きまぐれ天狗と楓のうちわ

 千歳丸の鉈が空を切り、掠った小枝をスパンと切り落とす。小天狗は一枚歯の高下駄をカタカタ鳴らし、恐ろしく身軽な動作で彼に茶々を入れては距離を取る。一進一退の攻防──いや、小天狗の一方的な戯れだ。
「ううん……ちょっと悪戯の度合いが酷い程度なのかもしれませんね。畑を潰したのはやりすぎですが……封じるには少々可哀想な気も……」
 愉快にじゃれ合うような二人の様子をのんびり眺めつつ、こゆずは溜め息交じりその場へしゃがみ込んだ。
 小天狗の動きを止めなければ、封印の術は行えないので待機するしかないのだ。千歳丸が小天狗を捕縛するまで待たねばならない。
「こなくそっ!」
「遅い遅い! 止まって見えるぞ、愚図が」
 千歳丸に向かって尻を叩いて見せ、小天狗はケラケラ笑いながら木の上に飛び上がる。
「俺を……」
 千歳丸は鉈を大きく振り被った。
「ナメンんなァー!!」
 鉈を大振りして、小天狗のいる木の幹へと刃を食い込ませる。その勢いを殺さぬまま、千歳丸が大地を蹴った。
「よっ、はっ! うりゃっ!」
 食い込ませた鉈を足場にし、千歳丸は自分の身の丈以上もある木へ、まるで自らの体重を無視したかのように、大股で駆け上がった。並みの身体能力では不可能な行動だ。
「お? お?」
「クソガキ! おとなしく捕まりやがれ!」
 千歳丸は並外れた平衡感覚で細い枝を這い伝い、小天狗との距離を一気に縮める。勢いよく伸ばした彼の手は、小天狗の羽織る被布をあと一寸の所で捕まえ損ねた。
「おお、危ない危ない。小僧、意外とやりおるのぉ」
 小天狗は背中の羽根をパタパタと羽ばたかせて、木の枝から舞い降りる。
「下に逃げると思ったぜ!」
「なぬ?」
 千歳丸は幹を蹴り、勢いよく枝から飛び降りる。そのまま小天狗の細い腕を捕まえた。
「よっしゃ! とっ捕まえたぜ、クソガキ!」
 小天狗は腕を掴まれつつも、ニタリと嫌味な笑みを浮かべる。そのまま自由な方の腕をゆっくりと背に回し……。
「ぐあっ!」
 千歳丸の視界がぐるりと反転し、受け身すら取れずに地面に叩き付けられ、彼は体を丸めて大きく咳き込んだ。
「神通力!」
「ほっほっほ。前に前に突き進む事しか知らんとは、まだまだ青いのう、小僧めが」
 小天狗は手にした楓のうちわで自身を扇いで涼んでいる。こゆずは腰を浮かし、細い眉を寄せて口を開いた。
「千歳丸さん。今のは天狗の神通力です。力技だけではこの子を捕まえられませんよ」
「……はぁ!? ンなモン聞いてねぇぞ!」
「申しておりませんでしたから」
「言えよ、最初に!」
「小娘。オヌシも儂を見くびっておるようじゃな。どれ、少々遊んでやるわい」
 小天狗は楓のうちわを大きく仰いだ。
「きゃっ!」
 生きているかのようにうねるつむじ風に足元を掬われ、こゆずは尻餅をつく。小天狗が更にうちわを動かすと、こゆずの朱色の袴が捲れ上がり、白い膝があられもなく剥き出しになった。
「はわわっ!」
 こゆずは真っ赤になって、慌てて袴の裾を押さえる。
「ひゃははっ! 年頃の娘がみっともないのお! ほれ、小僧も見てみぃ」
 小天狗が腹を抱えながらこゆずの痴態を嘲笑っていると、千歳丸はそっぽを向いて唇を引き結んでいた。だが彼は耳の先まで真っ赤になり、唇だけでなく、瞼もぎゅっと閉じている。
「およ?」
 小天狗が不思議そうに首を傾げる。が、突然ぷっと吹き出した。そして千歳丸の周囲をちょろちょろと走り回る。
「おうおう? 小僧、おぬし……力技ばかりの阿呆かと思っておったが、意外と純情だの? この小娘に惚れておるんじゃな?」
「ちっ……ちげーよっ! そんなハズ……ッ!」
 全力で否定する千歳丸だが、全身から滲み出すこゆずへの好意が隠し切れていない。それを小天狗は更に突付いてからかう。
「この娘っ子とはもう手くらい繋いだか? 接吻は? なんと、まだか! 意気地のない小僧じゃのう!」
「莫迦! そんなじゃねぇって! 俺はンなモン興味……」
「……千歳丸さんの好意は分かりやすいですよ?」
 こゆずは袴の裾を押さえ、嘆息しながらポツリと洩らす。
「わたしは世間知らずですけれど、そこまで愚鈍ではありませんもの」
「お嬢! かっ、からかうのはやめろって、何度も何度も……」
「好意をお持ちになるのは構いませんよ。ですがわたしは生涯姫巫女様にお仕えすると誓っていますから、申し訳ありませんが千歳丸さんの個人的な想いにお応えする意思はありません」
「はうっ!」
 やんわりきっぱりと“オコトワリ” され、千歳丸は告白する前に撃沈する。小天狗は手を叩いて愉快そうに笑った。
「おお、見事な失恋じゃのぅ! なるほど小僧の一人相撲かや。惚ったの腫れたのと、ニンゲンは面白いのぅ!」
「うるせぇ! その口、今すぐ黙らせてやる!」
 千歳丸は羞恥と照れ隠しのため、自棄っぱちに叫び、小天狗に向かって拳を振り下ろした。しかし小天狗はその攻撃を予測していたかのように、高下駄を鳴らして飛びしさる。
「よぅし、もう一丁遊んでやるわい! 来い、小僧!」
「くっそぉーっ!」
 千歳丸が木の幹に食い込ませていた鉈を引き抜いた。
「ふぅ……千歳丸さんにお任せしていては、一向に終わりそうにありませんね。わたしも本腰、入れますか」
 こゆずは二人の真剣な茶番を眺めつつ立ち上がり、袴に付いた土をポンポンと両手ではたき落とす。しゃらんと鳴らした錫杖をその場に置き、こゆずの瞳はじっと小天狗を捕らえた。