LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     2

 最初に口を開いたのはデスティンだった。
「体を奪われると知りながら、オーベルを庇う小僧の気が知れんな」
「奪われないですよ。オーベル王子はこの通りだし、僕に直接手出しはできません。オーベル王子が動くためには、自分のために動いてくれる他人が必要なんです」
「……マーシエか」
 嘲笑するように目を細めてマーシエを見るデスティン。その視線にさらされる居心地が悪いのか、彼女は顔を背けた。
「あたしはフェリオに手を挙げないよ。オーベルには恩義はあるけど、でもあたしはフェリオにも膝を折った。オーベルとフェリオ、二人があたしの主君である限り、あたしはどちらにも危害を加えるような命令は聞かない」
「なんだと? マーシエ、俺を裏切るのか?」
 台座の上のオーベルが、落ち窪んだ目でギョロリとマーシエを見上げる。
「裏切る裏切らないとかの問題じゃない。フェリオは正しい事をしようとしている。誰よりも真実を見抜いている。未来を見ている。素直な目でまっすぐ前を見ている。オーベル、あんたは自分がそんな体になっちまったから、だんだんおかしくなってるんだ。自覚してないんだろうけど……でもあたしはもう、あんたの狂った命令を忠実に守る事が苦しくなってたんだ。もう一度考え直してごらんよ」
 長手袋の上から腕をぎゅっと掴み、マーシエは唇を噛む。
「オーベル。もっと外の世界を見てみな。あんたはあたしやフェリオの目を通して、世界を見る義務がある。フェリオの言う通り、デスティンと共に世界を見る責務がある。あんたたちはこの国の王子なんだから」
 マーシエがオーベルを諭すものの、オーベルは彼女をじっと睨み付けている。

「マーシエ」
「ん? どうしたオーベル?」
 ふいにオーベルがマーシエを呼び、マーシエが彼の顔を覗きこんだ時だ。オーベルはすかさず魔術の呪文を唱えた。
「ああっ! うぐっ……!」
 悲鳴をあげて、彼女は膝から崩れるようにその場に倒れる。手をつく事もできなかったのか、石の床に激しくこめかみを打ち付け、血を滲ませる。
「どうしたんですか、マーシエさん!」
 フェリオが彼女に駆け寄ると、彼女は手にしていた剣を大きく振るった。とっさにデスティンが彼の腕を掴んで引き寄せたために無傷だったが、剣は着実にフェリオの首を狙っていた。
「どうして! 僕に危害は加えないんじゃなかったの?」
 思わずフェリオは涙声で、突然の彼女の行動を非難する。
「あたしじゃない! あたしじゃ……ああっ!」
 マーシエの腕が出鱈目に剣を振り回す。その様子は、まるで操られた剣にマーシエが振り回されているようだった。
「オーベル! 貴様か!」
 デスティンはマーシエの剣を空いた手の手甲で弾きながら彼を問い詰める。
「ハハハッ! 元は俺の腕なんだ。操るのは簡単さ」
「やめろオーベル! あたしにフェリオを傷付けさせないで!」
 マーシエは自分の意志で動かない腕に振り回されつつ、必死に動きを止めようと、体を左右に捩っている。しかし腕は言う事を利かない。
「マーシエさん!」
 悲痛な声で叫ぶフェリオ。マーシエは強く唇を噛み、何か決心するように歯を食いしばった。
「ぐっ……あうっ!」
 マーシエが振り下ろされた剣に、自らの足を貫かせる。彼女の腿はみるみるうちに赤く染まっていった。
「マーシエさん! マーシエさん!」
 フェリオはデスティンの手から逃れ、彼女に走り寄った。
「近寄らな……クッ!」
 マーシエは自らの膝を貫く剣をもう片方の足の膝で蹴り上げた。剣がマーシエの手を離れて部屋の隅に弾かれる。
「近付かないで! まだオーベルの手が……っ!」
 マーシエの双肩から伸びるオーベルの腕が、フェリオの首を締め上げた。
「わっ! ぐっ……」
「やめ……やめて! あたしにフェリオを傷付けさせないで! オーベル!」
 悲鳴染みた声を上げ、マーシエは瞳を涙で濡らす。
「デスティン! あたしの腕を……オーベルの腕を切り落として!」
「オーベル! 貴様!」
 剣を構えるデスティン。一呼吸置いて彼は、華麗な太刀筋でマーシエの両腕を斬り落とした。まるで過去の戦の再現だった。
 デスティンの剣によって斬り落とされた腕はビクビクと床を跳ね、動かなくなった。オーベルの魔力も、もうとっくに底を尽いており、たった今までマーシエの支配下にあった神経も切断されたからだ。
「うっ……あっ……ううっ……」
 両腕と腿の傷から全身を駆け巡る、あまりの激痛にマーシエの表情が歪む。
「マーシエさん」
「……ううっ……無事、かい? フェリオ……?」
「僕は大丈夫です。でもマーシエさんは……」
 両肩と片膝から大量の出血をしているマーシエに、フェリオは青い顔で寄り添う。マーシエは痛みを堪えるように呻き、首を持ち上げてオーベルを見つめていた。
「俺の言葉を聞かん奴はいらん。マーシエ、お前はもう用済みだ」
「オーベル……あんた……!」
 体に全く力が入ってないのか、フェリオに助け起こされているマーシエ。フェリオはきつく唇を噛んだ。
「マーシエさんの手を操ってまで、僕の体が欲しいんですか?」
「オーベル。貴様はどこまでマーシエを道具として利用する気なのだ!」
「俺の腕はもう腐って使い物にならなくなる寸前だった。そんな状態ではもう必要ないだろう? 最後にひと仕事してもらっただけだ。フェリオを殺すまでには至らんかったが」
 ククッとオーベルが笑う。その狂気染みた笑い方が、フェリオにたまらない恐ろしさを抱かせた。
 ぐっと、デスティンが剣を握る手に力を込めて歯ぎしりする。
「貴様、マーシエの腕は、貴様の玩具ではないのだぞ! 確かに斬り取ったのはオレだが、付けたり操ったり、貴様のやっている事はマーシエに対する冒涜だ!」
「なら俺を斬るか? 斬ればマーシエにまた新たな腕を与える事もできんぞ」
「それが、マーシエを玩具にしているというのだ!」
「あんたの世話にはもうならない! オーベル!」
 痛みを堪えてマーシエが叫び、デスティンが剣先を彼に突き付けた。フェリオはマーシエの上体を助け起こしながら、二人の動向をただただ見守る。
「殺せるものなら殺してみろ。俺が呪文を唱える方が早い」
 台座の上のオーベルが笑う。デスティンは今にも剣を振り下ろそうとしている。緊迫した空気に、フェリオは言葉を失っていた。
 どうすればこの状況を打破できるのか。フェリオは必死に知恵を絞る。

「クッ……オーベルゥッ!」
 マーシエは憎々しげに唸り、最後の力を振り絞るべく、両腕を失った我が身を投げ出し、フェリオから押し離れる。そして台座に立てかけられたオーベルのメイジスタッフを遠くまで蹴り飛ばした。
 彼女の真意を瞬時に理解したフェリオはメイジスタッフを拾い上げ、オーベルから隠すように背後に腕を回し、しっかりと握り締める。
「マーシエ! フェリオ! 貴様ら!」
 メイジスタッフが側にないと魔術が使えないらしく、途端にオーベルが焦り出す。
「オーベル! マーシエの言う通り、お前は正気を失っている! そんな者と手を取り合うなどできん! 成敗してくれる!」
 言うが早いか、デスティンはオーベルの頭部に剣を突き立てた。そしてそのまま剣を横薙ぎに、首から下の臓器を抉り取るように剣を振るった。

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