よくおれが、ラクアに戻ってるって気付いたな。ジェレミー?」 シーアが親しげにジェレミーの頭を撫でる。セムの弟ならば、シーアにとっても弟同然だ。この少年もシーアと仲が良かったのだろう。シーアの態度からそれがよく分かる。 「神父様が、兄ちゃんが来たって教えてくれたんだ」 「ジェレミーもあの教会に通ってるのか?」 ジェレミーが蝋燭の炎を手で翳し、風除けを作る。 「姉ちゃんの墓参りだよ。放ったらかしにしてたら、姉ちゃん寂しがるからね」 ジェレミーの言葉を聞き、シーアの表情に翳りが落ちる。それに気付いたジェレミーが、シーアの肩を強く押した。 「兄ちゃんは大人なんだから泣くなよ? オレが兄ちゃんの分まで、毎日墓参りしといてやったからさ」 「……うん。ありがと」 苦笑し、シーアはジェレミーに力無く微笑み掛ける。 「泣きはしないよ。大丈夫」 シーアが目を細めて蝋燭の炎を見つめた。 「ジェレミー、おれはカルザスさんとウラウローを出る事になったんだ。シーアとの約束を果たすためにね。だから早くラクアを出たいんだけど……」 「そうなの? どこ行く気?」 「北だよ。一緒に雪を見ようって、シーアと約束してたんだ。それを果たすつもりだ」 ジェレミーが低い天井を見上げ、眉をしかめる。 「んー、今晩はマズイんじゃないかなぁ。暗殺者があっちこっちウロウロしてたし。一晩やり過ごせばいいよ」 「ずっとここに潜っているのですか?」 蝋燭の明かりが届く範囲は狭いが、声の反響から察するに、この地下の通路は結構な大きさだ。地下にこれほど大掛かりな通路があるとはな。 砂漠の砂は細かくさらさらと流れる。ゆえに地下に部屋などを作るには、しっかりと骨組みを作った上で、天井や壁を隙間なく石で敷き詰めなければならない。その工事は難しく、こんな寂れたラクアの町に、地下の空間を作る事ができる技術者がいるとは思えなかった。 逃げる先、要所要所でタイミングよく現れたジェレミーにしても、セムの弟だからと言えど、油断できん相手だ。 「酒場から逃げる時も言ったよね。神父様に話してあるから、そこで匿ってもらいなよ」 「ジェレミーは……どうしておれたちを助けてくれるんだ?」 シーアは相手が顔馴染みという事で、さほど警戒はしておらんようだが、せめて俺だけでも奴の行動には目を光らせておいた方がいいやもしれん。 「兄ちゃんは姉ちゃんの彼氏だもん。それにオレが熱出した時も、わざわざ高い薬買ってきてくれた恩人だしね。あの孤児院じゃ、薬なんて買えなかったよ」 「なるほど。シーアさんって、本当に子供好きだったんですねぇ……」 「おれが嘘言ってると思ってた訳、あんたは?」 シーアがカルザスを睨むと、ジェレミーが顔を背けて含み笑いした。 「ジェレミー、お前ね。そうやっておれを笑ってられるのは今の内だけだぞ」 「ごめんってば。あ、そこだよ」 ジェレミーが通路の先を指差す。 「そこに梯子があるんだ。上は教会の裏側の家に通じてる。オレが先に行って、兄ちゃんたちが来たって神父様に声掛けとくよ」 「神父ならおれも知ってるんだぞ?」 「念の為だよ。出た瞬間、暗殺者が先回りしてたら困るだろ?」 ジェレミーが蝋燭をその場に置き、縄梯子を昇ってゆく。無防備な背中を、カルザスとシーアは無言で見送った。 「まさに、地獄に仏ですねぇ」 呑気に呟いたカルザスに対し、シーアは腕組みして顔をこちらへ向ける。 「……カルザスさんはジェレミーを信用できるの?」 「形の上では僕らは彼に二度も助けられたじゃないですか。ここは素直に感謝しましょう」 随分と奥歯に何かが挟まったような物言いだな。カルザスもあの少年を全面的には信用しておらんという事だろう。 「これも罠かもしれないよ?」 「広い場所に出れば、剣が使えます。僕はシーアさんを護ってあげられますから」 かちゃりと剣の柄を鳴らすカルザスの言葉に、シーアは生返事をする。何を考えておるのか、揺れる蝋燭の炎をじっと見つめておる。 沈黙に耐えられなかったのか、それとも好奇心が疼いたのか、静寂を破ったのはカルザスだった。 「そのぅ……言いたくないなら結構ですけど……シーアさんはお子さんがお好きなのですよね? なら、どうして孤児院の罪のない子供たちまで?」 「……分からない……先生の喉を切り裂いて……血を浴びて……それからおれはおれじゃなくなっていた。おれの中のもう一人のおれは、血に飢えてたのかもしれない」 怒りに任せてホセを殺害した後、もう一人のシーアが出てきてしまったのだろう。残虐無比な白き悪魔がな。 おびただしい返り血を浴び、皮膚や臓腑を抉りながら狂喜の笑みを浮かべておる姿を想像してしまい、俺は胸が悪くなった。 「……生きるべき……だったのに……」 「それ以上ご自分を責めるなら、僕、怒りますからね」 塞ぎこむシーアに、カルザスの声は聞こえておらんようだった。 |
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