風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


     二

 連れて来られたのは、あたしの知らない大きなお屋敷。途中で目隠しされたから、都の中のどこをどう通ってきたのかも分からない。でも見えていたとしても、通りや小路が複雑に入り組んだ陽ノ都の、どこがどう繋がっているのか、あたしはまだ覚えていないから、一人じゃ逃げ出すこともできない。たぶん、都の外には出てないと思うんだけど……。
 目隠しと拘束を解かれて、あたしは固い板間に放り出される。
 打ち付けた肘を擦りながら顔を上げると、知らない男の人が三人。お部屋には明かり取りの小さい窓と、ぼんやり灯る小さいロウソクしかなくて、日も暮れてしまってるから視界が暗くて悪い。だから、あたしをここへ連れてきたのは男の人だっていうのは分かったけど、顔がちゃんと見えないの。
 怖くて訳が分からなくて、あたしは身を固くしてぶるぶる慄えてた。

「未鶴(みつる)の娘、だな?」
 あたしは驚いて顔を上げる。だって未鶴って、お母さんの名前だったんだもの。
 この人たち、お母さんを知ってるの? お母さんの知り合いなの?
「未鶴の娘、だな?」
 全く同じ質問を繰り返してくる。
 問いかけてきたのは、濃紺の頭巾で顔を隠した人。あとの二人は、額に傷のある人と、抜き身の刀を下げたすごい筋肉隆々な人。
 三人の醸す雰囲気は殺気立っていて、ただそこに立っているだけで威圧される。あたしがここへ連れて来られた理由は分からないけど、この人たちが味方じゃないっていうのは分かる。どうしよう……。
「未鶴の娘、だな?」
 三度目の問い掛けには、少し苛立ちがあった。
「……お、お母さん……知って、るの?」
 震えた小声で問い返してみる。だけど。
「間違いなく、貴様は未鶴の娘なのだな?」
 従わないとひどいことをされそうな気がして、あたしは両手をぎゅっと胸に押し当てて頷いた。だけど顔を上げられない。
「歳は?」
「じ、十歳……」
 刀を持った大柄な人が、頭巾の人に何か耳打ちしてる。チラチラこっちを見ながら。
 内容はよく聞こえない、けど……お母さんの名前が何回か聞こえた。
「父親の名は?」
 今度はお父さんの……名前?
「……ら……らい、きり……」
 お父さんの名前を言った途端、男の人たちが唸って身構えた。ど、どういうこと?
「雷切(らいきり)……間違いないのだな?」
 もう一度こくんと頷くと、頭巾の人が突然、喉の底から唸りながら、あたしの髪を掴んで力任せに引っ張る。あたしは悲鳴をあげながら、引き摺られるままに立ち上がった。
「きゃっ! 痛っ……!」
 髪を引き千切るような力で、ぎりぎりと力を込めてくる。そのままあたしは固い壁へと叩き付けられた。背中を打ち付け、息が詰まってごほごほと咳き込む。引っ張られた髪と壁にぶつけられた背中が痛くて、ぐすっと思わず涙ぐんだ。
 頭巾の人は容赦なく、今度はあたしの首に手を掛ける。
「いや……痛い、苦しい……離して……」
「未鶴め! こんな“穢れたモノ”を生み出しおって!」
 あたしの喉を掴み、絞め上げてくる。この人、なんなの? どうしてお母さんとお父さんを知っていて、あたしにひどいことをしてくるの?
 ふいに、あたしの脳裏に宙夜と眞昼の姿がよぎった。
 ……あ、れ? この人、今……“穢れたモノ”って、言った? 宙夜たちが小さい時に言われたのと同じ、半妖であることを蔑む言葉。

 それは……あたしに向かって言ったの?

「クソッ!」
 あたしは開放され、床に蹲る。首を絞められたことで呼吸が苦しくなって咳き込み、引っ張られた髪の根本が痛む。痛くて怖くて、この人たちの放つ殺気立った空気に耐えられなくて、シクシクと泣き出してしまった。
「どうします? ひと思いに殺(や)りますか? それとも、四肢を削ぎ落として苦しませ、“償わせて”から?」
 あ、あたし……殺されちゃうの? どうして……あたし何もしてないのに!
「フン。なぶり殺してやりたいところだが、得体の知れん、気味の悪い力で反撃されても困る。さっさと首を切り落とせ」
「い、いや! あたし何もしてないもん! 誰かと間違えてるよ! あたしが何をしたの? おじさんたちを怒らせるようなこと、してないもん!」
 恐怖で感情的になって思わず叫ぶ。叫びながら、あたしは逃げる場所を探していた。どこかここから出て行ける場所は……。
「貴様が生きているという事が、何よりも重大な罪なのだ! 未鶴が貴様という穢れたモノを産み落とした時から、貴様はこうなる運命だったのだ!」
 あたしの叫びに呼応するかのように、頭巾の人も半狂乱になって怒鳴り返してくる。握り締めた拳で強く頬を打たれ、あたしは衝撃で弾き飛ばされた。
 固くて冷たい床に投げ出され、無理矢理連れてこられた理由が分からなくて、あたしの罪っていうのが何を意味してるのか分からなくて、叩かれた頬や髪を引っ張られた頭が痛くて、とにかく怖くて、悲しくて、苛立って、いろんな感情がグチャグチャになって啜り泣く。
 あたしが穢れてる? どうして? お母さんがあたしを産んだことが罪ってどういうことなの?
 異質なものを見る目。“穢れたモノ”……?
 だって……まさか……。
 怖い……助けて。ここはイヤ。息苦しくて、気持ち悪い。さっきからずっと、あたしの中で、警告の“音”が鳴り響いてる。
 宙夜、眞昼、御國さん。あたし殺されちゃう。訳も分からず殺されちゃう。死にたくない。怖い。

 ……助けて。助けて……お父さん。怖いよ……怖いの。あたしを助けにきて……。

 恐怖に支配された感情の中で、ほんの一握り、ぐるぐると、あたしのおなかの底でわだかまる、恐怖や混乱とは違う、何か別の“感覚”が生まれた。……ような気がした。
 ぐるぐる……ぐるぐる……。
 蜘蛛が巣にかかった獲物に糸を巻きつけていくように、だんだん大きくなって、恐怖の感情より、大きくなっていく。な、に……これ?

 ピリ……パチ……

 あたしの耳の奥で小さく、何かが弾ける音がする。おなかの底に膨れ上がる、ぐるぐるしたもの。あたしの体を、感覚を、蝕んでいく。同時に、あたしの背中がビリビリと痺れてくる。

 パチリ……。
 弾ける、何か。
 感覚を蝕む、何か。

 ダ、メ……イヤだよ。あたしが、消えちゃう。あたしがあたしの中の何かに溶かされちゃう。
 だけど自分の意思で、それらを止めることができなくて。

 ……闇に、溶け、て……いく……。

 あたしの意識が急速に薄れていく。溶けていく。あたしの中の、闇に。
 意識が途切れ途切れになる。あたしの意識を差し置いて、ピリピリと弾ける何かの音と、痺れて痛みを孕む背中。疼く背中。
 あたしはどうなっちゃったの? あたしはどうなるの?
 あたしは……あたし、は……深咲。雷切と、未鶴の娘。

「なんだ?」
「……ろせ……殺せ……早く殺せ!」
 あたしに向けられた、殺意と狂気。怖い。だけど……心地いい。あたしを殺したいほど憎んでくれたら、あたしはなにも考えなくていいから。“その意識”に悩まなくていいから。
「殺せ!」
 すぐ近くにいるのに、すごく遠い声。あたしの意識が、消えちゃう?
 ……イ、イヤ。そんなのイヤ。死にたくない。もう一度お父さんに、お母さんに会うまで……あたしは死にたくない!
 闇に溶けて薄れていた意識を、必死に取り戻そうと試みる。あたしはここにいるの。大好きな人たちにもう一度会いたいから、あたしは……ここで消えるわけにはいかないの!

「殺せぇーッ!」
「──ッ!!」
 頭巾の男の人の怒声と、あたしの悲鳴が重なる。
 気が遠くなるほどの激痛が、背中を突き破る。その痛みであたしの意識は、一瞬で覚醒する。だけどすぐに、体を内側から引き裂くみたいな、骨が背中の皮膚を突き破るような感覚があたしを襲った。

 ……い、たい……痛、い……痛い、痛い痛い痛い!

 耐え難い激痛に、あたしの頭が真っ白になる。死んじゃったの、あたし?
 辺りが一瞬で、嵐に包まれたのかもしれない。
 激痛に絶叫する自分の声すら聞こえなくなるほど、轟く雷鳴と視界を全て白く塗り替えてしまう激しい閃光。崩れ落ちる天井や壁。誰のものかも分からなくなった悲鳴があちこちからあがる。
 ねぇ……あたしを……助けて、お父さん、お母さん……。
 そこであたしの意識は再び途切れた。

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