風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


     四

 あたしと宙夜は、陽ノ都の御國さんのお店に戻ってきた。銀の魔獣の毛皮の中から現れた、意識を失った眞昼さんを抱えて。
 宙夜の声を聞いた魔獣は突然苦しそうに悶え、そして全身を覆っていた銀色の毛皮が、そよぐ風に乗って一本、十本と溶けるように消えていった。その中から現れたのが、意識を失った眞昼さんだった。
 あの銀の魔獣は、眞昼さんが化身(けしん)した姿だったの。つまり眞昼さんは……人間じゃなかったの。

 今、眞昼さんはお布団で静かに眠っている。あたしは御國さんに言われて、眞昼さんに付き添っている。異変があったらすぐ呼ぶようにって。
 だけど……怖い。眞昼さんがまたあの魔獣になってしまったら、襲われちゃうんじゃないかって。怖くて……すごく怖くて、どうしても近付いて看病なんてできなかった。だからあたしは眞昼さんのお布団と対角に、めいっぱい距離をとって、膝を抱えて怯えながら蹲っているだけ。
「荷物の件は依頼人に連絡しておくよ。妖に襲われたと言えば、先方だって納得して引き下がるしかないだろうしね」
「ああ、頼む」
 御國さんと宙夜が戻ってきた。あたしは泣き出しそうな表情のまま、二人に近付こうとして、動きを止めた。
 だって……だって眞昼さんが人間じゃなかったってことは、眞昼のお姉さんである宙夜も……ってことだよね? 二人の保護者ってことは、御國さんもそうなのかな?
 人間の中に紛れて暮らしている、人間の姿に化けている妖。あたしが知らないだけで、そういう妖ってたくさんいるのかな? その妖たちは人を襲ったりしないのかな? あたしが知らないだけで、やっぱり人を襲ったりしてるのかな?
 人を襲う妖は……妖は怖い……。
 緊張して萎縮しているあたしの様子を見た宙夜は、気まずそうに視線を逸らす。
 ……宙夜は、あたしを騙してたんだよね? 騙すつもりはなくても……嘘を吐いてたのは事実だわ。
「深咲ちゃん。眞昼を看ていてくれてありがとう。変わった様子はなかった?」
 いつもどおりの朗らかな声で、御國さんが問い掛けてくる。あたしはぎこちなく頷くしかできなかった。
「さて。そろそろ目を覚ましてもいい頃合いなんだけどね」
 御國さんが、眞昼さんの額に掛かる髪を指先でよける。その様子を遠目に見ていたあたしに、宙夜は意を決したように話し掛けてきた。
「深咲。隠していてすまない。驚かせて、怯えさせてしまって悪かった。だけど隠しておかなくちゃ、お前は怖がって、あの場所から動こうとしなかっただろ? 俺と眞昼は……」
 小さく深呼吸して、指先で自分の右目を押さえる。きれいなお月さまの色をした、人とは明らかに違う銀の瞳を隠すように。

「……妖なんだ。いや、人と妖との混血だから、半分だけの妖。“半妖(はんよう)”だ」

「半妖……?」
 半分だけ妖で、半分は人間。だから二人の片目はお月さまみたいな不思議な色をしていて、そして眞昼さんは銀の魔獣に化身したっていうの? だとしたら、妖たちを切り裂いたあのカマイタチも、二人が操る妖の力だったの?
「俺たちの親父が風を操る妖だったんだ。だけど勘違いしないでほしい。親父とお袋は純粋に互いを愛しあって、俺と眞昼が産まれた。妖である親父が自分の血を残そうと、無理やりお袋を襲った訳じゃないんだ」
 宙夜が憂いを帯びた表情で、眞昼さんの寝顔を見下ろす。
「当然だが周囲は誰一人として、親父を、お袋を、俺たちを認めなかった。受け入れようとしなかった。むしろ徹底的に拒絶され、お袋は激しく糾弾されたよ。そして親父たちは……殺された。俺と眞昼が七つの時だ。決して人と相容れない、忌まわしく厭(いと)わしい“穢れた血のモノ”を産み落としたとして、お袋は、それに親父も、その時暮らしていた村の大人たち総勢で打ち殺された。何一つ抵抗せず、何も言わず、黙って死を受け入れた。ただ一つだけ、“子供たちだけは見逃してほしい”と、それだけを何度も口にしながら殺されていったよ」
 宙夜の声は淡々としていて、感情が無いみたいだった。怖く……なかったのかな?
「……宙夜と眞昼さん、助けて……もらえたの? 村の人に……」
「いや。親父たちを原型が無くなるほど、殴り殺して、息の根を止めた後、当然矛先はこっちへ向かってきたさ。そりゃあ怖かったよ。だけど恐怖って感情以上に、奴らを恨んだ。憎んだよ。俺と眞昼の目の前で親父たちをなぶり殺した奴らの、俺たちを蔑む顔、悪鬼と化した顔。得体の知れない半妖に対する、狂気と殺戮に狂った奴らの顔、今でもはっきり覚えてる」
 両手で口元を覆い、あたしは俯く。
 お父さんとお母さんを自分の目の前で殺されたとしたら、あたしならどうしただろう? きっとなにもできなくて、ただ怯えて、怖がって、泣いて、一緒に殺されちゃうと思う。
「その時からだ。俺と眞昼は、親父と同じ力を使えるようになったんだ。憎しみと怒りで、俺たちの中に眠ってた力の箍(たが)が外れたんだろうな。風を自在に操り、刃にして相手を切り刻んだり、手を触れずに物を動かしたりできるようになった。それからもう一つ……自分たちの身が危険に陥った時、あるいは何らかの要因によって、自我や理性を失うような事態に陥った時、銀の毛皮を持つ魔獣に化身できるようになった。俺たちはその力で、親父たちを殺した奴らを……殺した」
 ぞくり、と背筋が冷たくなった。
 あたしよりもっと小さかった時に、宙夜と眞昼さんは壮絶な体験をしていた。そんなの……そんなのって……。
 相手を殺したいと思うほど、誰かを深く憎むなんて……考え……たくない。たとえお父さんたちを殺されたとしても、殺した人たちと同じように相手に仕返しするなんて、絶対したくない。その人たちと同じ、黒い心は持ちたくない。
 でもこれは、あたしが当事者じゃないから、言えることだよね? あたしみたいな、大人の世界をまだよく知らない子供が考える、ただのきれいごと、だよね。
 御國さんが振り返って肩越しにあたしを見る。宙夜が言ったことを、あたしにちゃんと理解しろって言わんばかりに。
 胸がきゅっと苦しくなった。
「分かったかい、深咲ちゃん。この子たちは少し特異な生い立ちを持っていたがゆえ、最愛の両親を奪われ、誰も信じられなくなっていた。生きるために盗賊紛いの事をしてその日その日を暮らし、人を信じられないがゆえに、他人の命を軽んじて、手を汚す事を何とも思わない日々を過ごしていたんだ。たった二人だけで、喘ぎ、もがきながら生きていた。十数年前、たまたま彼らの事を知った僕は二人を引き取って、親代わりになって愛情を注いで育て、更生させたんだ。僕はこの子たちを信頼して、理解した。この子たちが渇望していたのは、自分たちを認めてくれる者であり、理解してくれる者であり、守ってくれる者だったとすぐ分かったからね。最も親の愛情を欲する幼少時に、この子たちは一番大切なものを失ったんだ。それを埋めてあげれば、更生できる。そう踏んで、僕はこの子たちの親となり、理解者となった」
 七つ……七歳。きっと宙夜も眞昼さんも、もっとお父さんとお母さんに甘えたかったんだろうな。それなのに……。
「御國には感謝してるよ。俺も、眞昼も」
 それはあたしにも少しは想像できる。そんな状況で手を差し出してくれた御國さんに対して、盲信に近い感情を抱くのは当然かもしれない。二人にとって御國さんは、育ててくれた親代わりで、最高の理解者で、ううん。きっとそれ以上の存在なんだわ。
 だから宙夜も眞昼さんも、御國さんと接する時の言葉や態度が、他の人に対するのとは明らかに違うのね。誰よりも、心から信頼してる人だから。
 憎しみと苦しさで、先の見えない真っ暗な中、穏やかに、優しく差し出されたあったかい手は、離したくはない……よね?
「ねぇ、深咲ちゃん。君も二人を理解してあげてくれないかな? 全てを知ってなお一緒に歩いてゆける者がいるって心強いだろう? 彼らの味方は本当に僕以外誰もいないんだ。味方は、信頼できる人間は、一人でも多い方がいい。沢山の優しさに包まれた人間は、もっと優しくなれるから」
 御國さんはいつもと変わらない、優しい顔をして、すごく難しい問題をあたしに問い掛けてきた。
 ……無理……だよ。あたしには……無理。あたしは御國さんみたいに何でもできる、いろんなことを知ってる大人じゃないもの。一人で何もできない子供だもの。
 すごく真剣に考えてみた。宙夜のこと、眞昼さんのこと、御國さんのこと、自分のこと。今、あたしが考えられるだけの、いろんな未来を想像してみた。だけどやっぱり、妖が怖いって気持ちが……なによりも、まさった。

 あたしは前髪の隙間から上目遣いに御國さんを見つめ……ゆっくり首を振った。ごめんなさいって気持ちを込めて、断った。

 宙夜は右目から手を離し、ふふと笑う。
 怒らないの? 御國さんにこんなに説得されたのに、あたしは宙夜たちを受け入れられないって断ったのに。
「深咲、一生懸命考えてくれたんだろ。ありがとな。怯えなくていいし、謝らなくたっていいぞ。それは普通の反応だからな。俺たちの事を理解してくれなんて……無理強いはしないさ」
 眞昼さんの枕元に膝をつき、宙夜は眞昼さんの手を握った。
「御國。世話をかけるが、深咲が住み込みで働けるところを面倒見てやってくれ。こいつはもう、俺たちといるのなんて……無理だろ」
 眞昼さんの手で遊ぶみたいに、そっと握ったり開いたりしながら、宙夜は俯いたまま独白するように囁く。御國さんは無言で頷いていた。
「深咲。最後に頼みがあるんだ」
 小さく深呼吸して、宙夜はポツリと呟く。
「すげぇ勝手言うけどさ。俺と眞昼の事、誰にも口外しないでくれ。俺たちはもう、誰も恨んじゃいないし、誰も殺したいとも思ってない。魔獣姿の時は一時的に自我を失うが、無闇やたらと人を襲うただの妖じゃない。意識して、ちょっとの衝撃で化身しちまわないようには、気を付けてるからさ。それから……俺になら、穢れた妖だの、化け物だのと、いくらでも罵ってくれていい。だけど眞昼だけは……眞昼にだけは、そういった言葉を吐き掛けないでやってくれ。眞昼を傷付けないでやってくれ……頼むから……眞昼だけは……眞昼は俺の、たったひとりの……」
 宙夜は眞昼さんがすごく大切なんだ。当然……だよね。
 小さいとき、誰にも守ってもらえなくて、誰も信用できなくて、たった二人のきょうだいだけで、たった二人だけで、必死に支えあって生きてきたんだもの。御國さんに出会うまで、誰にも頼れず、たった二人だけで。
 鼻の奥がツンと痛くなった。
 宙夜と眞昼さんを哀れんでじゃない。羨ましかったの。
 だって二人は、普通じゃ考えられないような、すごくすごく辛い経験をした。だけど、二人だった。お互いを励ましあって、支えあえる相手が、何よりも誰よりも近しい人が、すぐ傍にいた。だから、羨ましかったの。
 あたしは……ひとりぼっちだもん。帰るおうちも、待っててくれるお父さんもお母さんもいなくなって、ひとりぼっち……。
 誰も頼れない。支えあえる相手もいない。
 どこかでお父さんたちに会えるって信じてる気持ちもあるけど、でもその希望ももう……すごく小さくしぼんでしまってて。
「……ふむ……知人に当たってみよう。深咲ちゃんは行き先が決まるまで、ウチにいればいいよ。僕だけなら……深咲ちゃんも平気だよね? 宙夜と眞昼は……今後、深咲ちゃんに、不用意に近寄らないようにね」
「ああ」
 宙夜は俯いたまま、御國さんの言葉に頷いた。

 トクンとあたしの胸が鳴る。
 本当にこれでいいの? あたしはなんの恩返しもしていない。妖から助けてもらったり、住むところのお世話までしてもらってる。この先のことまで考えてもらってる。たくさんの“もの”を、もらってる。
 本当にこのまま宙夜や眞昼さん、御國さんとお別れしていいの? それであたしは納得できるの? 自問自答を繰り返す。

「……深咲、さん」
 ふいに名前を呼ばれ、あたしはびっくりしてすくみ上がる。
「おや、眞昼。もう大丈夫かい?」
「……ええ。充分休ませていただきました」
 眞昼さんが目を覚まして、宙夜に背中を支えてもらいながら体を起こした。そして額に手を当て、ゆっくりと息を吐き出す。まだちょっとだけ……顔色が悪いかも。
「……見た、のですよね?」
 眞昼さんの切れ長の目があたしを見る。今朝までと同じ冷たい視線ではなく、少し沈んだような、でも感情の見えない虚ろな目。
 見たっていうのは……銀の魔獣のことだよね?
 あたしが頷くと、眞昼さんは憂いを帯びた、思い詰めた表情になって静かに項垂れる。長い髪で顔が隠れて、感情を汲み取るのが更に難しくなった。
 眞昼さんの感情、考えてること。それらを読み取るのは、あたしにはすごく難しいんだもの。眞昼さんはあたしに心を開いてくれてないから。そういったものを感じ取る能力が、あたしはまだ子供で未熟だから。
「……わたしは深咲さんを……傷付けませんでしたか?」
「だ、大丈夫……だった……」
 宙夜が庇ってくれたから。化身した魔獣姿の眞昼には、あたしだって認識できてなかったみたいで、他の妖や獲物を見るような視線で睨まれたけど、でも宙夜が眞昼を鎮めてくれたから。
 俯いてるからよく見えないけど、眞昼さんが少しだけ笑った……ような?
「それならば良かった、です……あの姿になってしまうとわたしは、わたしとしての自我を失い、意識が途絶えるのです。視界に入る、動くもの全てが無くなるまで、“”わたしは暴れ、命を食い荒らし続けます。わたしにとって自らの半身である宙夜ですら、認識できない時もありました。ましてや、出会って日も浅いあなたの声など、あの姿のわたしにはまるで届かない……」
 辛そうな眞昼さんの声。黙ってそれを聞く、宙夜の苦しそうな横顔。半妖である二人は、お父さんとお母さんを失うだけじゃなく、もっともっとたくさん辛い時を過ごしてきたんだわ。あたしが想像するよりずっと、半妖としての自分たちを、苦しめて思い悩んできてたのかもしれない。今のこの二人の様子を見て、あたしは確信する。
 半妖として産まれたのは、自分たちのせいじゃないのに。誰も悪くないのに。
「……眞昼。深咲は御國に預けて、別の働き口を探す事になった。俺たちはもう、深咲に近付かないようにしよう」
「そう……ですか。全て話したのですね」
「ああ。親父たちや半妖の事、全部話した」
 眞昼さんは目元に手を当てて、長いため息を吐いた。そして小さく首を振る。
「……承知しました。では、わたしはもう少しだけ休ませてください。やはり……っん……まだ、少々痛み、が……」
 宙夜も眞昼さんも、あたしと視線を合わせてくれない。ううん、あたしが……二人と目をあわせることを拒んでる。無意識に、そして妖が怖いっていう人間としての本能が。

 ……ダメだよ……こんなの、ダメ。
 宙夜はずっとあたしを見守っててくれた。お山でお父さんを待ってる時も、初対面のあたしを心配して、おうちを見に行ってくれたり、一緒に連れてきてくれた。
 眞昼さんは、体を張ってあたしを妖から助けてくれた。あたしのことを、あんなに嫌がってたのに。だけど本当に嫌われてたなら、妖から守ってなんかくれないよね? あたしを怪我させちゃったか、なんて心配して、声を掛けてくれたりしないよね?
 眞昼さんは、宙夜や御國さんより人と接するのが苦手だから。自分たちと一緒にいたら、あたしが危険に巻き込まれるんじゃないかって、真っ先に考えてくれたから。だからわざと冷たい態度を取って、あたしを遠ざけようとしてくれたんじゃないのかな? そうじゃなきゃ、あの時、妖からあたしを庇いながら“こうなると分かってたから”なんて言わないはずだよね?
 ……だったら……だったらあたしが、こんな態度をしてちゃダメなんだから!
 あたし……あたし、はっ!
 もっと、二人と仲良くなりたい! 一緒にいたい。心から信頼したい。だ、だから……理解してあげたい。二人を理解することが、あたしにできるたった一つの恩返しだから!
 さっきはここまで深く考えずに、普通でないことが怖いからって断ったけど、今なら。宙夜と眞昼さんの本当の気持ちが分かった今なら、まだ間にあう! 考え直すの、あたし! 勇気、出すの! 今しかできない、から!

「じゃあ深咲ちゃん。少し狭いけど、この部屋から一番遠い部屋を準備するよ。宙夜も眞昼も、深咲ちゃんの部屋には近付かないようにさせるからね。ちょっと狭くて散らかってるけど、すぐ片付けるから、少しだけ待っててくれるかな?」
「……らない……いらない」
 膝の上で両手をぐっと握り締め、あたしは自分の中のちっぽけな勇気を、懸命に、必死に奮い立たせる。そんなあたしの様子を、御國さんは不思議そうに首を傾げて眺めていて。
 二人が妖の血を持ってること、半妖であることは、やっぱり怖い。だけど……あたし……人として、宙夜も眞昼さんも、好きになりたい。なんの所縁(ゆかり)もない取り柄もない赤の他人のあたしを助けてくれた二人と、このままさよならしちゃうなんて、あたしは自分が許せない。そんな薄情な人になりたくない。
 そんなの……きっとお父さんもお母さんも怒るに決まってるわ。あたし、そんなの、絶対やだもん!
「他のお部屋、いらない! ま、眞昼さんが元気になるまで、あたし、が……一緒にいる。眞昼さんはあたしなんて迷惑かもしれないけど、宙夜もあたしみたいな子供に眞昼さんを看病させるなんて心配かもしれないけど、でも……でもあたしはここにいたい! これからも、二人と一緒にいたい! お願い、ここにいさせて!」
 悲しい訳じゃないのに涙が溢れてくる。顔を上げて宙夜と眞昼さんと御國さんを見る。三人とも驚いたような表情であたしを見ていた。
 最初に表情が崩れたのは御國さんだった。優しいいつもの朗らかな笑みを浮かべて、宙夜と眞昼さんを見る。
「ねぇ、宙夜に眞昼。僕は深咲ちゃんの意見を尊重してあげたいな。どうしようか?」
 いつも勝気な表情の宙夜は、少しだけ感極まったように目を潤ませて、口元を片手で覆う。
「……無理、しなくていいんだぞ? お前、眞昼の事とか、妖の事、怖がってたじゃん」
「無理なんてしてないもん! ちょ、ちょっとだけ……まだ……怖いかもしれないけど……で、でもすぐに慣れるから! あたしっ、は……宙夜と眞昼さんと、一緒にお仕事したいの。御國さんみたいに、あたしも信用してもらいたくて、あたしも信用したくて……理解しあいたくて、えっと……えっと……」
 素直な気持ちを言葉で伝えるのってすごく難しい。もっと言葉をいっぱい勉強して覚えなきゃ……って、そうだ。眞昼さんに、お勉強を教えてもらわないといけないんだった。だったらなおさら、ここで引き下がる訳にはいかないもん。
「お願い! 宙夜、眞昼さん! あたしをここにいさせ……!」
「拒否します」
 眞昼さんの冷たい言葉があたしの言葉を途切れさせる。眞昼さんは視線を逸らしたまま、むすっと黙り込んでしまう。
 昂っていた感情に水を差され、あたしはしゅんと肩を落とす。やっぱり……嫌われてるんだ……。
「……ダメ……なの? 眞昼さん」
「不愉快です」
 眞昼さんは長い髪を掻き上げて、睨むように目を細め、あたしを真正面から見据えてくる。あたしはその鋭い視線に射抜かれ、首を竦めて体を小さくする。すごく……怒ってる。ちょっとでもあたしのことを考えてくれてたんじゃって思ったけど、あたしの勘違いだったのかなぁ?
「おい、眞昼。お前まだ強情を……」
「ふん。至極不愉快に決まっているでしょう? 御國さんは当然ですが、どうしてわたしだけいつまでも “さん”なのです? 宙夜はとっくに呼び捨てているのに。一人だけ他人行儀に接せられ、これが不愉快でなければ一体なんだと言うのです? ……それが直らない限り、わたしは深咲さんを拒否しますよ」
 眞昼さんが何を言ってるのか、一瞬理解できなくて、あたしは目を丸くして彼を見つめる。すると宙夜がぷっと吹き出した。
「おい。そりゃあお前。初っ端から、馴れ馴れしいだの目上を敬えだの、散々脅したからに決まってんだろうが。深咲はお前に対して、完全に怖気(おじけ)づいちまってるんだぞ。眞昼、お前さ。自分のがちがちな鉄壁の人見知り、まだ自覚してねぇの?」
「分かっていますとも! けれど、わたしは申しましたよ? “わたしたちだけならまだしも”とね。それなのに……」
 一瞬きょとんとした宙夜は苦笑しながら、憮然とした眞昼さんの肩を少し乱暴に叩く。さっきまでの神妙さは消えて、眞昼さんの態度がおかしくて仕方ないみたい。
「お前の堅っ苦しい言葉使いと、分かりにくい遠回しの表現で、チビの深咲がその言葉の本質を見抜けるはずがねぇだろうが。もっと易しく言えよ。俺だって分からなかったぜ」
「ふん! ええ、ええ。そうですか。わたしの難解な語彙と不勉強と石頭で、大変ご不便お掛けいたしました。む、う……苦手、なのですよ。あなたみたいに、誰にでもすぐ打ち解ける……事、なんて。し、知っているでしょう!」
 ぷいと顔を背けた眞昼さんの、髪の隙間から覗く耳がほんのり赤い。あ……もしかして眞昼さん、照れてる、の?
 じゃあ! じゃあ、あたし……眞昼さんに嫌われてたんじゃなかったんだ!
 たまらなく嬉しくなって、あたしはパタパタと宙夜と眞昼さ……眞昼に近付く。だ、大丈夫。今は魔獣の姿じゃないから怖くない! 自分に言い聞かせる。
 今までずっと遠くでビクビク震えてたのに、突然近付いてきたあたしを見て、宙夜は少し腰が引けていた。眞昼はいつもどおりの、眉間に皺を寄せた不機嫌そうな表情に戻ってたけど、ほんのちょっとだけ、口元が緩んでた。
 あは! 口元が笑っちゃってるのを必死に隠そうとしてるけど……なんだか可愛い! きっとこれが眞昼の本当の顔なんだよね?
「あたし! 宙夜も眞昼も大好きだよ! きっともっと好きになるわ! それから、お勉強とかお仕事とか、一生懸命覚えるからよろしくね! 宙夜! 眞昼!」
 思い切って眞昼に抱き付いてみた。眞昼は声にならない悲鳴をあげ、あたしを払い除ける。軽々と飛ばされたあたしは、宙夜に抱き留められて転倒を免れた。
 あ……そう、よね。線が細く見えても、眞昼は大人の男の人だもん。あたしの体くらい片手ではね飛ばせちゃうよね。
 でも払い除けるなんて……ひどいよ。
「い、いきなり……ふしだらな真似はやめてください! 化身の後しばらくは体の節々が軋むのですから、前触れ無く不用意に触れられては痛……あっ、と、とにかく迷惑です! み、深咲さんも女性なのですから、不用心に人に抱き付いたりしませんように。い、いろいろと危険です! もっと慎みを持ちなさい!」
 眞昼が刺々しい言葉であたしを拒絶する。じわっとあたしの目頭が熱くなり、ちょっとだけ泣いてしまった。
「ふん、呆れますね。子供だから当然とばかりに、弱々しく泣いてばかり。そういった甘えた脆弱な態度、わたしの目には不愉快にしか映りません」
 ぷいと顔を背ける眞昼。宙夜が笑うのを堪えながら、よしよしとあたしの頭を撫でてくれた。
「くくっ! 眞昼は照れてるだけだから気にしなくていいぞ」
「宙夜! 余計な事は言わない!」
「へいへーい」
 ぐすん……やっぱり眞昼って気難しくて……怖い。

 この一件があってから、あたしと宙夜、眞昼、そして御國さんの仲は、急速に親しくなったの。
 御國さんはなんでもできる素敵な大お兄さんだし、宙夜は口は乱暴だけど面倒見のいいお姉ちゃん。眞昼は恥ずかしがり屋なのを強がりで隠す、すごく頭のいいお兄ちゃん。
 あたしの、大好きな新しい家族なの!

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