砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     2

 歌うという行為、つまり詩人という仕事が本当に好きなのだろう。シーアは柔らかな笑みを浮かべながら美しい旋律を紡ぎ出している。
 だがあまり長居するのは良くない。いつ組織の息の者に見つかるかも知れんからな。
 ──そろそろやめさせた方が良かろう。
「そうですねぇ……まだ三曲しかって思いますけど、あんまり長居はマズイかもしれないですねぇ」
 日が落ちると共に雨がやんでしまったせいか、裏通りにあるこの寂れた酒場にも客が入ってきたのだ。シーアの容姿と歌に誘われて店にやって来た者もいるだろう。そしてその中に暗殺者が紛れていないとは限らない。
 カルザスはシーアに手を挙げて合図するが、シーアは気付いているのか故意に無視しているのか、ハープを爪弾く手を止めようとしない。
「気持ちよく歌われているのにやめろって言うのも酷ですけど……仕方ないですよね」
 カルザスは席を立ち、他の座席より一段高くなっておるステージの傍へ寄る。ようやく諦めたのだろう。シーアがハープの弦に滑らせていた指を止める。
「そろそろ終わりにしませんと……」
「そうね」
 ローブの裾を摘まんでステージから降り、カウンターの向こうにいるマスターに声を掛ける。
「ごめんなさい、マスター。申し訳ないんだけど、明日早いからもう帰ります。急に歌わせてほしいなんて無理言ってしまって本当に悪かったわ」
「いやいや。こっちこそ、姐さんみたいな別嬪の詩人ならいつでも歓迎さ。いい看板になるしな。どうだい、あともう一節だけでも?」
「悪いんだけど……」
 シーアが断ると、マスターは心底残念そうな顔をし、奥を指差す。
「そうか。じゃあ仕方ないね。奥で女房が金を払うから、そのまま裏口から出ていってくれ」
「ええ、ありがとう」
 シーアが振り返り、カルザスを手招きする。
「お待たせ」
「はい。それじゃ帰りましょう」
 カウンター横のドアを開き、カルザスとシーアは店の奥へと向かう。
「満足はされないでしょうけど、お客さんが増えてきましたからね」
「うん。そろそろかなって思ってたわ」
 ランプ一つない薄暗い廊下だが、店の方から漏れる明かりと壁際に据えられた手摺りを辿れば歩行に問題はない。
「ラクアで歌えると思ってなかったから、私はこれで充分よ。きっと“彼女”にも届いたと思うし」
 ふと、シーアがカルザスの袖を掴んでくる。
「あ、あちらの方でしょうか」
 前方の暗がりに弱々しいランプの火が見える。はっきりとは分からんが、人影もある。おそらくマスターの女房なのだろう。
「……ね、カルザスさん」
「どうかしましたか?」
 シーアが掴む袖が、くいくいと引かれる。引き止めようとでもしておるのか?
「カルザスさんは、極近距離戦はどうなの?」
「は?」
 突然何を言い出すのやら。
「それじゃ、ええと……跳躍ってどのくらいできる?」
「一体何をおっしゃっているのか分からないんですが……シーアさん?」
「……見つかった」
 見つかったとは一体……まさか暗殺者か!
「おれ、上の天窓から手を伸ばすから、あんたはすぐ這い上がってくれ」
 シーアがローブの裾を掴んで跳躍し、壁を蹴って天窓にぶら下がった。そのまま反動を付けて天窓を蹴り上げる。
「御大《おんだい》が気付いた!」
 ランプの傍にいた人影が鋭く声を挙げた刹那、殺気めいたものがカルザスに突き刺さり、今まで気配すら感じなかった大人数が周囲を取り囲む。周囲といっても狭い通路だ。前後だけだが。
 なるほど“御大”か……古い言い回しだが、集団の長の事を指す。首領、つまり“暗殺者の頭目代行”の事であり、シーアの事だ。
「手を!」
 シーアの声がして、開け放たれた天窓からシーアが身を乗り出しているのが分かった。だが、とてもではないが、あのような場所に跳躍できる訳がない。カルザスは、シーアのような人間離れした見の軽さなど持ち合わせておらんのだ。
「む、無理言わないでください!」
 暗がりで刃物を翳して突進してくる暗殺者をかわし、カルザスは唇を噛む。
 カルザスの判断ミスだな。いや、俺とシーアも同罪だ。こうなってしまう事は予測できたのだ。だがそれでもシーアを公共の場へと導き出してしまった。こうなってしまっては、戦う以外の選択肢はないだろう。
「軽業は得意じゃないんですけどね……」
 カルザスは舌打ちし、充分に膝を曲げて思い切り天窓に向かって跳んだ。
「あっ……」
 何とかシーアの腕を掴めたが、奴の腕力ではカルザスを引き上げる事などできんだろう。
 シーアはその細身の体の通り、身の軽さはとんでもなく優れておるが、腕力は同年代の者と比べて、かなり見劣りする。カルザスのように、一見して無駄な肉は付いておらんものの、しっかりと鍛えた筋肉を持つ男を腕一本で引き上げられる腕力はない。
「両手っ……掴めたら自力で上がれます!」
 もう片方の腕を伸ばすが、バランスが悪くシーアの腕も天窓の桟も掴めない。
「やっぱおれの力じゃダメかも……」
 シーアが両腕を伸ばそうとした刹那、別の腕がシーアの隣から伸びる。
 太さから言っても男の腕だろう。その腕が空を切っていたカルザスの手を掴み、シーアと共にカルザスの体を天窓の上へ引き上げた。
「あんたは……」
「後で説明するから、スラムに逃げて!」
 カルザスを助けたのはかなり若い男。まだ少年だ。俺はもちろん、カルザスにも見覚えはないようで、しかもシーアも途惑っておる。誰なのだ、この少年は?
「神父様、こっそり匿ってくれるから!」
「神父が?」
「うん。大丈夫だから任せて」
 シーアは小さく頷き、カルザスの腕を引いた。
「おれに付いてきて。先に行って、露払いしとくからさ」
「む、無理ですよ、シーアさんに付いていくなんて」
 カルザスの答えも待たずに、シーアが屋根の上を走り出す。
「オレも後から行くからね」
 少年はにこりと愛嬌のある顔立ちで笑い、シーアとは別方向に走り出す。少年も、シーアに負けず劣らず身軽なものだ。
「屋根の上を走るなんて、滅多にない経験ですよ……」
 カルザスはシーアの後を追うように、風によって巻き上げられて積もった砂に足を取られつつも、必死に屋根の上を疾走したのだった。

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