恋するあたしと濃い天使

真砂の部屋にいた、見るからにあやしいおっさん!
彼は恋天使《キューピッド》だと名乗り、真砂の恋を応援したいと申し出るが……見た目が怪しすぎる……。


   5 魅せられて引き寄せられて愛されて

 ──翌日、真砂は最終の授業が終わるなり、校舎裏にあるクラブハウスへと猛ダッシュした。そして待ち構えていたおっさんキューピッドに問い掛ける。
「ねぇ! まだ先輩、来てないよね?」
「素晴らしいダッシュでシタ。真砂サンが一番乗りデスよ」
 おっさんキューピッドの答えに、満足そうに頷く真砂。
「折角夜なべして手紙書いたんだから、絶対受け取ってもらわないと! なんたって原稿用紙三百枚の大傑作よ! 涙無しに読めないってものよ、オッホッホ!」
「オオウ……なんだかとても痛々しくて言葉で表せない、病的、妄信的なストーカーっぽいデスねェ。その内、使用済みパンツでも盗みそうな印象デス」
「ほっといてよ! 先輩へのあたしの熱い想いは『好きです』程度の言葉じゃ表現できなかったのよ!」
 それにしても、原稿用紙三百枚はやりすぎである。読む方の身にもなっていただきたい。
「よし。じゃあしっかりバックアップしてよ! あたしの薔薇色の高校生活が、この告白にかかってるんだから!」

 昨夜、おっさんキューピッドと何度もミーティングした、手紙を差し出しながら述べる告白の言葉を、頭の中で何度も反芻する。一文字も間違ってはいないし、完璧に覚えている。
 ああ、この集中力と記憶力を、どうにか来月の中間テストで発揮できないものか──そんな事を合間に考えつつも、真砂はもう一度、告白の言葉を頭の中で繰り返す。
「あっ! 先輩が来た! わわっ、ドキドキする! 胸がきゅんきゅんしちゃう! もし手紙を受け取ってすぐに、『実は僕も真砂クンが好きだったんだ』なんて事になったら! キャーッキャーッ!!」
 妄想世界にどっぷり浸り、わざとらしくも、(お世辞だが)可愛らしい仕種に身をよじりつつ、真砂は両手で紅潮する頬を押さえた。

 一歩、また一歩と、何も知らずに近付いてくる、真砂の想い人、青木。クラブハウスの吹奏楽部の扉の前で、彼は鞄の中にあるはずの鍵をゴソゴソと探り始めた。
「よし、今デス!」
 おっさんキューピッドは飛び出し、ハートの矢尻が付いた弓を取り出し構えた。
「恋する気持ちを射貫くって聞いたけど、本当にあんな矢が刺さって、先輩怪我しないかなぁ?」
 ハラハラしながらおっさんキューピッドの動向を探りつつ、真砂は数回深呼吸してから、意を決してクラブハウス前へと歩き出す。青木の元へ、まっすぐに。しかし──

ポロン♪

「はい?」
 真砂の足が止まり、目が点になる。

 ポロペン♪

 おっさんキューピッドは丸い小さな弓矢を、指毛モジャな逞しい指先で摘み、ハートの矢でその弦を弾いて〝演奏〟していた。さながら中国民族楽器、二胡のような演奏方法だった。
 思わず真砂は全力でツッこんでいた。
「それって弓矢じゃなくて、弦楽器なの!?」
 だがおっさんキューピッドは真砂のツッコミに反応せず、口を縦に開いて声を張り上げた。

「聞いてくだサイ! 相手の心を、気持ちを射貫く恋の歌! 作詞作曲・大天使様!」
「作詞作曲とかどうでもいいし!!」
「歌いマァス! らら、ラァアァアァアァアァ!!」
 おっさんキューピッドは高らかに歌い出した。超絶に野太いビブラートを響かせて。

「いいっ!? ちょ、なっ……」
 真砂も青木も、歌い狂うおっさんキューピッドをガン見していた。どうやらターゲットである恋の相手には、おっさんキューピッドの姿がちゃんと見えるらしい。
「……の、野太い! ……だが、妙に歌声だけイケボ! しかも上手い! ……とりあえずなんか死ぬほど悔しい!!」
 重低音のバリトンボイスで、高らかに愛の歌(作詞作曲・大天使様)を歌い上げる、おっさんキューピッド。完璧に自分の世界へ陶酔しているらしく、真砂の姿も青木の姿も彼の眼中にはない。彼はただ、自分の世界の中で最上に心地よく歌い続けた。

「……あれ? なんだろう……吸い寄せられる……」
 青木がおっさんキューピッドの方へとフラフラ歩み寄ってくる。熱に浮かされたような覚束無い足取りだが、着実に彼に歩み寄っている。
「せ、先輩? ……わっ!」
 真砂が心配して青木に歩み寄ろうとすると、背を誰かに突き飛ばされた。

「素敵な歌声……引き寄せられる……」
「誰が歌ってるの? もっと聞かせて」
「僕を連れてって。あなたのところへ」
「私も行くわ。あなたと一緒に」
 次々と校舎から生徒たちが出てくる。そしてあっという間に夢遊病者のような集団が、おっさんキューピッドを取り囲んでしまった。ハーメルンの笛吹男ばりの、他者を操る歌声のようだ。
 あまりの大人数に気圧され、真砂はおっさんキューピッドの足元に座り込んでいた。

「これって、どういう事?」
「ウムム。どうやらワタシの美声に、皆サン魅せられてしまったようデスね。イワユル〝萌え〟や〝ツボに入る〟や〝耳が孕む〟というモノに分類してもヨイでショウ。性別を超越したワタシの魅力ある歌声の、正当なる評価デス」
「えっ? じゃあ! じゃあ先輩はどうな……」
「あの……もっと歌ってください。俺、あなたと一緒にいたい」
「せせせ先輩!? 正気で言ってんですか、それ! こんな見た目がヤバい不審者、通報レベルじゃないですか! しっかりしてください!」
 すぐ背後にいた青木は、目をハートマークにして、うっとりと熱い視線をおっさんキューピッドへ注いでいる。他の者たちも同じような催眠状態だった。
「オヤオヤ。皆サンもうワタシに夢中で、他に何も見えナイ聞こえナイ状態のようデスね」
 おっさんキューピッドは弓の弦を鳴らしながら冷静に分析する。
「え? え? じゃああたし、告白する前に失恋したってワケ?」
「残念デスが、皆サン、ワタシに夢中デス。ひよこが最初に見た者を親だと思ってしまう〝すりこみ現象〟のように、ワタシのスバラシイ歌を聞いてしまった皆サンは、否が応でもワタシに夢中になってしまうのデス。もう真砂サンのコトは一切見えていまセン。真砂サンと青木クンを結ぶはずの恋の歌の歌詞、チョット間違ってしまったようデス。ウォッホッホ」
「ウォッホッホじゃないわよ! 何よそれ! それじゃ約束が違うじゃないのよぉ!」
 おっさんキューピッドに掴み掛かる真砂だが、彼はハハハと笑うばかり。
「ワタシ、人間もデスが、愛や恋にも興味ありまセン。だってワタシは皆に愛されキューピッドなのデスから」
「はぁっ!? 何が愛されキューピッドよ! ギャル向けファッション雑誌みたいな個性の無いキャッチコピーで誤魔化さないでよ!」
 真砂は噛み付くも、おっさんキューピッドは全く相手にしていない。
「ワタシ、キューピッドなので、人間には興味ないのでソーリー。それではワタシは仕事が終わったので天上へと帰りマス。皆サン、それではサヨウナラ! 華麗に優雅に羽ばたくワタシ! トゥッ!」
 おっさんキューピッドが背中の小さな翼を羽ばたかせて舞い上がる。この小さな翼の羽ばたきで、このガチムチ巨体が持ち上がる事こそ、不思議でならないファンタスティック・ミステリー。

「キューピッド! 行かないで俺のキューピッド!」
「先輩、目を覚まして!」
「キューピッドオオオ!!」
 舞い上がるおっさんキューピッドに手を伸ばす青木、そして大勢の生徒。しかしおっさんキューピッドは、それらを振り切って空の彼方へと消えた。
 彼の消えた方向へ走り出す青木とその他大勢。一人取り残された真砂は、憤怒の形相で叫んでいた。
「あたしの恋を返せぇぇぇ! 縁結びの仕事してないじゃないの、くぉの変態キューピッドォォォ!」

 真砂、十六才の淡い恋は、実るどころか始まる前に終了した。

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