LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     2

「今のオーベルは狂ってる」
 いきなりそう切り出したマーシエは、苦々しいものを吐き出すような雰囲気だった。
「いや、昔からだったような気もする」
「どういう事ですか?」
 狂っていると言われても、いまいちピンとこない。あの姿の強烈なインパクトのせいで、オーベル自身の印象が薄いと言われればそれまでなのだが。
「オーベルは昔から頭が良くて、魔術の勉強に没頭すれば、寝食を忘れるほどだった」
 何も見ずに、マーシエの腕の腐敗を遅延させる薬の作り方を指示できるという事から、それは容易に察しできるし、あの調合の複雑な手順を、そして薬の置き場所を、全て覚えている事からも、彼の知能の高さは充分理解できた。
「アスレイ師の手ほどきを受けて、めきめき魔術の知識を得て、先の戦が起こる前には、アスレイ師を凌ぐほどの力と知識を身に付けていた。そして出会うべくして、出会ったんだ。屍操術という、闇の魔術に」
 屍操術──死体を操り、そして死者の体を生者の肉体として動かす事ができる。
 フェリオには聞きかじり程度の知識しかないが、それがどんなに高等で難しい術なのかは、マーシエやオーベルを見ていれば嫌でも分かる。死者そのものと、こうして会話しているのだから。
「だけど屍操術に没頭するにつれ、研究用の材料が手に入れにくくなってきた。分かるかい? 研究に使う、死体を調達しづらくなってきたのさ」
 はっとフェリオは息を呑む。
「最初はスラムの墓を掘り返して死体を調達していた。けどデスティンの目を掻い潜って死体を調達するのも難しくなってね。デスティンは荒っぽく乱暴だが、自分の思想にまっすぐで、曲がった事が嫌いだったんだ。だから死体を弄び、冒涜するオーベルとは、その頃からたびたび言い争いをするようになっていた。それからしばらくしてさ。国王が逝去し、覇権争いの戦が勃発したのは」
 フェリオは思い出したようにマーシエに椅子を勧め、自分はベッドの端に座る。
「デスティンだって、オーベルのその趣向や悪癖を声高らかに宣言すれば良かったんだ。なのにあの莫迦は、正面切って剣で決着をつけようとぶつかってきた。もともと口下手なのもあるだろうけど、民に何も語らず知らせず、剣こそ、力こそ全てだと、その拳を掲げたんだ。そうして、力のデスティン、知恵のオーベルという、現在のふたつの勢力が出来上がった」
 そこまで言い、マーシエは深くため息を吐いた。
「あたしは妾腹の娘で、だけど騎士として城仕えもしていたから、全てを傍で見ていた。その時、口に出して言えば良かったんだ。なのにしなかった。だからあたしにも、今回と先の戦の原因はある。だけど言いたくても言えなかったんだよ。正式な姫でもない妾腹の娘に、王子たちに対して発言する権利はなかったんだ」
 ぐっとマーシエが手袋の上から腕を掴む。
「デスティンに楯突いたあたしは、両の腕を斬られて殺されそうになったんだ。あたしはその時、オーベルに近い位置にいたから、腹違いとはいえ、妹としてより、敵として見なされたんだろうよ」
 悔しそうにマーシエが唇を噛む。
「デスティンにとって、敵となるなら弟も妹も関係ないって事だったんだろうね。腕を落とした事でデスティンは去り、後から来たオーベルに、あたしは彼の両腕をもらった。だからあたしは命を助けてもらったオーベルに膝を折ったんだ。どこまでもオーベルに付いていくつもりで」
 マーシエがオーベルに心酔する理由はようやく理解できた。確かに、殺されそうになった相手と、自らの腕を譲ってもらった相手では、騎士としての忠誠を掲げる相手は容易に決定付けられる。
 しかしここまで聞いても、フェリオには何故か、マーシエの言葉にまだ隠されたものがあるような気がしてならなかった。
「オーベルはあたしに腕をくれた時、すでにデスティンに一太刀もらっていてね。自分の命も危うかったから、自分自身にまず屍操術を施して、死体の体を得たんだ。そしてあたしに両腕を譲った後、腐り落ちた胴体も捨てて、今のあの姿になった」
「オーベル王子の事は分かりました。でも狂っているっていうのは?」
「ああ、それだけど……」
 マーシエが不安げな表情で一度だけ扉を見た。ジョアンが戻って来る事を気にしている様子だった。
「魔術や屍操術に没頭しているオーベルの姿は、もともと鬼気迫るものがあったけどね。あの姿になって……あたしが彼の手足となって動いている状態になって、ようやくあたしも異変に気付いたんだ。あの姿になってから、思考が狂気染みてきてるって」
 マーシエが少し声を小さくひそめる。
「確かに死体を弄ぶなんてマトモな神経をしていない。けど、フェリオの体を奪おうなんて……生きている人間の体を殺してでも奪おうなんて、以前のオーベルじゃ決して言わなかったと思うんだ。それくらいの分別くらいできたはずだ。あたしの憶測だけど、自分で動けなくなった苛立ちやストレスで、オーベルは狂ってきてるのかもしれない」
 そこまで一息で言い切り、マーシエはじっとフェリオを見つめた。
「あたしはオーベルに恩義を感じてる。だけどその感情すら、最近は自分で疑い始めてる。オーベルが狂ったような発言をして、そしてあたし自身、オーベルは変わったと感じているから。そしてフェリオ、あんたの存在があたしの中で大きくなってきてるから」
 ぽっとフェリオの顔が熱くなる。マーシエは口調や行動こそやや荒っぽいが、目鼻立ちは整った器量のいい女性なのだ。気があるような事を言われて、気にするなという方が無理だ。
「あの日からあたしはオーベルに会ってない。そろそろ腕の防腐のための薬剤をもらわなきゃいけないんだけど、あいつに会うのが怖くなったんだ。今日はどんな無理難題を言われるんだろう、いつフェリオを殺せと命じられるんだろうってね。あたしは……今のあたしは、オーベルよりあんたを主君としたい。これがあたしの出した結論だ」
 彼女の言葉に熱を感じ、フェリオは膝の上で拳を作った。
 少し考え、躊躇い、彼女の言葉を胸の中で反芻する。
「本当にもう……僕を殺そうとしませんか?」
「騎士がメイドに指示されて剣を渡すって意味、あんたも分かってるんだろう?」
 すうっと大きく息を吸い、ほのかな香水と腐敗の香りを感じた。そしてゆっくり息を吐き出し、ニコリと笑った。
「僕、マーシエさんを信じるよ。前と同じように。本当はずっと信じていたかったんだ。だってマーシエさんは僕の命の恩人だもの」
 フェリオの心を苛んでいた疑惑や猜疑心は、ぱぁっと晴れていった。熱を帯びた彼女の嘆願に、戸惑いは晴れやかに無くなり、澄み渡っていった。
「フェリオ……」
「だからお願いします。僕を守ってください。僕にはどうしても、しなくちゃいけない事があるんです」
「しなくちゃいけない事?」
 マーシエが首を傾げると、彼はうんと大きく頷いた。
「どうにかして、デスティン王子と話し合いをしたいんです。僕が向こうの兵士から聞いたデスティン王子はすごくいい人で、だけどマーシエさんやヘインさんから聞く王子はすごく悪い人で、どっちが本当のデスティン王子か分からないんです。だからお互い歩み寄らない、会話もしないまま、ただ漠然と戦を繰り返してても、平和なんて望めやしないと思うんです。だから僕、どうにかしてデスティン王子と話をしたいんです。オーベル王子の代わりに」
 柔軟な少年の思考に、女騎士は口元に手を当てて考える。
「……ううん……相当難しいよ、それは。アスレイ師の声変わりの魔術は、アスレイ師が傍にいてこそ効果を発揮するものだし、オーベルに魔術を教えたアスレイ師が傍にいて、デスティンが話し合いに応じるとも思えない。人数的に自分が不利だからね。かと言って、お互いに威嚇するための兵士をずらっと並べて、マトモな話し合いになんかなるはずがない。それにそんな間近にいたんじゃ、デスティンだってフェリオが影だと分かってしまう。なんてったって、デスティンとオーベルは実の兄弟なんだ。十年やそこらで顔や体格が大きく変わるはずなんてないからね。ああ、オーベルはかなり変わったけど」
 自分の言葉に苦笑するマーシエにフェリオの意見は却下され、彼は肩を落とす。しかしデスティンとの話し合いは諦めていなかった。
 ふっとマーシエがフェリオに微笑みかける。
「本当にあんたの著しい成長が嬉しいよ。本音を言うとね。あたしだって最初はスラムの孤児を使うのは不安だったんだ。だけど今の立派になったフェリオを見て、あたしの目に狂いはなかったって分かったからこそ、あたしはあんたに膝を折ったんだ。あたしは命を賭けてフェリオを守る。大丈夫、オーベルにもデスティンにも手出しはさせない」
「ありがとう、マーシエさん」
 手放しで褒められ、フェリオの背筋はむず痒くなった。だが誇らしくもあった。

 ふと、マーシエは腰を浮かせる。
「フェリオ。さすがにオーベルの所へ全然顔を出してないっていうのもマズいからさ。今から行ってくる。けど、あんたを裏切る訳じゃないからね。分かってくれるかい?」
「はい。マーシエさんが味方だと、すごく心強いです」
 ついと目を細め、マーシエは柔らかく微笑む。フェリオは頷いて答えた。
「じゃあ、行ってくる」
 マーシエはいつもの癖で腰を擦る。そこに剣はない。
「あはは。忘れてた。ジョアンに返してもらわないとね」
 そう言って立ち上がった時、部屋の扉が開いてジョアンがやってきた。手にはマーシエの剣がある。
「大変不躾と存じましたが、外で聞かせていただきました。マーシエ様。騎士様の剣を預かるなどと、大層なご無礼、どうかお許し下さい」
「ジョアンの誤解も解けたなら安いものさ」
「そう言っていただけると私も安堵いたします。一緒にフェリオ君を守りましょう」
「ああ。あたしたちの主のために」
 ジョアンから受け取った剣を腰に差し、マーシエはジョアンに強く頷き掛けた。

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