LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     3

 おぞましいオーベルの絶叫が消えるまで、フェリオは顔を背けていた。二人手を取り合わせる事ができなかった悔しい思いを胸に、だが、狂ったオーベルにようやく終わりの時がやってきて、ほっとしたのも嘘ではない。これから自分はどのようになるのか、それすらも今は、オーベルの絶叫の中に掻き消されてしまって考えられない。
「オーベル……王子?」
 フェリオは小声で問い掛ける。するとデスティンの剣が突き立った灰がそこにあるだけだった。血も肉も臓器もない。
 ようやく彼に終末が訪れ、灰となったのだ。
「フン……」
 デスティンは剣を払って灰を振り落とし、鞘に収める。しかしその横顔はどこか寂しそうだった。
「マーシエ、小僧、終わったぞ。魔術を使えないオーベルを倒す事など、赤子の手を捻るより簡単だった。マーシエ、礼を言う」
「ぐ……ふ、うぅ……」
 床に体を投げ出したまま、マーシエは小さく呻いている。
「マーシエさん、傷口が痛むんですか?」
 ゆっくりと顔を上げたマーシエの、髪の隙間から見える落ち窪んだ目を見て、フェリオは小さく息を飲んだ。
 彼女の顔や胴体も、急速に乾いていくように、灰になりつつあったのだ。
「……オーベル……死んだら……あたしも……?」
「屍操術……マーシエも死んでいたのか?」
 デスティンの呟いた言葉から、フェリオは『生きる死体』という言葉を思い出し、術者であるオーベルが死ねば、その影響下にあるマーシエにも異変が起こるという、彼らの一蓮托生ともいえる命の共有に思い至った。
 デスティンがオーベルを殺したが故に、マーシエにも死が訪れるのは必然だった。
「マーシエさん! 死んじゃイヤです!」
 フェリオはマーシエの体を揺さぶり、大きく首を振って彼女を抱き起こした。
「あたし……触ったら、汚れ、るよ? フェリオ」
「そんなの関係ないです! マーシエさん! マーシエさん!」
 半狂乱になって彼女の名を連呼し、フェリオは灰となって消えゆく彼女を必死に繋ぎとめようとする。
 凛々しかった彼女の目は落ち窪み、亜麻色の髪はみるみる白髪になってゆく。あの腐乱した腕と同じように、頬が、唇が変色してドロドロと溶けていく。
 自らの体が崩壊していくのが分かるのか、マーシエはフェリオの腕の中で顔を背けた。するとポトリと片方の眼球が床に落ちた。
「フェリオ……見ない、で……あたし、を……」
 女心がそう呟かせたのか。マーシエはフェリオを拒絶した。
 ただ彼女の名前を呼ぶ事しかできなかったフェリオは、涙で濡れた頬を片手でぐいと拭った。決意を固めたらしい。
「……マーシエさん、聞こえてますか? 僕の言葉、届いてますか?」
 彼女は答えない。その間にも、彼女の体の崩壊は進む。
 涙をぐっと飲み込み、フェリオは彼女への思いを朗々と口にした。
「僕は最後までマーシエさんに助けられっぱなしでした。マーシエさん、本当にありがとうございます。あの……マーシエさんの事、僕は大好きです。これからもずっと。ずーっと、僕が死ぬまで、僕はマーシエさんが好きです。尊敬してます。感謝してます。ありがとうございます。それから……」
 まだ言葉を続けようとしたが、感極まって、それ以上の言葉は出てこなかった。フェリオは彼女を抱く手に力を込める。
 するともう溶けてドロドロになったマーシエの唇が、僅かに動いて嗄れた声を絞り出した。
「……フェリオ……あたしの主君……あたしの……」
 落ち窪み、ドロリとした液を滴らせたマーシエの目が、小さく微笑んだように見える。そのまま彼女は溶けて灰になり、消えた。
 後に残ったのは彼女の灰と、身に付けていた軽鎧とブーツ、腐敗した腕を隠す長手袋だけだった。長手袋の中にはオーベルの腕だった灰だけが残っている。
「マーシエさん……」
 心にぽっかりと空いた穴は、彼女への感謝を伝えきれなかった事から来るものか、充分に彼女に伝えられたからくるものかは分からない。ただ、虚無感だけがフェリオの腕に、心に残った。
 フェリオに悔恨の意識が芽生える。彼女に伝えるべき最後の言葉はあれで良かったのだろうか? 今はもう、彼女の気持ちを知るすべはない。

「小僧。オーベルはオレが討ちとった。戦として、オレは勝者となった。だが……なんだろうな……この虚しい気持ちは」
 デスティンはポツリと洩らす。
「……デスティン王子。僕の言葉、もう一度考えてもらえませんか?」
「オーベルと手を取り合えという事か? しかしオーベルはオレが殺した。もういない」
 フェリオはゆっくりと立ち上がり、彼を見上げた。
「……影、である僕がいます」
 きっぱりと言い切ったフェリオに、デスティンはフンと鼻を鳴らした。
「孤児が生意気を言う。貴様も王位や金が目当てか?」
「王位やお金なんて僕は興味ありません。でも自分たちや国民の生活、この国の行く末には、僕が未来を向く権利はあると思っています。……僕の意見を言わせてください。僕はこの国に住む国民であり、もう一人のオーベル王子だったんですから」
 そう口にし、フェリオはデスティンを見上げる。
「僕がもういなくなってしまったオーベル王子の影をしようだなんて、すごくおこがましいし生意気だと思います。何もできない子供なのに大それた莫迦な事を言っていると思います。でも僕はピオラ……いえ、孤児たちやこの国の国民たちが本当の意味で開放される自由の国を望んでるんです。マーシエさんと一緒に夢見て望んだ世界を、僕の目で見てみたいです。お願いです。僕にオーベル王子の影を続けさせてもらえませんか? デスティン王子と一緒に、未来を作るお手伝いをさせてもらえませんか?」
 デスティンは剣を持っていない方の手で、強くフェリオの肩を掴んだ。そのまま彼の肩を握り潰すかのように力を込める。フェリオは歯を食いしばってその痛みに耐えた。
 フッとデスティンが唇の端を吊り上げる。その笑い方はオーベルにそっくりで、フェリオはこの時初めて、この眼の前にいる王子と、自分が影をしている王子が兄弟なのだと納得した。
「ほう、オレの力に耐えるか」
「僕を試してるんですよね? だったら僕は耐えます。僕の望んでる事は、こんな痛みよりもっと大変で苦しい事だから」
「分かってるじゃないか」
 デスティンは手を離し、そしてポンとフェリオの肩を押した。数歩たたらを踏み、崩れた体勢からの転倒を免れるフェリオ。
「……面白い。ではオレに、オーベルの影としての、真のお前の力や意志を見せてみろ。オレの政治に、そのひよっこの嘴を挟み、正しいやり方を示してみろ。オレが間違っているとほざくのならな」
「はい。そのつもりです」
 孤児だった少年はゆっくりと頷き、一人残った兄王子を見上げた。
「僕が全てを変えようだなんておこがましい事は言いません。でも僕が影の王になることで、少しでもピオラみたいなスラムの孤児がいなくなるなら、僕は進んで身を捧げます。苦しい事も辛い事も耐えてみせます。デスティン王子、僕と一緒に素晴らしい国を作ってください。マーシエさんとの約束を守らせてください」
「フッ。いいだろう。孤児だった奴がどこまでやれるか、一番近くで見ていてやる。マーシエの代わりにな。オレと新たな国を作るがいい、フェリオ」
 デスティンはフェリオを置いて、オーベルとマーシエの灰が残る部屋を出た。フェリオは二つの灰に小さく頭を下げ、灰の中からマーシエの手袋を拾い上げ、急いで彼を追って部屋を出た。

 彼は成長を続ける。これからも。

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