結界術師と狼男-Something Journey-

   プロローグ


 弧を描いて飛ぶ、陽の光にきらめく小さな小瓶。小瓶は地に落ちて砕け散り、弱々しい煙が立ち昇ったと同時に、円柱状の橙色をした強い光を天に向かって放った。
「今よ!」
「任せろ!」
 小柄な少女が叫ぶと、狼と同じ髪色の青年が強く地を蹴った。
「ふっ!」
 着地と同時の、素早い後ろ回し蹴り。
 踵がゴブリンの脇腹を捉え、そのまま小鬼は先ほどの光の壁へと叩きつけられた。
 バチィッと弾けるような音と共に、ゴブリンの体に激しい衝撃が迸る。グギャアと奇声を発して身悶えするが、光の柱──橙色の炎がゴブリンの体を焼く方が早かった。
「クソまずそうな肉。食えそうにねえな」
「あれは食べ物じゃないでしょ! まだ油断しないで!」
 突如、群れとなって襲い掛かってきたゴブリンたち。しかし数で勝っていると思ったのも束の間、少女と青年の連携攻撃によって己たちが劣勢であることに気付く。そそり立つ光の柱に吹き飛ばされて焼かれて炭となる数匹の仲間。炎の中で息絶えるその姿を見て逃げ腰及び腰になる小鬼たち。醜悪で知能の低い魔物とはいえ、仲間をいとも容易く焼き払ったニンゲンは強い──その程度の状況判断はできるらしい。
 少女が次の小瓶を投げ付けようと身構えると、ゴブリンの一匹が逃げ出した。それを見た他の小鬼たちは、真っ先に逃げたモノを追うように走り出す。我先にと、自分たちより強いニンゲンから逃亡を図る。低級な魔物といえどイノチは惜しい。
 勝利したのは、少女と青年だった。
 ほっと一息吐き、少女は手にしていた小瓶を肩から提げた大きな鞄の中へと押し込みつつごちる。
「うう……このエグい光景と皮膚が焦げる臭い、まだ慣れないなぁ。慣れたくないなぁ」
 少女は焼け焦げ息絶えたゴブリンの死骸を見ないように、周囲を素早く見回す。もうゴブリンたちは一匹たりとこの場には残っていないようだ。
 戦闘の場となった禿げた地。陽の光を受けて幾つかの小さな輝きが地面に転がっている。
「ああ、良かった! まだ幾つか使えるみたい」
 少女が拾い上げたのは、先ほど彼女が投げた小瓶だ。投げて落下した衝撃でほとんど割れてしまったが、幾つかは割れずに残っていたらしい。
 大事そうに拾って回収し、肩掛け鞄とは別の袋に入れていく。
「そんな汚れたちっこい瓶なんか使い捨てればいいじゃねえか。ケチくせえ」
「あのねぇ。これはわたしの大事な商売道具で旅の経費から捻出してるの! 一瓶一瓶は安くても、チリツモで意外と大きい出費になってるんだから!」
 土汚れの付いた割れていない小瓶を回収しつつ、少女はぷうと頬を膨らませる。
「勝手にしろよ」
「勝手に拾うわよ。あんたに拾ってくれってお願いしてないじゃない」
 少女は青年に向かってべっと舌を突き出した。

 バニッファ大陸の湾岸部に位置する、国民統治の国ガーラ。
 国民による推薦で選ばれた十数名の核主(かくしゆ)たちが、会合によって規律や法、人々の暮らしの細かな部分まで全てを定めて政治を行う少々変わった国だ。身分の差がない分、国民たちは穏やかで安穏とした暮らしを送っているが、外部からの攻撃には脆いという性質を持つ。国に武力となる軍や自衛組織を持たないためだ。
 海産物が豊富に穫れる国だけに、好戦的な近隣諸国に目を付けられてはいるが、今のところ争いを仕掛けられるといった気配はない。弱小国ガーラなど、いつでも落とせると楽観視されているのだろう。
 核主たちは今後どうやって外交を行うか、ガーラを守っていけるか、それが目下の悩みだった。
 しかし核主たちの悩みなどお構いなしに、穏やか気性の国民たちの毎日は紡がれていく。
 海へ舟を出して魚や貝を獲り、内陸部分にある森や山へ分け入って獣を狩る。政治や外交より、その日の暮らしをより豊かにするために頭を使う方が大切だという国民がほとんどだった。
 そのような非常に呑気なガーラ国民らしい性分を持つ人物こそが──先ほどから自分で投げた小瓶を熱心に拾い集めている少女と、つまらなさそうに彼女を眺めている青年だ。
「よし、こんなものね。思ったより使っちゃったから、そろそろ補充しておかないと」
「おいテテ。腹減った。さっさと帰るぞ」
「はいはい。分かったわよ。分かったから腕を引っ張らないでよね、ラサ」
 少女は結界術師のテテルテーニュ。愛称はテテ。結界術師とはいわゆる魔術師なのだが、一旦小瓶に魔術を封じてから発動する工程が必要で、術式発動方法が少々煩わしく面倒くさい術者のことだ。
 ゆえに結界術師と称される魔術師のなり手は非常に少なく、むろん結界術を教えられる実力を持つ術者の存在も稀で、彼女は魔術師の中でも非常に稀有な存在である。
 しかし珍しい存在だからといって尊敬されたり、ちやほやされたりする訳ではなく、むしろ「えっ、結界術師なの? 本当にそんなのいたの?」といった珍妙な者を見る反応である。魔術の仕組みや魔術師の世界に明るくない一般国民など〝結界術師〟という呼称すら知らない場合もある。いちいち説明する手間を省くために結界術師は自分たちを「魔術師です」と、大きい方のカテゴリで自称するのだ。
 そして先ほどから退屈そうにあくびをしている青年はラサ。テテ曰く彼女のボディーガードなのだが、本人にその自覚はない。むしろ「助けてやってる。感謝しろ」と言わんばかりの尊大な態度である。

 決して相性がよくなさそうな組み合わせであるふたりの旅の目的は〝ある人〟を捜し出すこと。だがテテが旅に出てからかなり経つが、未だその痕跡すら見つかっていない。
 たっぷり寄り道しつつ、風の向くまま気の向くまま、のんびり〝ある人〟を捜している。
 絶対見つけてやるんだから、と拳を握り締めてテテは言うが、彼女の呑気な寄り道っぷりも相当なもので、傍目には人捜しをしているようには見えない。ラサはラサで、テテに付き合いつつも己の欲望の赴くままに全力で脇道に逸れていく。
 果たしてテテは捜し求める人に会うことはできるのか。それは神のみぞ知る──かもしれない。