砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     4

 この町で育ったというだけはあり、シーアは迷う事なく町を歩いてゆく。これだけ素顔を晒して堂々と歩かれると、本当に暗殺者の元本部があったのかと疑問にさえ思えてくる。
 人通りはますます減り、民家も少ないという点から察すると、どうやら町外れへと向かっているらしい。
 だが……どうも周囲の空気が悪くなってきたような気がする。民家は少ないのだが、代わりにあずま屋のような粗末な簡易式の建物が多くなってきたのだ。まるでスラムのようだな。
 シーアは朽ち掛けた石造りの建物の陰に入り、立ち止まる。薄汚れた建物の壁に寄り掛かり、隙間から僅かに覗く空を見上げた。
 カルザスもシーアから見えぬ位置から空を見上げたが、いつもと変わらぬ晴天が見えるだけで、珍しいものなど何も見つけられん。
 シーアがふいにポケットから何かを取り出し、目の前に掲げる。それはいつも奴が身につけておる硝子細工の耳飾りだ。
 指先で揺らすと、しゃらんと涼しげな音を立てる。何をするでもなくぼうっと耳飾りを眺めていたかと思うと、再びそれをポケットへと入れて歩き出した。
「……お散歩にしては随分遠出ですよね」
 シーアが建物の角を曲がった事を確認し、カルザスは小走りにその後を追う。
 この場所……見た事がある気がするな。世事にも小綺麗だとは言えんスラムのような路地裏……。
 細い路地を抜けると、古い教会があった。あちこちガタがきているようだが、素人が可能な範囲で多少の手入れをしているようだ。専門の技師に頼むほどの金銭的余裕はないという事か。
 そして隣接するようにある内庭は、壊れた壁から小さな花壇が見える。ほう、この砂漠で花を作る庭を持っておるとは珍しい。教会に花は似合うが、花壇など金持ちの道楽程度のものだと思っておった。教会に憩いを求める、あるいは魂を鎮めるという意味合いでもあるのだろう。
 シーアは教会の呼び鈴を鳴らし、出てきたシスターに何かを告げている。
 暗殺者として育ったシーアが、教会などに何の用があるというのだ? まさか懺悔をしたいなどと言い出すのではではあるまいな。
 教会の内部へと招き入れられたシーアだが、いつまで経っても出てくる様子がない。
「……中、見えないでしょうか」
 窓から教会内を覗き込むが、場所が場所だけに不審人物そのものだな、こやつ。
 教会周辺をうろつき、カルザスは意を決したように、内庭の壊れた壁から首を突っ込み、内部を覗き込んだ。
 花壇のすぐ脇に、二つの小さな墓石がある。教会にこのようなものがあってもおかしくはないが、その墓石の前にシーアと神父がいるのだ。奇妙な組み合わせだな。
「君がまたここへ戻ってくるとは思わなかったよ」
「本当はおれだって、二度とここへは来ないつもりでいたんだ」
 楕円形の庭であるから、二人の声は壁に反響してこちらまで届く。小声ではあるものの、耳を澄ませばしっかりと聞き取る事も可能だ。
 神父の言葉から察すると、神父はシーアを知っているようだ。むろんシーアも神父とは知り合いなのだろう。
 まさかあの神父も暗殺者、という事はないだろうな。どうも疑心暗鬼になっていかん。
「神父。おれはウラウローを出ていくよ。多分、今度こそ、二度と戻ってはこない」
「そうか。どこへ行くつもりだい?」
 シーアが墓石を見つめ、俯く。
「北さ。約束してたんだ。雪の降る国で……一緒に暮らそうって。雪の事、神父があいつに教えてくれたんだろ?」
 約束……雪の降る国で暮らす約束……そうか! ここはあの夢で見た町だ! 先ほど立ち止まった場所は、まさに夢で見たあの場所。シーアと少女とが、雪の降る国へ行こうと誓い合った、あの場所だったのだ。
 奴はだからこそ、この町にしばらく留まりたいと言うたのだ。少女との愛を語らい合った、他の苦痛の思い出などより大切な思い出のあるこの地に。
 しかし……あの少女はおらんのだぞ? 雪の降る国であの少女が待っておるなら、道草などせずにさっさと旅立てばよいものを、なぜわざわざ……?
「約束してたよな、シーア」
 シーアは墓石の前に膝をつき、両手を差し出す。墓石の文字をなぞるように指先を這わせ、今まで見た事もない柔らかな微笑を浮かべる。
 む……? あの墓石は……少女のもの……なのか?
「……一緒に……行こうって約束したのに、お前は……」
 縋るように、墓石に額を付け、シーアは苦渋を搾り出すようにそう口にする。
「あの娘も幸せだろう。今も君にこれほどまで想われているのだからね」
「幸せなもんか。シーアは生きるべき人だったんだ。なのにおれが……おれなんかがシーアに惚れたばかりに、シーアは殺された。おれが殺したようなものだよ」
 あの少女は殺されたのか? 貧民の出の者は疫病や粗食のせいで早死にする者も多いが、殺されるとは穏やかではないな。殺されたのだとすれば、一体誰に?
 シーアの肩に神父は手を置く。そして慈愛の笑みを浮かべ、諭すような声音で言うのだ。
「自分を責めてはいけない。彼女の命を断った者は君が神に代わって裁きを下した。神の教えに反する事ではあるが、君の気持ちは私が理解している。正しい行いではないが、君は決して過ちは犯していないのだよ」
 あの口振りだと、神父はシーアの正体が暗殺者であるという事を知っているのだろうか? 正しい事ではないが、過ちではない事……少女を殺した者に仕返しをしたと考えてもよいのか? 逆上したシーアなりの仕返しといえば、相手を殺す事しか思い浮かばんのだが……。
「……時間の許す限り、彼女といてやりなさい。すまないが、わたしは客人を待たせているので失礼するよ」
「突然押し掛けて悪かったよ」
「気にする必要はない」
 神父は教会へと戻るが、シーアは墓石の前から動こうとしない。
 あの少女に逢いたいがために、危険を犯してラクアに滞在する事を選んだ。それに間違いはない。そしてあの墓石の下にこそ、シーアの求める少女がいる。これも間違いないだろう。しかし……。
「……どうしましょう、帰ります?」
 カルザスが穴から身を引き、胸を押さえて小声でそう口にする。俺に意見を求めているようだ。
 ──そうだな。この場に留まっても気まずいだけだ。シーアと、あの墓石の下の者との関係を詳しく問い詰めてやりたいが、どうせ答えはせんだろう。
「そうですね、おとなしく戻りましょう。見つかったら、またご機嫌を損ねちゃいますからね」
 カルザスは苦笑し、壁の穴から一度だけ内庭の方を振り返ってみる。
「あっ」
 殺意にも似た鋭い眼差しで、穴の向こうからカルザスをじっと睨み付けているシーアがすぐ目の前に仁王立ちしている。慌てて首を引っ込め逃げ出そうとしたカルザスのマントの襟首を、シーアは穴の向こうから素早く掴んだ。
「あんたなぁ、覗きなんてかなり悪趣味だぜ!」
「す、すみませんっ! 決してそういうつもりじゃ……」
 カルザスが観念して平謝りすると、シーアはむっとした表情ではあるが、すんなりとマントから手を離す。そして穴の向こうからしかめっ面で問いかけてきた。
「……で、いつから尾けて来てた訳?」
 カルザスの下手な尾行に、まるで気が付いていなかったのか? 元暗殺者ともあろう者が、そんな事でよいのだろうか。
「そ、その……宿からっていうか、つまり最初から、なんですけど……」
「あんたマジで最低最悪だぜ、それ……」
 呆れたように額を押さえて首を振るシーア。珍しい反応だな。普段の奴なら、本気で殴りつけてくるか怒鳴るかしているはずだ。
「……ったくよぉ、ヒトが考え事して気を抜いてたからって、自分の覗きの欲求、満たすのはやめてくれよな」
「だから僕はそういう趣味はありませんって。信じてくださいよぉ」
 シーアは腰に手を当て、溜め息混じりに俺を……いや、カルザスを胡散臭そうに見つめてくる。
「……もういいよ。それで、何が聞きたいの?」
「答えていただけるんですか?」
 カルザスがきょとんとして問い返す。穴の縁に手を掛けたまま。……いい加減、この立ち位置はお互い、話しにくいのではないか?
「逃げようのない状況におれを追い込んどいて、まだすっとぼける気かよ」
 経緯はどうあれ、シーアがようやく語ろうという気になっているのだ。聞き出せるだけ聞き出せばよいではないか。
「では遠慮なく質問しますね」
「やっぱ好奇心でおれの事、追っかけ回してたんじゃねぇかよ」
 カルザスは両手を振って否定するが、シーアの言う事はそう的外れではない。
 最初は奴の小さな異変をカルザスが感じ取っただけだったが、それは尾行している内に奴の過去に繋がる謎へと導かれた。
 謎だらけのシーア・ティリ。その謎が分かるかもしれないとなれば、好奇心や探究心といったものが刺激されるのも無理はない。
「えっと、ですね。とりあえず……あのお墓は誰のものなんですか?」
「……あっちが入り口。さっさと来なよ」
 目を細め、シーアはカルザスを内庭に招き入れる。そして墓石の前に膝をついて、両手の指を絡めて神妙に祈る仕種を見せた。

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