賃貸魔王城

茨と毒の沼地に囲まれた、漆黒の魔王城──そこに魔王はいなかった……!
一話完結型の、短編連作。
ブラックユーモア溢れるハイテンションギャグファンタジー開幕!

「すみません大家さん! 今月の家賃あと一週間待ってください!」
「パンと魔王様? パンを選ぶに決まっているじゃありませんか」
「魔王自ら勇者を接待してどうするよ!? アアッ!?」


 毒の沼地と茨の森に守られた、漆黒の魔王城。その一室で、城の主グレゴリー・サタニノス七世が、一心不乱で手の中の小さなからくりを操作していた。
「えいっ! えいっ! なんで?」
 手にした小さなからくりは、彼の正面にある別のからくりへと向けられている。
 映像を映し出す十四インチの小さな平面水晶は、先ほどからザーザーと砂嵐が表示されたままだ。
「そうだ! きっと電池が無くなっちゃったんだ!」
 グレゴリーは勢いよく立ち上がり──勢いよく座り込む。

「……はうぅぅ……急に立ち上がったから立ちくらみが……」

 引きこもりの売れない作家である彼の基本パラメーターは“虚弱体質”だった。
 ──大魔王だが。

 彼、グレゴリー・サタニノス七世は、魔族と魔物を統べる魔王の中の魔王、魔族の頂点に立つ真の魔の王だった。
 ボサボサ頭によれよれジャージ。魔の者らしい角や羽根も無ければ、悪役オーラも大物オーラもない。彫りの浅い顔付きは完全なるモブ顔。温厚でヘタレ気質で天然大ボケ。そしてなぜか人間界で、“賃貸物件”として貸し出されている魔王城に間借りし、売れない作家を|生業《なりわい》としている。
 大仰な造りの魔王城ではあるが、賃貸物件なのである。繰り返すが、「賃・貸・物・件」なのである。

 彼はベニヤ板のカラーボックスから、新品の単三電池──魔界の携帯用使い捨て動力供給素材である──を取り出し、手にした小さな機械──魔界的専門用語で“リモコン”と云う──の裏蓋をカパッと開く。辿々しい手付きで電池のプラスマイナスを確認してから新旧のそれを交換し、蓋を戻す事ももどかしく、再びリモコン上部の電波発信端子を、水晶の映像投写装置──魔界的専門用語で“テレビ”と云う──へ向ける。

 モニターは絶賛、砂嵐放映中のままだった。

「うわーん! 早くしないとドロシーちゃんに見つかっちゃう!」
「ドロシーに見つかるとマズいモンなのか?」
「うん。だってドロシーちゃんには秘密でこっそりレンタルしてきたんだもん。こんなの借りてきたなんてバレたら、きっとまた怒られちゃう」
 しょぼんと肩を落としたグレゴリーだが、ハッと何かに気付いて顔を上げる。
「わっ! 田中君、いつからそこにいたの!?」
 グレゴリーの背後で、南の魔王、田中武志はニヤニヤしながら彼を見つめていた。トレードマークの派手なアロハシャツはいつものハイビスカス柄ではなく、今日に限って般若柄だ。般若は恐ろしい顔でグレゴリーを見下ろしていた。
「ふっふっふ。いつもならここで『俺をその名で呼ぶんじゃねぇ』とツッコミ入れるところだが、今日は勘弁しといてやる。その代わり……」
 田中は下品な笑みを浮かべながら、逞しい腕をグレゴリーの貧弱ななで肩に回して引き寄せた。
「で、中身の映像は何かな? ほれ、白状しな。お前も男だもんなぁ?」
「えー、やだー。恥ずかしいよぅ」
 グレゴリーは頬を染めて、田中の腕の中で嫌々する。可愛い女子がすれば様になる仕草だが、いい歳ぶら下げた男の大魔王では可愛さの欠片もない。
「ドロシーには秘密にしといてやっから」
「……本当に? 誰にも言っちゃダメだよ? 僕と田中君だけの秘密にしておいてくれる?」
「してやるしてやる。俺様のお気に入りの和染アロハ賭けてもいいぜ?」
「うーん……アロハはいらないけど……」
 グレゴリーは躊躇いながら田中の腕を逃れて、のそのそとモニター横に放り出してあった箱を手にした。それを顔の横に掲げて、満面の笑みを浮かべる。
「えへ。このAVだよ! 僕のお気に入りの子が出てるんだ!」
「やっぱそうきたか!」
 田中はますます鼻息荒く、グレゴリーの手にする箱を凝視した。

 グレゴリーの手にした箱、レンタル用パッケージには──愛くるしい濡れた瞳で“ご褒美”をせがむクルクルカールの愛らしい──トイプードルがいた。その周囲にもチワワやヨークシャーテリア、パグ、ミニチュアダックスなどの、小柄で愛らしい子犬たちが猛烈に愛想と愛嬌を振りまいている、小型の幼犬特集のビデオのパッケージだった。
 田中、硬直。沈黙。そして──

「AVって“アニマルビデオ”の事かよッ!! アダルチーなオトナのムフフビデオじゃねぇのかよ!!」
 田中愛用のハリセンがグレゴリーの顔面にスマッシュヒットした。

「ってかコレ! DVDでもBDでもなくビデオテープかよ! デジタルな今の時代に超アナログってか!? しかもビデオはビデオでも、VHSですらないベータってどういう事だよ!? いや、むしろ今時ベータビデオを貸し出ししてくれるレンタル屋なんて、一体全体どこ探せばあるんだよ! 相当レアだな、をいッ!!」

「えーっと、田中君。ツッコミは一個ずつお願い。一度にたくさん言われても、ちょっと処理仕切れな……」
「黙ってツッコまれとけ、この大ボケ大魔王がッ!」
 田中はハリセンでグレゴリーを再び叩きのめし、返す手で裏拳ならぬ裏ハリセンを返した。いわゆる往復ハリセンビンタである。
「うわーん、田中君が酷いよー」
 グレゴリーはジャージのポケットから、愛するペット魔獣、魔ハムスターのケルベロス君を取り出し、すりすりと頬ずりした。
「えへへー。ケルベロス君の毛ってふっわふわー」
 愛するケルベロス君にすりすりすれば、たちどころに一分前の嫌な事を忘れる事ができる。それがグレゴリーという魔王だった。
「クソ魔ハムごと魔界に帰れ! この、出来損ないクソ大魔王がッ!」
 田中は唾を飛ばしながら地団太を踏んだ。

   ◇◆◇

「で、とりあえずお前は、ほんわか犬コロ映像の時代遅れなビデオテープがデッキから出てこなくなって困ってる、と?」
「うん。返却期日が今日だから、今日中にもう一回見たいなって。だから今日の夜までに返さないと、延滞料金取られちゃう」
 田中はビデオデッキの前でヤンキー座りをしたまま、はぁとため息を吐く。
「別に延滞料金なんかどうでもいいじゃん。むしろ借りパクしちまえよ。大魔王なんだし」
「ダメだよぉ! 無返却なんてしたらブラックリストに入れられて、今度からビデオ借りられなくなっちゃう。悪い事しちゃダメって、習わなかった?」

「魔族が悪い事するな、なんて習うか!! つか、しろよ! 悪事! むしろ、して然るべき立場だろうが、テメェ大魔王なんだし!」

 田中はギロリとグレゴリーを睨むが、グレゴリーは平然としている。
「えー……だってこのわんわん特集の次の、にゃんにゃん特集のAVも借りたいし……」
「この後に及んでまだアニマルビデオをAVとほざくか、この口は」
 田中はグレゴリーの頬を左右へと引っ張った。グレゴリーの唇がタラコになる。
「むーっ。田中君はAVの良さを分かってないよ。このヨークシャーテリアのポニーちゃんが、飼い主さんと初めてボールを追いかけっこするシーンなんて、涙無くして見られないよ? もう画面越しに撫でくり回したいほど可愛いもん!」
 熱く熱く語るグレゴリー。

「犬コロ見て涙流してどうするよ、大魔王のくせに!」
 グレゴリーは田中に詰め寄る。
「それ! それなの! ドロシーちゃん、僕がわんちゃん見てほわぁーんとしてたら、『大魔王として人間の飼う下等生物を見て微笑むなど威厳がございません』って、チーズブールでぶつんだよ。チーズブールって以外と痛いんだ。外側がフランスパンだから」
「俺はドロシーはどっちかってーと嫌な女の部類に入るが、その意見には全面的に賛成だな」
「うわぁん! 田中君なら分かってくれると思ってたのに! 僕の味方はケルベロス君だけだよ!」
 と、ケルベロス君に頬ずりするグレゴリー。
「……その味方に、頬の肉、食われてるぞ」
 ケルベロス君は、“新鮮なお肉”しか食べないグルメな魔ハムスターだった。新鮮なお肉には、飼い主であるグレゴリーも含まれ、基本、見境はなかった。

   ◇◆◇

「とりあえずね、もう時間的に余裕が無いから、一度返却に行って、もう一度レンタルしてこようと思うんだ。だからとにかくデッキからテープを取り出さないと」
 グレゴリーはデッキのテープ取り出し口の蓋を指先でパカパカ開いてみる。依然わんわん特集のAV=アニマルビデオが出てくる気配はない。
「ペンチで引っ張り出すとか?」
「テープを傷付けたら大変だから却下」
 田中はグレゴリーからリモコンを受け取り、イジェクトボタンを連打する。デッキはウンともスンとも反応しない。
「こりゃ完璧にリモコンがイカれてやがるな」
「どうしよう。どうやったらテープ取り出せるかな。ねぇ、何かいい解決策は思い浮かばない、田中君?」
「そりゃあここは魔王的に……」
 田中へデッキの天板へ指を掛けた。そのままおもむろに、デッキの天板を引き剥がした。

「あーッ!!」
「魔王的に力技でブッ壊す」

 魔王的も何も田中は、我が身に降り掛かる困難に対する打開策は、基本“力技”だった。
 天板が剥がされて物理的に破壊されたデッキの成れの果てを見て、グレゴリーは血の涙を迸らせた。

 ぐにゃぐにゃと、テープはデッキの内部部品、ヘッドやローラーに絡まっている。見事に完膚なきまでに──テープの無事な取り出しはもはや壊滅的だった。
「な、なんでこんなになっちゃってるの……?」
「なんでって、理由はデッキの老朽化か、テメェが無理な操作したとしか考えられねぇじゃねぇか」
 田中は延びて縮れたテープの一端を摘み上げる。

「そんな滅茶苦茶な事はしてないよ! ポニーちゃんが可愛くて何回も何十回も何百回も巻き戻して見たり、クオレ君が犬ガム噛み噛みする姿が可愛くて一コマ送りボタン連打で再生したり、フリルちゃんの犬衣装からはみ出たふりふり尻尾が……」

 まだまだ続くグレゴリーのわんわん愛らしさ談義を聞きながら、田中は横目で彼を睨んだ。
「まぁ、そこまでデッキとリモコンを酷使してりゃ、デッキやリモコンどころか、テープまで完璧にイカれて当然だわな」
「どうして僕だけ!?」
「理解しろよ、畜生狂いのクソ大魔王が」
 グレゴリーは涙目で田中の手を両腕で掴む。
「破損料金、どうしよう! 僕、レンタル屋さんの保証入ってない!」
「……じゃあこうしろよ」
 田中はグレゴリーのジャージのポケットからレンタル屋の会員証を取り出し、ペキッとへし折った。
「魔王的解決方法として、レンタル屋もろとも人間界を破壊する。そうすりゃ返却する必要はなくなる」
 田中が困難に対する打開策は、基本、力技である。(二回目)

「ダメーッ! だってレンタル屋さんのオーナーさん怖いもん!」
「ここの大家といい、レンタル屋のオーナーといい、テメェは大魔王のくせに何、人間ごときにガクブル怯えてんだよ! パラメーターカンストしてバグ数値なんだろ! 無敵なんだから滅ぼせよ! 世界征服しろよ! 人間界ごときよぉ!」
 歯軋りしながらグレゴリーを焚き付け、田中はぷるぷる震える指先を彼に突き付ける。しかしグレゴリーは──

「無理ーッ! だってレンタル屋さんのオーナーさんって、ここの大家さんの旦那さんなんだもん!」

「帰れーッ! マジで魔界に帰れ! もう人間と関わるな! 魔族の恥だ、テメェはッ!!」
 田中のハリセンフルスウィングは、グレゴリーの顎を見事に捕らえて彼をふっ飛ばした。

 その時ギッと扉が開き、グレゴリーは寝癖をぴょこっと跳ね上げて竦み上がる。
 扉の向こうには、ブロンドの巻き毛にボンテージ姿の、彼の秘書サキュバスであるドロシーが立っていた。
「お姿が見えないと思っていたら、こちらにいらっしゃったのですね。……あら、魔王様もいらしたのですか。目にゴミが入ってそれが視界を汚しているのかと思いましたわ」
「おいーっ! なんだその“ついで”みたいな言い方は! 俺様は仮にも魔お……」

「“ついでみたい”ではなく、“ついで“ (断言)ですが何か問題でも?」

 田中の発言が終わる前に、侮蔑を含んだ眼差しで、彼女は彼を扱き下ろす発言を平然と口にした。
 魔王と臣下? 立場に身分? なにそれ美味しいの?
 ドロシーはグレゴリーの側に落ちている箱に気付き、ピンヒールを鳴らして室内へと入ってきた。
「あっ……ドロシーちゃんこれは……その……」
「また下等動物のビデオを見ていらしたのですね?」
「……ごめんなさい……」
 ドロシーは小さく肩を竦めた。
「グレゴリー様の楽しみを奪ってしまっては、今後の活動の息抜きに支障が出ますわね。仕方ありません。許可します」
「ホント!? ドロシーちゃんありがとう!」
 グレゴリーはビデオのパッケージを抱いて満面の笑みを浮かべた。
「その代わり、私もグレゴリー様に許可いただきたい事があって、お捜ししておりましたの」
「僕に許可? なぁに?」
 ドロシーはボンテージの胸元から、かなり大きな付録付き雑誌を取り出した。
 彼女のボンテージは、何でも収納できる魔界特製異次元ボンテージなのである。
 グレゴリーと田中がドロシーの取り出した付録付き雑誌をしげしげと見る。表紙には、好々爺の笑みを浮かべた老人と、子供らしい愛らしい表情をした幼い少年の姿が。
「おい……これ……まさか……」
 先ほどまでの冷ややかな無表情から一転、ドロシーは熱っぽいアイドルに憧れる乙女のような表情になり、朱に染まった頬を押さえてその雑誌を見つめた。
「ええ! ディアゴガチムチティーニ編集“月刊・人間──老人と孫編”ですわ! 毎月付属する付録を組み立てて行くと、最終号では美老人と美少年の呪いのわら人形が完成しますの! 毎月一ピースずつパーツを組み立てるなんて、なんてマゾチックでエキサンティングなんでしょう! この私にMな気持ちを抱かせるなんて、ディアゴガチムチティーニ編集部は呪い殺したくなるほど、素晴らしい編集社ですわ! ああ、続刊が待ち遠しくてゾクゾクしましてよ! 早く次の号が欲しい!」
「なんだそりゃー!? なんつーマニアックな付録付き雑誌だよ! ターゲットは明らかにお前しかいねぇじゃん! 耄碌ジジイと鼻タレクソガキ見て、他の誰が喜ぶってんだよ!」
 田中はぷるぷる震える指でドロシーを指差す。ドロシーはその指に、ボンテージから取り出したポンデケージョを突き刺した。
 その行為に意味はない。あえて意味を後付けするとすれば、田中に直接指差される事を不快と考えているから、であろうか。

「なるほど! ドロシーちゃん、毎月その本が欲しいんだね?」
「分かってくださいます、グレゴリー様?」
「うん。僕も毎月AVをレンタルしていいなら、ドロシーちゃんの本も許しちゃうよ!」
「ありがとうございます、グレゴリー様」
 ドロシーは夢見る乙女の仕種で冊子を抱き締めた。
「ああっ! 最終号の六十八億二千六百四十三万九千二百七十五号まで毎月楽しみで仕方ありませんわ」
「ちょっと待てーッ!! そのあり得ないめちゃくちゃな発行数は何なんだ!? 一生掛かっても完成しねぇだろうが、その付録! むしろガチムチ編集部とやらは、完結させる気ねぇだろ!?」
 田中の指摘はもっともだが、魔族に年齢はあって無いようなものであり、六十八億年生きろと言われれば、おそらく生きる事ができる。ただし本屋がその頃まで店を続けていられるかは保証の限りではない。
 創刊号はドロシーの手元にあるので、六十八億二千六百四十三万九千二百七十五号の付録完成まで、残り六十八億二千六百四十三万九千二百七十四ヶ月である。
「いいえ、私、美老人と美少年のためなら、付録は必ず完成させてみせますわ! そして寝室に飾りますの。ああ、禍々しくて素敵……」
「部屋じゃなくて棺桶だろ!」
 うっとり恍惚の表情を浮かべるドロシーの耳に、もはや田中のツッコミは届かない。

「あっ!」
 おもむろにグレゴリーが声をあげた。
「ど、どうした?」
 グレゴリーはビデオのパッケージを持って、ふるふると肩を震わせている。
「グレゴリー様、いかがなさいました?」
「……っちゃっ……た……」
「は? 何だって?」
 グレゴリーは涙目で、壁の鳩時計ならぬコウモリ時計を指差して叫んだ。

「夜中の十二時過ぎちゃった! 延滞料金確定だよ! うわーん、延滞料の二百五十円が高いよぉー!」
「たった二百五十円ごときでギャンギャン喚くなーッ!」」

 ──一方その頃、レンタルビデオ店では、今まさにオーナーが延滞利用者のリストをチェックしていた。
「グレゴリー・サタニノスさん……確か前も“ほのぼのウサギ王国”ってビデオ、延滞してたっけなぁ……次からブラックリスト入れておくか」
 彼は一覧表のグレゴリーの名に、グリグリと赤い油性ペンで丸を付けた。

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