LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     2

 パチパチと小枝が焼けて弾ける音がする。フェリオがうっすらと目を開くと、焚き火から立ち昇る炎が見えた。炎はゆらゆらと揺らめいている。
 ゆっくり体を起こす。意識を失うように深く眠ったので、僅かながら体力が回復していた。
「起きたかい?」
 見知らぬ声に、思わず身を固くするフェリオ。
 焚き火の向こうに、見知らぬ女性がいた。軽鎧とマント、長い皮手袋とブーツで身を包んだ、勇ましい姿の女性。当然ながら孤児であるフェリオの知り合いではない。
「随分、用意周到な場所で倒れてたんだね。死んだらすぐ墓に入れてもらう気だったのかい?」
 女性は可笑しそうに笑いながら、焚き火に小枝を放り込んだ。
「死体にならなくて良かったね。あたしが通りかからなきゃ、あんたは死んでたよ。夜中に誰も寄り付かない墓地は、野宿には持ってこいだね。死に塗れた陰気な空気はちょっといただけないけどね」
 フェリオは緊張したまま、じっと女性を見つめる。
 大らかで男勝りな口調で話す彼女はつっと目を細め、自分の傍らに置いた荷物から、皮袋に入った水と干し肉を取り出した。それをフェリオの前へ放る。
「やるよ。食いな」
 どんなに望んでも得られないような、沢山の綺麗な水と厚切りの干し肉。フェリオはそろそろと慎重に手に取った。注意を逸らさないまま、水で喉を潤す。
 ほのかに甘く喉を潤す水。フェリオは歯止めが効かなくなり、一気に水を煽った。乾ききった喉に急速に水分を摂ったため、思わず咳き込む。しかし胸を叩いて水を胃に送り込んだあと、その勢いのまま、干し肉を噛みしめる。じっくり熟成された干し肉は固く、しかし旨味たっぷりで一口だけでも満足するほど美味だった。
「いい食べっぷりだね。何日ぶりの食事なんだい?」
「……二日、です」
 胃が満たされたためか、フェリオの緊張は緩んでいた。そして干し肉を齧りながら、もう一度彼女を見る。
「……兵士、ですか?」
「いや。ただ自衛のために武装してるだけ」
 フェリオはほっと胸を撫で下ろした。
 孤児狩りをする兵士に、毎日毎日、嫌というほど追いかけ回されているので、彼の中で兵士という者は、自分たちの自由を奪う悪魔だとしか思えなかったのだ。捕まって何をされるか想像するだけで、全身が震えてくる。
 礼を言おうと口を開いた瞬間、彼は今まで傍にいたはずのピオラがいない事に気付いた。
「ピオラ!」
 慌てて周囲を見渡す。
「ピオラ?」
「女の子。このくらいの……一緒にいた……」
 フェリオが説明すると、女性の表情が曇った。
「その子なら死んでたよ。あんたの腕の中でね」
 女性が指差す先には、こんもりと盛り上がった土があった。その下に何かが埋まっているのは明白だった。
 フェリオはその小山の前に這い寄り、両手をついて項垂れる。
「妹だったのかい?」
「……違います。でも一番の友達で、一人だけの家族だった」
 女性は彼の隣に膝をつき、片手を胸に置いて小さく祈る。フェリオは涙が出そうになったが、泣けなかった。涙まで涸れてしまったのだろうか。
「一緒に生きていこうって約束したのに」
「スラムの孤児で長く生きるのは難しいだろうね。今の世の中じゃ」
 女性は焚き火の傍に戻る。そして自分も革袋から水を煽った。
「あんた。名前は?」
「……フェリオ」
「フェリオか。あたしはマーシエだ。マーシエ・アイレンスター。人探しをしている」
 マーシエはそのまま黙って炎を見つめている。
 改めて彼女を観察してみると、かなり眉目秀麗な女性だと分かった。ただ、無骨な鎧が彼女の魅力を半減させている。
「……ピオラ、苦しそうでしたか?」
「いや。あんたの腕の中で安心しきった顔をしてたよ」
「……僕が守ってあげるって約束したのに」
 汚れた掌を握ったり開いたりしながら、彼は、彼女と手を繋いだ時の感触を思い出していた。小さく、柔らかな、愛くるしい自分だけの天使の手の感触を。
「いつまでも悔いてないで、前を向きな。その子が大事だったんなら、あんたはその子の分まで生きなきゃならない義務がある」
「ピオラのいない世界なんて……」
「あんたがしっかりしてりゃ、その子も生きられたとでも思ってるのかい? 無理だね。ガキのあんたなんかじゃ、他人を守る事なんてできやしない」
 冷たくあしらわれ、フェリオは俯いて黙り込んだ。マーシエに言われた事が、事実だと分かっていたのだ。

 ふいに、彼女は小首を傾げる。
「フェリオは孤児なんだよね?」
「そう、です。父さんも母さんも、戦で死にました」
 その答えに何か思う所があったのだろう。彼女は身を乗り出してきた。
「あんた、仕事をしてみる気はないかい?」
「仕事?」
 フェリオが興味を示したので、彼女は嬉しそうに目を細める。
「あたしはある人に頼まれて人を探してる。もしフェリオにやる気があるなら、あたしの仕事を手伝ってくれないか?」
 フェリオは少し考え、首を振った。
「友達がまだ三人いるんです。みんなきっと怖がってると思うから、早く戻らないと」
「そうかい。あたしはあんたならできると見込んだんだけどね。考えてもらえないだろうか?」
 なおも食い下がってくる彼女の言葉にフェリオは首を振り、体を強ばらせる。
「兵士は怖い……大人も……嫌いです……」
 そう告げた事で、彼女の機嫌を損ねてしまうのではないか。フェリオは怯えた視線を彼女の方へ向ける。正確には、彼女の腰に携えられた長剣に。
 その長剣が抜かれれば、きっと自分の命はない。自分には、抵抗する手段など、何もないのだから。
「あたしがそんなに怖いかい?」
 意外にも彼女は、彼の態度も言葉も気にしていないようだった。
「……少し。『怖くない』は嘘になるから、ホントの事、言います」
「正直だね。気に入った。ますますあんたに仕事を手伝わせたくなったよ」
 何を考えているのか分からない。だが微笑むマーシエに、彼は恐る恐る聞いてみた。
「何を手伝わせようとしてるんですか?」
「ある仕事さ。内容はここでは詳しく話せない。むしろ全てを聞いたら、断る事はできない。それでもやる気があるのなら、ぜひとも紹介してやりたいって思ったのさ」
 いくら考えようと、彼女の言う『仕事』はまるで想像できない。順序立てて思考に組み込む材料としての情報が乏しいのだ。
 兵士のような格好をした兵士でないマーシエ。人探しと仕事の手伝い。何を言わんとしているのか、フェリオにはまるで分からなかった。
 フェリオは決して利口ではない。しかし頭の回転は早かった。ゆえに、情報さえ揃っていれば、物事を正しく見極める事に長けていた。
「あたしの仕事を手伝ってくれたら、将来的にはスラムの孤児はいなくなる。いや、少なくなる。適切な施設が作られるはずだからね。そこへ保護されれば、食べ物の心配も兵士に連れ去られる危険もほとんどなくなると言えるだろう。そういうデカい仕事の手伝いをしてみたいと思わないかい?」
 フェリオはますます混乱した。
「すぐに答えを出せとは言わない。あたしの仕事の依頼を受けてくれたら、その残ってる友達とももう会えなくなるし、逃げる事もできなくなる。ただし暖かい寝床と食べ物は生涯保障できる。ただ、あんたとしての自由がなくなるだけだ」
「僕に兵士になれって言ってるんですか?」
「いや、違うよ。これ以上は詳しく話せないんだ」
 マーシエの亜麻色の髪が、炎で赤く焼けて見える。フェリオの短い灰褐色の髪も、炎に揺らめいていた。

 マーシエは荷物から小さな紙とペンを取り出し、何かを書き始める。そして思い出したように焚き火の向こうの貧弱な少年を見た。
「フェリオは字は読めたかい?」
「……少し。小さい頃に父さんから習った程度です」
 スラムの孤児は基本的に読み書きができるほどの教養を得られない。だが彼には、生前の両親がごく一般的な商売人であり、彼も多少の読み書きを習っていたのだった。
「へぇ、利口なんだね。じゃあ簡単に書くよ」
 サラサラとペン先を紙に滑らせ、マーシエはメモを取る。そしてその紙に何かを包んでフェリオに差し出してきた。
「二日間だ。明後日に返事を聞く。それまで考えておいてくれないか?」
「僕は……」
 すぐさま彼は断ろうとする。しかしマーシエは聞かないつもりなのか、言葉を続けた。
「あんたならできると踏んで、あたしは頼んでるんだ。よくよく前向きに考えてくれると嬉しいんだけどね。明後日の夜、あたしはもう一度ここに来る。その時返事を聞かせてもらう。嫌なら来なくていい。来たら仕事を受けてくれると判断するよ。いいね?」
 気弱な彼は強く断る事ができず、マーシエから受け取った紙に視線を落とした。
 紙包みを開くと、銀貨が三枚と、簡単な地図と文字があった。この場所の略地図と、彼女の名前。そして先ほどと同じ説明を記した紙。
「銀貨はあんたにあげる。施しじゃないし、あんたを金で釣ろうって気もないから、あんたの金だと思って自由に使えばいい。友達のためにパンを買ってもいいし、あんたが自分のために使ってもいい」
「……いいんですか? こんな大金」
「今夜、あんたに出会えた記念だよ」
 フェリオは生まれて初めて握る銀貨をじっと見つめる。
「じゃあ悪いけどあたしは先に休むよ。人探しで一日中歩き回って疲れてるんだ。明日の朝は黙って行くから、あんたも適当にどこへでも行けばいい。明後日の夜、もう一度会えるのを楽しみにしてるよ」
 そう言い捨て、マーシエはさっさと横になってしまった。フェリオは礼を言う機会を逃してしまい、ただ呆然と銀貨と紙を握り締めていた。

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