風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


     四

 お父さんがこの国に残るって言った。一緒に行けないって。
 守れなかったお母さんのためにあのお山に作ったお墓を、これからもずっと守っていくんだって。あたしのことは宙夜と眞昼に任せて大丈夫だからって。
 あたしはイヤイヤと、お父さんにしがみついた。
「イヤッ! せっかく会えたのに、どうしてお父さんは、またいなくなっちゃうなんて言うの?」
 もう誰にもワガママ言わないって決めてたのに、あたしは小さい子供みたいに、お父さんにしがみついて駄々をこねた。
「深咲は、ひとりぼっちでいるの、すごく心細かっただろう?」
「……うん」
「だったら母さんも、ひとりぼっちで置いて行かれたら寂しがると思わないか? 母さんは深咲のように、どこへでも自由に歩いていくことができなくなった。お墓の下にいるからね。だけどそれは、父さんのせいだから。だから父さんは、母さんに償いをするために、母さんのお墓と一緒に、あの山に残らなくちゃいけないんだよ」
 ひとりぼっちでいるのは寂しいって、よく分かるよ。あたしもひとりぼっちだった時、すごく心細かったから。でも……あたしはもうお父さんと離れたくない。
 無言でぎゅっと、お父さんに強くしがみつく。
「……ねぇ深咲。深咲は宙夜くんと眞昼くんを、新しい家族だって紹介してくれたね? 二人が大好きだって言っただろう?」
 お父さんにしがみついたまま振り返ると、宙夜と眞昼は複雑な表情であたしを見ていた。
「だったら、彼らと行きなさい。その方が深咲のためになる」
 あたし、は……お父さんともう離れ離れになりたくない。だけど宙夜や眞昼とも、一緒にいたい。みんなみんな、大好きで大切な人たちだから。
「な、なぁ。雷切……さん?」
 宙夜が遠慮気味に声を掛けてくる。
「……その……あんたからすれば、俺たちは赤の他人だ。今まで会った事もない、見ず知らずの俺たちに、大事な娘を預けるって……それであんたはいいのか?」
 お父さんは目を細めて唇を笑みの形にする。
「そうだね……君たちになら深咲を任せられる。だって君たちは……」
 日がもうほとんど落ちてる。だけど西の空は夕日の色だけどまだ明るくて、あたしたちの顔は充分認識できる。お父さんの横顔が、夕日の赤味で橙色に染まってる。
「……深咲を深く愛しんでくれている。慈しんでくれている。私には分かるよ。君たちの温かく優しい心根。ふっ……私の知る限り、皆、気の優しい者たちばかりなんだよ。……“風の妖”たちは」
 お父さんの言葉に、眞昼が一歩下がる。宙夜は眞昼を庇うように片腕を伸ばし、目を細めてお父さんを見てる。
「……いや、半分……だけかな?」
 あたしもびっくりした。お父さんは……宙夜たちが半妖だってこと、分かるの?
「どうし、て……分かるのです?」
 眞昼の疑惑に満ちた問い掛けに、お父さんが微笑を浮かべながら言った。
「私の本来の姿は雷の妖。いくら巧妙に姿を偽ったとしても、同族(なかま)の事は“におい”と“気配”で分かるんだよ」
 すっと地面を指差すお父さん。その指先をゆっくり目で辿ると、長く伸びたお父さんの影。その背中から、骨組みだけの大きな翼……の影が見えた。これ……あたしと同じ?
「影だけはどうしても偽れなくてね。だから私が一緒に行けば、深咲だけでなく、君たちまで面倒事に巻き込んでしまうかもしれないから」
 お父さんは……雷を操る妖。人と変わらない姿を纏って、偽りの人の姿で、人間の中に紛れて暮らす……妖。人ならざる者。
「俺も眞昼も、深咲だって、影はあんたのようにならない。なんであんただけ……」
「君たちと深咲は半妖だからだよ。私は深咲や君たちと違って、人の血が混じらない純血の妖だから。いくら見た目を人に近付けても、闇に生きる妖(あや)しの者の正体を晒す、白日の光の下(もと)では、全てを偽り通す事はできない」
 お父さんの姿。妖の影。偽りの姿。偽れない影。
 あたしはお父さんとも違うのね。純血の妖と、半妖とだから。
「深咲にはね。もっと広くて美しい世界を見てもらいたいんだ。父さんといたら、深咲の中の世界は狭いままだ。彼らと共にたくさんの物を見て、たくさんの事を知ってもらいたいんだ。そしていつか……帰ってきてくれればいい。その時、深咲の見聞きしてきた、美しい世界の話を聞かせてほしい。母さんと一緒にあの山で、楽しみに待っているから。さあ、行きなさい深咲」
 言いたいこと、思ったことはたくさんある。だけど、どれも言葉にならない。だからあたしは無言で……頷いた。納得はできないけど……お父さんの言いたいこと、理解できたから。
 お父さんから離れて、宙夜と眞昼の正面に立つ。二人の手を取る。宙夜と眞昼の手は、お父さんの手とは違う優しさに満ちていた。
 未練がましく振り返ると、お父さんがにっこり笑っていた。それでいいって、何度も何度も頷いていた。これで……いいの?
「……宙夜、眞昼」
「ああ」
「ええ」
 宙夜と眞昼が、あたしの両手をしっかりと握る。そして声を揃えて言った。
「雷切さん。あんたが望むなら、深咲のことは絶対に守ると約束するよ」
「あなたの望むままに、永久(とわ)に深咲さんと共に参りましょう」
 あたしの新しい家族は、宙夜と眞昼なの。お父さんとはここでお別れだけど、でも……ずっと大好きだからね。
「……深咲を……よろしくお願いします」
 いつの間にか、お父さんの頭上に銀色のお月さまが浮かんでいた。

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